異国の機巧 05
「ああ、この刺青でございますか。ワタシにも詳細は分からぬのでございますよ」
私は縁石に腰を下ろし、ひょいと己の足を湯から引き上げました。ワタシの両足首には、少々いびつな刺青が対で入っておりまして。普段は衣服で隠れていたものを、イリス様が目ざとく見つけられたのでございます。
「師父がワタシを拾った時には、既に彫ってあったとの事で。鬼奴の民の中でも、血を濃く保っている者は刺青を入れております。コレもそういった部類のモノでしょう」
「なるほどね……何の形なのかしら。円に三角の縁取りだから、太陽とか?」
「おそらくは? 鬼奴の民にとって、炎や熱を象徴するものは、聖なる印なのだそうです」
足を下ろすと、刺青は水面の底に歪んで消えました。絶えず湯を注ぎ入れ、湯の花がびっしりとこびり付いた湯口を眺めながら、ワタシは肩をすくめます。
「まぁ……ワタシには関係のない事ですが」
土着の鬼奴といえば、時代遅れの先住民。流れの鬼奴といえば、賎民の象徴。そのような時代でしたから、ワタシ自身が、鬼奴の民としての誇りを感じた事などございませんでした。
ゆえに、早々に話題を切り上げようとしたのでございますが。
「……朔弥人は、罪人の証として刺青を入れるから、悪い印象があるのかもしれないけど。古くからの民にとって、刺青はその人の出自や、祝福の象徴である事が多いのよ」
イリス様の言葉に、ワタシは目を瞬かせました。湯船が熱かったのか、何度も桶で足し水を試みながら、イリス様は続けます。
「狩猟採集民では、その傾向が特に強いわよね。互いの所属、属性を一目で判別する。ご遺体を故郷に帰す標とする。呪術的な効果を持たせる事もあって、その子の成長過程に応じて少しずつ刻んで、成人した時に術式として完成させる……なんて、気の遠くなるような手間をかけるものもあるのよ」
「失礼ですが……何がおっしゃりたいのでございますか?」
ややトゲのある問いを返したワタシに、学者様は。
「貴女は、鬼奴の民という起源のせいで辛い思いをした事の方が多かったのでしょうけど。その刺青を貴女に刻んだ、ご親族の祝福までは否定しなくて良いと思うって話」
淡々と。周囲の湯気が静まるような声でおっしゃられました。
「……」
「ただの感想よ。重く受け止めないでね」
それだけ言うと、イリス様は髪を洗う為に立ち上がりました。ザパン、カコーン、と音が反響する中、流れた湯は石の床で、黄金色に輝いておりました。
「祝福、でございますか」
足首をそっと撫で。ワタシは天井を仰ぎました。
──自身の起源だとか、故郷だとか。そういったものを考えるのをやめたのは、随分幼い頃だったと記憶しております。あの師父すら深い言及を避けましたし、周囲の反応は以下略。口にしてはならないものだと、幼心に認識していたのです。
ゆえに、イリス様の言葉を反芻し。
『ところで温泉熱くない⁈ 本当に他の所よりぬるいのかしらコレ⁈ 』と騒ぐイリス様や。
『月坊、石けん貸して』と言いながら壁を登攀し、男湯を覗き込む時雨ちゃんや。
『きゃー助兵衛ー。せめて先に声掛けてくださいよ』などと、棒読みで返しながらも石鹸を投げ上げた月牙様の声などを聞きながらも考えを巡らせ。
「杏華さん、顔赤いわよ。湯当たりしたんじゃ……」
「だ、大丈夫れす」
旅の疲れが出たのか、温泉の成分が強すぎたのか。湯当たり状態でふらふらと浴場を出る羽目になったのでございました。
「……何事ですか杏華。茹でエビみたいな顔になって」
「いやはや、面目ございません。久しぶりの温泉でしたから、のぼせてしまったようでございます」
「座っていなさい。すぐ戻りますから」
月牙様は、ワタシをひと目見るなり顔をしかめると、我々を差し置いて踵を返しました。浴衣姿で行き交う人々の影。カランコロンと響く下駄の音。ぐわんぐわんと回る感覚。ワタシの感覚は、薄いシャボンの膜に包まれたが如しで、頭を揺らしながら時間の経過を待っていたのですが。
「飲みなさい」
「びゃっ⁈ 」
頬にヒヤリと冷感を受けて、一気に覚醒いたしました。受け取ったそれは、飾り切りの柑橘が飾られた飲み物。竹製の容器を覗き込むと、中には極小のぶどうに似た果実が、水草のように沈められておりました。
「これは……」
「君、泡葡萄水は好きだったでしょう。湯あたりにも効くそうですよ」
月牙様は周囲にも同じ竹筒を配りながら、平然と肩を竦めます。しかし、ワタシがじっと見上げているのを見ると、不安げに表情を曇らせました。
「……苦手でしたか?」
「いえ。好きです。むしろ、大好物の部類でございますが」
竹筒から立ち上っては、しゅわしゅわと弾ける泡。これは、中に沈んでいる泡葡萄が発生させる炭酸でございました。泡葡萄と様々な果物を組み合わせた炭酸水は、ハスノハ近郊の名物だったのです。
「ワタシ、月牙様に泡葡萄が好きだとお伝えした事はありましたっけ?」
そう。この『泡葡萄水』は、ハスノハ近郊のみで購入できる飲み物。これまでの旅路で見かけた記憶はなく。つまり好物だと口にした記憶もなかったのでございます。
「言われませんでしたっけ」
ギッ、ときしむように動きを止める月牙様を見上げ、数秒悩んだものの。
「はて。酔った時にでも、お話したのでございましょうか」
のどの渇きに気を取られ、目の前の飲み物をあおりました。しゅわりと弾ける炭酸、控えめながらも、しっかりと甘さを主張する果実の触感。直前まで氷で冷やされていたのでしょう、ひんやり爽やかなのど越しに、ワタシは嘆息いたしました。
「んーっ! 甘露、甘露。まさに干天の慈雨、水源の恵みでございます。感謝でございますよ、月牙様!」
「やかましい。飲み終わったら帰りますよ」
鼻で笑われつつも、下駄を転がしカランコロン。夜更けの街の提灯に照らされながら、我々は帰路に着いたのでございました。
そして、翌日。いよいよイリス様が機巧をお譲り下さる日となったのでございますが。
「まず、コレから紹介するわね。月牙さん、貴方用に調整した新作機巧よ」
重々しい革のカバンから、イリス様が取り出したのは、両手にすっぽりと収まってしまう大きさの──
「……夜雀?」
青と茶の羽を持つ、可愛らしい小鳥の人形でございました。
◇スノーモンキー
世界北限に暮らすサル、ニホンザルが温泉に入る姿は外国人に大人気。大人気すぎて、対策を進めようとするとクジラに関するアレコレ的なトラブルが起きる場合がある。




