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ネムノ山路にて 05

師父(しふ)の名は、叢雲(むらくも)と言います。少なくとも、ワタシにはそのように名乗っておりました」


「……。偽名でも使ってたの?」


 時雨ちゃんの問いに、ワタシは頷きました。


表向き(・・・)の師父は、旅の楽師(がくし)でございました。土地から土地へと渡り歩き、古くからの知り合いに会いに行ったり、座敷に上がる代わりとして、一夜の宿を借りておりました」


 ワタシ達が初めて出会った旅籠も、そういった馴染みの宿のひとつですと言い添えて。ワタシは、目を伏せました。


「出会う人々の大半は、師父を武家崩れ……家を継がせて貰えなかった次男坊か何かが、楽師になったのだろうと思っておりましたが。恐らくあの人は、何らかの情報屋(・・・)を兼ねていたのです」


 当時、確信があるわけではありませんでした。師父は当然、幼いワタシを、そういった場に連れて行く事は断じてなかったのです。


「しかし、違う土地に行く度に。師父を違う呼び名で呼ぶ人が。堅気(カタギ)で無い、武人然とした友人達が待ち構えていたのですから。偽名を用いていた事、何か危ない橋を渡っていた事は、嫌でも察しがつきました」


「危ない事は、なかった?」


 ワタシは、首を横に振りました。


「でも。師父の友人達は、ワタシを早く手放すようにと、師父に何度も提言(ていげん)しておりました。貰い手を見つけてやるから。見つからなくても、適当に雇ってやるから手離せと。そういった話は、幼い頃から何度も聞かされて育ちました。師父にとってワタシが邪魔だと言う事は、周囲の共通認識だったのでございます」


 それでも、と。流れる雲を仰ぎながら、ワタシは微笑みました。


「師父は、ワタシを手放す事だけはしないでくれました。自分が何者なのか。ただの拾い子であるワタシを、どうして男手ひとつで育て、側に置いていてくれたのか……何も、教えてはくれませんでしたが。ただ、ひとつだけ」


 ──自由であれ(・・・・・)、と。これまでの(えにし)を捨ててでも、外の世界に飛び出せ(・・・・)と。


「死の間際に、ワタシに言ったのです」


「……」


 沈黙する時雨ちゃんに曖昧に微笑んで、ワタシは続けました。


「ワタシは、その言葉の意図を理解する前に、師父の友人達に引き取られまして。数ヶ月ほどは、央都で暮らしておりました」


 旅芸人としての技術は叩き込まれている。皆様に迷惑はかけない。治安の良い地域の芸人組合や旅団に所属すれば、身の危険も少ないからと。何度説得を試みても、周囲に要望が通る事はございませんでした。

 女一人で何ができる。成人すると言っても、まだ子供ではないか。嫁入り先を手配してやる、と。表向きは、優しい言葉で押し返され。しかし、それを言う皆、目には冷淡な光を宿している事に気付いておりました。


「──最終的には、師父のなじみだった旅籠の女将が乗り込んで来て、ワタシを引き取って下さったのです」


 女将も女将で、ワタシの旅装を取り上げるなどの強行手段をかましては来たものの。年頃の近い娘たちと生活させて下さいましたので、央都に詰められているよりは気が楽でございました。


「しかし、ワタシが十五歳(せいじん)を迎える頃には、夜の客(・・・)を取らないのかという話が馴染みから出始めておりましたので、こりゃたまらん。何とかして旅暮らしに戻ろうと画策(かくさく)していた所で──」


「──僕たちが来たので、これ幸いと利用した、と」


 べしっ、と。大きな葉を顔面にぶつけられて、視界が緑に染まりました。枝を取り、頭上を仰げばしかめっ面の青年が一人。月牙様でございました。


「君の考えなしも大概だと思っていましたが、師父(おや)の差し金だったのですか。叢雲……その人も、君のような娘っ子に、随分と雑な指示を残したものです。もし僕が人買いだったら、君なんて速攻で売り飛ばされていましたよ。速攻で」


