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異国の機巧 03

「貴女は武人でも、機巧技師でも無い。扱う機巧の構造はできるだけ単純で、遠距離攻撃が主力になる武器を扱った方が良い。それが最初に決めた方針よ」


 どん、と机に置かれたのは硬い革のカバン。金具を外しながら、イリス様は淡々と続けました。


「というか、対獣戦闘って基本的に遠距離からやるものだけどね。体躯が大きなケモノは別だけど、私たちより身体の位置が低いケモノが大半だから。槍や分銅鎖みたいな、中距離以上の武器じゃないと、相性が悪い事が多いのよ」


「はて。月牙様は刀を使っておいでですが……」


「相性って点では、扱いにくい獣種(じゅうしゅ)が多いんじゃないかしらね」


 イリス様は肩をすくめました。


「そもそも彼、刀は基礎を少し扱った程度らしくて、専門でもないのよ。私や、彼の上司が用意した武器を突っぱねた後に、自費で買ったみたいだけど……『武装機巧を持って来てくれ』ってわざわざ連絡して来たんだもの。よほど痛い目に遭ったのね」


「それは……エエ、本当に」


 ──ほうほう、ほろほろ。脳裏をあの怪鳥の鳴き声がよぎって消えました。刀一本、空中起動を制限された月牙様に一撃を加え。宿を破壊し、結界にしつこく攻撃してきたケモノの姿は、恐怖の代名詞としてワタシの中にも刻まれていたのです。

 ワタシがぽつぽつとその話をすると、イリス様は頷きました。


「空中機動なんて、そもそも一般人の選択肢に無いのよ。遠距離で、確実に、一撃で仕留める。必要なのは、それを実現させる武装と知識だわ」


 そう言って彼女が示した武装は、弓でございました。しかし、ただの弓ではございません。横向きにした弓に、複雑な持ち手やら棒やら、様々なものを取り付け。美しい茜色の木材を用いた持ち手に、夕焼け色の宝石が嵌め込まれた一品でございました。


「これは……石弓(いしゆみ)でございますか? 何やら、複雑な絡繰が付いているようですが」


帝国(わたしたち)の言葉で言うと、弓銃(ボウガン)基盤の機巧ね。手の力じゃなくて、絡繰の力で矢を飛ばして、術式の力(・・・・)で矢の威力を補うの」


 伝統的な仕様だと装填に力が要るものが多いので、そこは改善してある。基本の持ち方はこう。撃ち方はこのように。装填梃(レバー)を引けば、新しい矢が装填できる。

 いまいち現実感を抱けないまま、ひと通りの説明を聞いた私は、やや太い矢を見下ろしました。


「でも、イリス様。この矢の大きさでは、大型のケモノに対しては、致命傷にはならないのでは……?」


 ワタシの疑問に、しかし。


「そこが、機巧技師の腕の見せどころよ」


 イリス様は口端をつり上げました。彼女が矢を手に取り、矢羽をひねればアラ不思議。矢に仕込まれた空洞が(あらわ)になりました。


「矢を一から作れるように、極力簡単な作りにしてあるのだけど……中に、竜胆石紙(リンドウせきし)が入れられるようにしてあるわ。月牙さんの分身神にも使われている、遠隔で術式を発動する為の媒介ね」


 必要な効果を封入した矢を選び、機巧の術式制御盤に竜沁を注ぐ。その上で矢を発射し、任意の折に術式を発動すれば。


「矢を基点に術式が発動して、身体の内側で爆ぜさせる事ができる。これなら、小さな矢でも刺されば届くわ。刺さればね」


 本当は自動追尾などの機能も入れたかったが、予算の問題もあるし、高価すぎると扱いにくくなるから云々。思ったより饒舌な学者様の説明を聞く間、私は机の上の絡繰を見つめておりました。


 ──その機巧は美しく、芸術的で。まるで儀式に用いる祭具のようでございました。

 ですから。だからこそ。自分の為に用意された武器であるという実感が、どうしても持てなかったのです。


 ワタシの心情を察したのでしょうか。イリス様はワタシに向き合うと、そっと矢をワタシに手渡す……のではなく。

 ぴたりと、ワタシの顎下に矢先を向けました。


「……貴女は。この武器を持つ事で、自分の身を守れるようになる。月牙さんと、同じ視点に立つ事もできる。でもね。それと同時に、この引き金を引く時に、誤って人を殺す可能性も持つ事になるわ。貴女はきっと、最初は力の大きさに戸惑ったり、振り回される事になる」


 くるりと矢を回転させ、ワタシの手の上へ。羽の感触は柔らかく、しかし矢尻は黒々と輝く。ワタシの手のひらに乗ったそれを示して、イリス様は静かに続けました。


「力を持つという事はね。否が応でも、自分の行動や選択に責任が生まれるという事なの。だから」


 ──この武器を扱う時は、ひとつひとつの動作の理由と大切さを忘れないで欲しい。

 例えば、矢先を人に向けない。ケモノを撃つその瞬間まで、引き金に手をかけない。矢を放つまでの所作の重要性と、生じる責任を忘れてはいけない。


「今言った言葉を、よく覚えておいてね」


 彼女はそう、ワタシに告げました。あの時向けられた言葉、表情は、今も忘れられません。

 今もまだ。あの武装を手にする時は、同じ言葉を浮かべてしまう位なのですから。


「まぁ、使ってみて気が向かなければ、手放して良いのよ。月牙さんもそう言っていたでしょう」


 ──しかしそれは、別軸(いま)のお話。当時のイリス様はすぐに表情を改め、軽快に手を叩きました。


「もっと細かい操作方法については、月牙さんがいる時に話すわ。軽微な故障は、彼に見て貰えるようにしたいし。他にもいろいろ道具があるから、先にそっちの説明をするわね」


