異国の機巧 02
食堂に赴けば、皇国の一角でありながら、おとぎ話の如き光景が広がっておりました。
大きな硝子を用いた最高の良い部屋。机を覆う、純白の敷布。金の髪を揺らす女人が、不思議な形の急須で注ぐ、鮮やかな琥珀色のお茶。様々な形の焼き菓子に、干果物をたっぷりと詰めて焼き上げた洋菓子。そして──
「たくあんもあるわよ。私は食べないけど、あなた達は好きでしょ」
──謎の安定感と現実感を醸し出す、たくあんの小皿。「廃鉱町を思い出しますね……」などと渋い顔をしながらも、月牙様はまずたくあんに手を伸ばしました。
ワタシは周囲を見まわしてから、ひと口大の焼き菓子に手を伸ばし、口の中へ。さくり、と思わぬ軽快さで解けた生地は、甘く香ばしい風味と、華やかな香辛料の香りを一気に脳天まで突き上げました。
「美味しい?」
学者様の問いに、ワタシは何度も頷きます。干し柿や飴、饅頭など、皇国にもたくさんの甘味がありましたが。あの焼き菓子の味は、当時のワタシには未体験の味わいでございました。あの感動は、今でも忘れられません。
「帝国の、有名な菓子屋のものなのよ。あとでひと缶あげるわね」
「か、感謝でございます」
これも食べてみなさいと、勧められた洋菓子も続けてぱくり。ふわりと広がる酒の香り、宝石箱のようなさまざまな甘みを広げる果物達。あまりに濃厚、あまりに芳醇。即ち甘露。
感動と衝撃で無言になるワタシを見た月牙様は、ややムッとした表情でイリス様を見上げました。
「ちょっと。食べ物で懐柔しないで下さいよ」
「どの口が言ってんのよ?」
「この口ですね」
たくあんを平らげた月牙様の方に洋菓子の皿を押しながら、学者様は台所を示しました。
「そうそう、台所の設備は好きに使って良いそうだから、後で見ておいてちょうだい」
「分かりました」
琥珀色の茶を口に含めば、こちらも柑橘の香り、茶葉の微かな甘味が喉を潤します。
チラリと同行者たちを見れば、月牙様は取手のある奇妙な湯呑みを使いこなし、時雨ちゃんも焼き菓子を淡々と口に運んでおられました。
「あの……でゅーらー様?」
恐る恐る声をかければ、学者様は目を瞬かせました。
「イリスで良いわよ。どうしたの」
「では、イリス様。イリス様が所属する『学院』というのは、どのような施設なのでございますか? きっと、皇国の淑女学園や、巫薬学院とは趣向が異なるのでございましょう」
「そうね……月牙さん。あなた、どこまで説明してるの?」
イリス様の問いに、月牙様は肩をすくめました。その仕草に、イリス様は苦笑します。
「最低限は説明しときなさいよね。まぁ、良いけど。さて、杏華さん」
「は、ハイッ!」
「まず、私の認識が合っているか確認させてちょうだい。朔弥皇国の教育システムは、社小屋での初等教育が基盤にある。大体、五歳から八歳くらいの間に入学して、六年くらいで卒業。私塾や習い事をしながら、奉公の準備をする。合ってる?」
ワタシが頷くのを確認してから、イリス様は言葉を続けました。
「淑女学園は、貴族の子女向けの教養を教える女学校の事。巫薬学院は、癒術医や薬師みたいな、医療関係者のための高等専門校。そうよね?」
「はい」
「私が所属する学院……チチェリット学院都市は、皇国で言うところの『社小屋』と、いろんな『高等専門校』を組み合わせていてね」
ひとつの教育機関の中で、学徒の適性を見ながら様々な専門家を育てる仕組みである、と。イリス様は、誇らしげに微笑みました。
「大半の学徒は、卒業したら故郷に帰るわ。でも、学院に来た仕事を受けながら、高度な研究を続けるって進路もあってね。私はその道を選んだ上で、機巧の開発事業に携わってるの」
「失礼ながら、ワタシ達とそう変わらない年齢に見えるのですが……」
「今年で十七歳よ。課題さえこなせれば、年を越さなくても進級できるし、仕事も貰えるの」
白磁の湯呑みを置き。イリス様は雑に月牙様を指差しました。
「で、そこの人だけど。いろいろあって、学院都市に滞在してたのよね。身分上は、うちの研究室で預かってる留学生って事になってるわよ」
「エッ⁈ 」
ワタシが振り返ると、月牙様はちょうど洋菓子を平らげた所でございました。
「月牙様、学生なのでございますか? しかも異国の? 留学生? 以前、少し異国に行った事がある程度と仰っていたような」
「あなたね……二年暮らしておいて『少し』って事は無いでしょ」
「にねん⁈ 」
思わず視線を向けると、月牙様は面倒くさそうな表情を隠さないまま、焼き菓子を飲み込みました。
「留学生といっても、正規の学徒ではありませんよ。学院都市に滞在するにあたって、学院関係者の肩書きがあった方が施設利用の融通が効くと言う事で、申請を行ったのです」
その説明でワタシが納得していない事が、表情から伝わったのでしょう。月牙様は、視線を少し泳がせてから、諦めたように嘆息しました。
「……僕が家を出た時に、たまたまイリス殿が居合わせていたので。そのツテで、学院都市に身を寄せたのです。で、いろいろあって呼び戻されたので、今は巫師としての仕事をしています。先ほど会いそびれたのは、僕を国内に呼び戻した者です。はい。これで満足ですか、イリス殿」
「私に八つ当たりするんじゃないわよ。説明としては良いんじゃない?」