「あだだ執拗(しつよう)に葉っぱでバシバシ叩くのはおやめ下さいまし! ワタシとて馬鹿ではありませんから、月牙様が詐欺師(さぎし)ではないと確信してからご依頼しましたとも!」


「どうだか。あの時の君は、見るからにヤケクソでしたよ」


 乱れ切った髪を解くワタシの前で鼻を鳴らし。青年はどかっと河原に腰を下ろしました。


「幸い、旅籠の女将は、君の身柄を僕に預けると言ってくれて(・・・・・・)います。昔の知り合いに見つかる前に、身を立てておくべきですね」


「は、はぁ……って待った!まさか、女将に手紙を出したのでございますか⁈ 」


「君と出会って、最初の通伝局(つうでんきょく)で出しましたよ。当然でしょう」


 従業員を勝手に連れ出した、問題客にはなりたくなかったので。肩をすくめた青年が、荷物から返信と思しき手紙──先日立ち寄った、河港街(ハクバイ)で回収したものでしょう──を取り出すのを見て、ワタシはすっかり肝を冷やしたのですが。


「女将の返事を要約すると、『その娘は貴方にやるから、もう便りを寄越(よこ)すな。というか返してくるな。拾ったものは最後まで面倒を見ろ。返品不可』です。愛想尽かされてますね」


 女将は、ワタシを無理に連れ戻そうとは思っていない。夢破れてすごすごと帰る時以外は、連絡をしなくて良いと言う事だ。

 表面上の物言いは相変わらず辛辣でしたが、青年の表情は優しく、穏やかでございました。


「過ぎた話ですから、僕も帰れなんて言いません。しかし、一晩で急に同行者が増えた僕の気持ちは考えて欲しかったですね。慣れない事も多い中で、ほぼ着の身着のままの娘と、何食べさせてもすぐに吐く、生命力のカケラもない雑巾(ぞうきん)の世話が増えるなんて」


「などといいつつ、楽しそうに鶏めしと、白鼻丸のご飯を準備する月坊なのであった」


「時雨、勝手に解説つけないで下さい。あと月坊呼びやめて下さい。そして白鼻丸は盗み食いをやめなさい、骨が刺さったらどうするんですか!」


 白鼻丸の盗み食いを足で遮り、月牙様は手に持っていたものを地面に広げました。飯や味噌を包むのに使われる飯包葉(ホウバ)の枝、星山葵(ホシワサビ)の葉、まだ青々と香りの立つ生竹の筒。それらに加え、荷物から調味料の類を取り出しつつ、青年はワタシを振り返りました。


「杏華、この葉を洗って干しなさい。明日の弁当に使います。それが終わったら、もも肉と胸肉を、それぞれひと口大に切って下さい」


「承知でございます。今日の料理は、何やら準備が多いでございますね」


「時間がありますしね。たまには、遊びのある調理法を試してみましょう」


 竹筒の中に米、水、鶏肉とわさびの葉を乗せて蓋をする。岩を詰んだかまどの上で竹筒を熱する間、竹串に刺した鶏肉も、次々と火に掛けられていきます。


「後は……汁物も作りますか。確か、その辺に香織野蒜(カオリノビル)が」


 唐突に茂みに入って座り込み、ガサガサと。


「生えていたので、これと骨がらで出汁を取りましょう」


 泥付きの野ねぎを持って、ご満悦顔。泥を落としたそれを受け取り、刻みながらワタシは苦笑しました。


「ワタシ、たまに月牙様の育ちが良いのだかそうでないのだか、わからなくなる事があるでございます」


「僕の家、ド辺境でしたからね」


 下処理をした鳥の骨を砕き、布巾に包んだものを、野ねぎと共に鍋に投下。煮汁の灰汁(あく)を取りながら、青年は目を細めました。


「家から抜け出すと、時雨がいつも、隠れるついでに山の食べ物を教えてくれました。師匠(・・)も、僕が山に入る事自体は止めなかったので。自然と、野山を遊び場にするようになっていたのです」