 弓銃機巧の整備用と思しき工具、小刀、装飾品にしか見えない腕輪と、妙に重厚な帯板(おびいた)。その他諸々。ええ、諸々と。ひとつひとつの説明に対して、身を逸らしたくなる程の物量と情報量を与えられて、ワタシは圧倒。めまい。そして──


「……イリス様は、凄いでございますね」


 ──感心と羨望を覚えました。彼女は、ワタシとほとんど年齢が変わらない。それなのに。彼女は美しい道具の数々を扱い、学者としての自信と貫禄を有していたものですから。

 学舎に通えず。地位も低く。周囲に笑われる事で、身を守って来たワタシからすれば。彼女は恵まれた存在であるように見えたのです。


「環境に恵まれたのは、間違いないわよ。私は幸運だったわ」


 ワタシの思いを見透かすように。イリス様は、皮肉っぽい笑みを浮かべました。


「でも、才能だけなら、もっと上の人間はすぐそばに転がってると思ってる。だから、機会の手綱を一度掴んだなら。それを全力で掴んで、周りが振り落とされても、最後まで残ろうって気概を持つのが大事なのよ」


 貴女だって、今から吸収すれば、なんだってできる。遅すぎるなんて事は無い。イリス様は、強い口調で続けました。


「何せ、貴女の師匠には月牙さんと時雨ちゃんが付いているのよ。良いとこの学舎に行ったって、なかなか得られない機会だわ。今のうちに搾り取りなさい」


 イリス様の言葉に、やはり彼らは優秀な御仁なのだと再認識。話を続けようと思ったのですが。


「あ、白鼻丸! それは触ってはダメでございますよ」


 白鼻丸が弓銃機巧に関心を示したものですから、ワタシは慌てて彼を制止しました。

 白鼻丸は渋々といった様子で尾を垂らし、ワタシの肩によじ登ります。


「話には聞いていたけど。確かに、あなたの言うことは聞いてるのね、その風生獣」


 イリス様に、ワタシは嘆息を返しました。


「とても賢く、言葉も理解している節があるのですが……月牙様の言う事だけは、全然聞かないのです」


「ケモノについては専門外だけど。彼、竜沁の質が特殊すぎて、ケモノを引き寄せやすい体質ではあるのよね。美味しそうに見えるみたい」


 その言葉に、ワタシは目を瞬かせました。


「ワタシも似たような体質ではないかと、月牙様が。ですので、身を守る為に祭鈴を身に付けておくように言われております」


「その祭鈴……少し見せてもらっても? 付けたままで良いから」


 イリス様は身をかがめ、虫眼鏡のような機巧をかざしながら沈黙。しばらくすると、大きな嘆息と共に額を抑えました。


「続けていれば分かる事なのに、中途半端な事をするものね、全く」


「……あの、この祭鈴に何か?」


 常に身に付けるよう言われていた、不思議な色合いの石鈴。それから目を逸らし、イリス様は続けました。


「憶測があるといけないから、祭鈴(そっち)については後で話すわ。確かなのは、月牙さんは良くも悪くもケモノを酔わせやすい(・・・・・・)体質をしているって事よ。猫が猫酔木に吸い寄せられるようなものだから、ケモノが極端な行動を取る事自体は予測できた。でも、この子が加害寄りの行動を取るようになった原因は……」


 沈黙。喉を鳴らす音。首を傾げた白鼻丸の、きょとんとした瞳。それらを見据え、イリス様は告げました。


「──その子の授乳期に、彼が自分の血をあげて育てたせいよ」


「エッ⁈ 」


 ワタシは白鼻丸を見下ろしました。白鼻丸はというと、素知らぬ顔で毛繕いの最中。左右に揺れる矢尻型の尾を眺めながら、イリス様は腕を組みました。


「風生獣は、自分で竜沁を扱う力が強いケモノよ。普通の木の実や蜜だけだと、身体の基盤を作る竜沁が足りないの。貴女が怖がると思って、隠れて与えてたんでしょうね。それ自体は、不可抗力だったんだろうけど……直接与えたり、噛み癖になっても叱らなかった、月牙さんのしつけに問題があるわ」


 白鼻丸に血を与えていたという、衝撃の事実。そして『月牙様は身内に、特に白鼻丸にはかなり甘い』という、特に衝撃でも無い事実。それらを前にして言葉を失うワタシに、イリス様は苦笑を向けました。


「それともうひとつ。問題は、貴女が女性(・・)で、月牙さんは男性(・・)って所なのよね」


「へ?」


「その風生獣、オスでしょう? たぶん、その子の中では、貴女の事を月牙さんと取り合ってるつもりなのよ」


「エッ?」


 再び白鼻丸を見下ろしますが、素知らぬ顔。すりっと手のひらに頬を擦り付けてくる白鼻丸は無邪気で、可愛らしく……着々と、成獣の姿になりつつありました。


「家畜でも、そういう行動を取る奴はいるわ。どちらにせよ、その子は去勢(きょせい)が必要かもしれないわね」


 学者様は、淡々と。


「去勢、というとつまり……」


「生殖器を切除して、これ以上の成熟を防ぐのよ」


 白鼻丸の白鼻丸を切除すべしという、容赦ない宣告を我々に叩き付けたのでございます。これを聞いて真っ先に反応したのは、買い物を済ませて戻った月牙様でございました。


「──何とか。そこを何とか、回避してやれないのですか……?」

 

 

◇去勢手術

 陰嚢から精巣を取り出す手術。犬や猫の場合は、六ヶ月ほどから手術が可能になる。繁殖能力を失うが、ホルモンバランスの変化によって攻撃的な行動を抑えられる可能性がある。

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