表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/88

ネムノ山路にて 04

 

 エー、朝からドキドキ、昼までおっかなびっくり。特別番組「杏華ちゃん、はじめての解体」を主催して下さった月牙様の反応は。


「僕、『昼過ぎにここを出立すれば宿場に着ける』と言った気がしますが、君の中では捌き終える時間だと解釈されていたのでしょうかね」


 皮肉たっぷりの笑顔でございました。解体だけに。


「うぐっ。申し訳ございません」


「丁寧なのは結構な事です」


「褒めるように見せかけた、皮肉しか感じないニヤニヤ笑いをどうも感謝でございます!」


 頬を膨らませるワタシから小刀を受け取り。刃先を確認しながら、月牙様は肩をすくめました。


「半分は素直に褒めていますよ。初めてにしては上出来でした。雑に(さば)くと刃が痛みやすくなるので、丁寧なくらいでちょうど良いです。速度はまぁ、慣れれば早くなるでしょう……ところで、何をしているのです?」


「イヤ、急がねば、宿場に着くのが遅くなるでございましょう? 早く片付けねばと」


「急がなくて良いですよ。予定変更です」


 きょとんとするワタシの前で、月牙様は小刀をくるくると回しながら応えました。


「というと?」


「ここにもう一泊しましょう。朝、日の出と共に出立すれば、今日泊まる予定だったネムノ宿場も超えて、ザクロ宿場まで一気に移動できます」


 日も長くなって来ているから、大丈夫でしょう。言うが早いか、月牙様は鳥肉を竹皮に包み。


「よっと」


 軽い言葉と共に氷を生成し、ざらざらと肉に被せました。


「おおー」


「感心する暇があるなら、()く氷結術を修得しなさい。結界を張るより簡単なんですから」


「言うほど簡単なら、氷売りは路頭に迷っているのではございませんか」


「よそはよそ、うちはうち」


「ウワー、技術水準が理不尽でございます」


 軽口を叩きながら小刀を洗い。青年は、膝の砂埃を払って立ち上がりました。


「僕は食材を補充して来ます。君は少し休憩してから、火を(おこ)しなさい。時雨の目が届く範囲にはいなさいね」


「承知でございます」


 木立に消える月牙様を見送り。ワタシは、丸めていた背をぐうっと伸ばしました。

 河原の石達は、陽光の照り返しでジリジリと皮膚を焼きましたが、日陰は冷涼で快適。あぶくを伴い流れる水面は、浅葱色(あさぎいろ)から瑠璃色(るりいろ)まで、磨き上げた宝石のような輝きを讃えておりました。

 旅人の疲労を、渡る風と共に洗ってくれるような景色。その景色を乱したのは、ぶくぶくと不自然に湧き上がってきた無数のあぶく。そして。


「杏華、おつかれさま」


 ヌラァと髪の毛を広げながら水面に浮上した、時雨ちゃんの頭部でございました。


「わぁびっくりしたぁ。手ぬぐい使いますか」


「んーん、要らない」


 言うが早いか、犬のような身震いをひとつ。下衣一枚で大岩に腰を下ろした時雨ちゃんは、足をぶらぶらさせながらワタシを見下ろしました。


「さばくの、大変だったでしょ。慣れてないと」


「そうでございますね。しかし、おかげさまでケモノの構造をよく観察する事ができたでございます」


「ケモノは、人より痛みにつよい。そして、私たちより早く動ける。攻撃のとき、急所を外した回数だけ、自分とか、みんなが危なくなる。だから、身体の構造を覚えるのはだいじ」


 そこまで言うと、真面目な表情をゆるめ。時雨ちゃんは、懐かしそうに目を細めました。


月坊(あのこ)が初めて鳥を捌いたときは、見よう見まねで羽毛を焼こうとして、かまどに落として大泣きした。今日の杏華の方が、手際が良かった」


 今の月牙様からは考えられぬ失態。笑うよりもギョッとしてしまい、ワタシは目をひん剥きました。


「それ、月牙様が何歳の頃の話でございますか」


「たぶん、四つか五つくらいの時。月坊、どうやって鳥を拾えばいいのか分からなくて、火を凍らせようとして、かまどを爆発させたの」


「エッ大事故」


 絶句するワタシに、時雨ちゃんは苦笑しながら続けました。


「怪我は大したことなかったんだけど、みんな、すっかり肝を冷やしちゃって。子供に一人で火を扱わせるなって、しずめ(・・・)まで一緒に怒られてたよ」


「……。しずめ?」


 聞いたことのない名。聞き返した私に、時雨ちゃんは口を滑らせた、とばかりに肩を揺らしたあと。


「……うん、雫女(しずめ)。月牙の師匠で、わたしの友達」


 すごく強くて、美人な子だった。銀灰色の髪をなびかせて、少女は空を見上げました。


「雫女は、技術の師匠としては優秀だったんだと思う。月坊が一人になっても生きていけるように、本当は教えなくて良い、怪物(けもの)の事とか、料理とか。自分はできない事も教えようとして、いろんな手を尽くしてた」


 その教育方針は確かに。今の月牙様をみれば、指導が成功していた事は明らかでございました。

 月牙様は巫師としての実力、立ち振る舞いや話術、生活技能──まぁ、洗濯・裁縫はだいぶ雑ですが──も含めて、限りなく高い水準を有しておいででしたから。

 頷くワタシに「でも」と。時雨ちゃんは続けます。


「雫女は、月坊の優しいとことか、泣き虫なとこは徹底的に叩きのめした。弱音や隙を見せないように、隠す方法ばっかり教えちゃった。自分に、親に求めるような愛情も期待するなって、ずっと言い聞かせてた。月坊も、雫女の言いつけを守ってたけど、いつもわたしの所に来て、こっそり泣いてた。理由は滅多に言わなかったけど」


「……」


 通りで、とワタシは得心がいきました。非常に優秀で、表向きは非の打ち所がない青年像。その裏側に同居する幼い情緒は、感情を表に出す経験の不足に由来していたのでしょう。


「優秀なのに、不器用な師弟(してい)だった。お互いの事を大切に思ってるのに、肝心な事は何も伝えて来なかったんだから」


 そう語る時雨ちゃんの目は寂しげで、大人びておりました。いえ、ワタシや月牙様よりも年上だったのですが。

 二人で黙々と飴を食べ、乾き始めた時雨ちゃんの髪をすきながら。


「……ワタシの師父も、不器用で。愛してくれていた事だけは間違い無いのですが。肝要な事は、何も教えてくれないお人でございました」


 ワタシは、つられたように言葉を落としました。

 

◇刃物の手入れ

 洗って、研いで、油を塗り込みさびを防ぐ。筆者も鎌の手入れは使うたびに行っているが、研ぎ方は分かるようで分かってないので、見る人が見たら怒る研ぎ方をしている可能性が高い。動物の解剖道具? カッター、使い捨て刃のメス、解剖はさみあたりがメインウェポン。便利です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