 鳥飯を入れた竹筒から、ふつふつと泡がこぼれ。焼き鳥の串から、芳醇な脂が垂れて火に落ちます。

 喉に刺さりにくい、太い骨をもらってご満悦な白鼻丸を眺めながら。


「僕の師匠も、同じでしたよ」


 ふと、青年は静かに声を落としました。


「何がでございますか?」


「彼女は、僕に何も話してくれませんでした。指導を受けた技術(もの)はたくさんありましたが、感情を知る事はできなくて。でも、それでも。死の間際(・・・・)に、『愛していた』と……それだけは、教えてくれたのです」


 傾き始めた太陽に照らされる、菖蒲色の髪。涼しさを帯び始めた風に揺れるそれが、青年の義眼と傷痕を隠しました。


「愛していたから、守りたいから隠す。隠させる。世の中には、そういう事もあるのかもしれないと……今は思い始めています」


 火のはぜる音。流れる川の音。葉擦(はず)れの音。カリカリ、というケモノの子の咀嚼音。しばらく、人の声が絶えた、無言の時間が過ぎました。


「でも、月牙様」


 膝を抱え、顎を埋めながら。ワタシは、続けました。


「死人になってしまっては。もう、弟子(われわれ)の言葉は受け取って貰えないではありませんか」


「そうですね」


「ワタシの師父も、月牙様のお師匠も。大事な事を言うのが、遅いのでございますよ」


「そうかもしれません」


ずるい(・・・)とは、思わなかったのでございますか」


「勿論思いました。何故、もっと早く言ってくれなかったのかと」


 鍋に鶏肉と野草を加え。味見を淡々と進めながら、青年は続けました。


「しかし、誰の師であれ、弟子に伝える技は嘘を吐きません。君の教養は基礎を全て押さえているし、必要な部分では、非常に専門的な知識も入れられている。まじない歌は独学が大半でしょうが、術による事故は起こさないよう、最低限の安全管理だけはテコ入れされています」


 干渉を最低限に、教え過ぎずに。そういった意図は感じるものの。


「だからこそ。君の師父は、無責任に教えるよりもずっと、君の事を考えていたのではないかと思うのです」


 その言葉と共に、椀に入った汁が差し出されました。湯気の立つ汁物には柚子の皮が添えられ、食欲をそそる香りを沸き立たせておりました。


「月牙様が、大人みたいな事を言っているでございます。月牙様のくせに」


「まぁ、君よりは歳上ですから」


 椀を受け取り、ちびちびと飲み進める間に、焼き鳥と鳥飯も仕上がり。食欲に意識が傾き始めた、その時でございました。


「月牙様、あの光は」


「……水源還(みなもとがえ)しの灯篭(とうろう)ですね。先代皇姫の安寧を祈って、町の人たちが流したのでしょう」


 遥か下流の水面にて、無数に瞬く星の如き光。月牙様の推測通り、それは死者が無事に水源に帰れるよう、足元を照らす光として流す灯籠でございました。


 食事を取る手を少し休め、我らはしばし、死者に思いを馳せ。そして、皇姫の水源還りによって、ひとつの時代が終わりを迎えたのだと、皇国人としての感慨に浸っておりました。


 ──さぁ、しんみりした空気を挟みつつ、いくつかの宿場町を抜け、辿り着いたはハスノハの街。

 目下一面に広がる蓮の花、街のあちこちに屹立する温泉宿と、近代的な建物が調和する光景。観光地としての繁盛を伝える、華やかな露店の数々。

 旅慣れている者でも心踊る、一大観光地に辿り着き。帝国の学者様との待ち合わせ場所に向かったワタシを迎えたのは。


「このっ、死に急ぎ神官!」


 月牙様めがけて放たれた、苛烈な怒声でございました。

 

♢植物を食器にする時は

 月牙はその辺から食器になる植物を集めて来てるけど、知らない植物を不用意に触るのはやめよう。ウルシやキョウチクトウ、ウツギの枝をお箸にして中毒を起こす人は、現代でも定期的に発生している。

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