「なら、僕の話はこのくらいにしましょう。ここでの食事、いつもどうしているのですか」
立ち上がる月牙様に構わず、イリス様は再度紅茶を口にしました。
「朝と昼はその辺で買ってきてるわね。夜は鈴芋をふかしてるわ」
「帝国人の、鈴芋への絶対的な信頼何なんですか? 台所を調べて、必要な食材を補充しに出ます。その間、杏華をお願いできますか?」
「良いわよ。あと、この宿泊拠点にもシャワールームは付いてるけど、公衆浴場の方が良いと思うわ。温泉じゃないし、この人数だと回すのが大変かも」
「分かりました。では、早めに夕飯を済ませて、夜は街に出る想定で品目を考えましょう。時雨はどうしますか」
「ん。いっしょに買い物行く」
何というか、淡々と。事務的なのに、どこか親しみを帯びた会話を切り上げ、青年は私を見下ろしました。
「杏華」
「は、はい」
「そこの彼女は、態度は大きいですが技量は本物です。技術的な事でも、進路的な相談でも。聞きたい事があれば、遠慮なく聞いておきなさい」
「さっきからひと言多いわね。ぶっ飛ばすわよ行ってらっしゃい」
イリス様の言葉に、月牙様は雑に手を上げ。時雨ちゃんはぱたぱたと袖を振って見せてから、踵を返しました。
二人の足跡が遠ざかれば。聞こえるのは振り子時計の響き。湯呑みと皿がぶつかる音。少し遠くから響く、湖畔に注ぎ込む川のせせらぎに。
そして見えるのは、硝子窓から吹き込む風が、部屋の白布を揺らす穏やかな光景となりました。
美しい洋館、その昼下がり。楽しめる余地は十二分にあったのですが、初対面の、しかも怒ると怖そうな女性と二人きり。
ワタシが気まずくなり出したあたりで、イリス様は穏やかに微笑みました。
「あの二人が、元気そうで安心したわ。特に月牙さんの方ね。ある日突然、川に沈んで浮かんでこないとかありそうだったから、わりと心配だったんだけど」
「沈没なら、一度お止めしたでございますね……」
ハクバイの街での出来事を思い出し。軽く経緯を説明すると、イリス様は眉を下げました。
「もう大人でしょ、なんて言い出したらキリがないけれど。家出の勢いで飛び出した国に、ほとんど強制的に連れ戻されて、慣れない旅に投げ込まれてるんだから。落ち着き払ってる方が不自然よ。まめに連絡してくれるから、みんな過度な心配はしないで済んでるけどね」
その言葉に、ワタシは言葉を無くしました。
先ほどまでの、辛辣な態度とは真逆。イリス様の言葉が、あまりに穏やかで、気遣いに満ちていた為でございます。
ですので。青年にはやはり、安定した地位があり。旅路を心配する人々がおり。帰る場所がある……哀れみをかけられただけのワタシとは、明確に違うのだと。ワタシは、改めて認識してしまったのでございました。
「……」
ワタシの表情に、寂寥の感情が滲んでいたのでしょうか。イリス様は急須に湯を足しながら続けました。
「思ったより楽しそうにしてたのは、あなたの影響かしらね。彼、近況報告の手紙にも、あなたに関する相談ばっかり書いて来てたのよ」
「エッ。例えばどのような」
イリス様は、ニヤリと歯を見せて続けました。
「買い与えた旅装はこれだが、同性の面々から見て不足はないかー。少食すぎて心配なのだが、あの年齢の子としては平均的なのかー。こういう術式を教えたいが、体調に影響は出ないかー。みたいな。あと怪物の子が元気ないとか餌を食べなくなったとか、そういう泣き言が毎回。超長文で来てたわよ」
地味に返信が大変だった、と。私の湯呑みにお茶を注ぎながら笑うイリス様を見上げ、ワタシは首を傾げました。
「は、はて……。急に同行者が増えて困ったとか、木に縛って置いていくとか、散々な事を言われた記憶ならあるのですが」
「どうでも良い相手に良い顔して、身内を表向き雑に扱うの、明らかに損する立ち回りよね。自覚無さそうだから、次やられたら反抗してみなさいよ。ショックで寝込むかもしれないわよ」
「エエ……?」
「ま、そういうわけだから」
カタンと急須を起き。イリス様は、ワタシを見つめました。
「私の方は、貴女の事をそれなりに聞いているし、よろしく言われてるのよ。困った事があったら、気兼ねなく聞いてちょうだい」
ワタシとそう変わらぬ年頃の女性が、学者として振る舞っているというのは、当時の私からすると不思議な感覚でございました。
ええ。彼女との出会いは、月牙様との邂逅と同等に。ワタシの人生に、大きな転機を与えたと確信しております。なぜならば──
「感謝でございます。今後ともよしなに」
「よろしくね。とりあえず、持ってきた武装機巧と、装備品を見せてあげるわ。気に入って貰えれば良いのだけれど」
──戦闘能力など、一切持たず。人畜無害な小娘であったワタシを。
そう在れかしと育てられたワタシに武力を与えたのは、紛れもない彼女だったのですから。
◇調査拠点格差
調査拠点の設備は、調査時のQOLに直結する。筆者が主に使っていた調査拠点は徒歩圏内に店なし、風呂無し、自宅から片道七時。片手鍋で沸かした湯や、水なしシャンプーで身体を清める日々だったが。同期は近所にスーパーがある温泉街で、日本庭園付き財団施設での和室生活を送っていた。たまにウクレレも弾いていた。格差、ひどない?




