ネムノ山路にて 02
「おはようございます、杏華」
「おはようございます月牙様! なぜそこに鳥を置いたのでございますか!」
ワタシが飛び起き野鳥の死体を指さすのを見て、朝食の粥を混ぜていた月牙様は、しれっと肩をすくめました。
「いや、君がよく眠っていたもので。つい」
「出来心のイタズラとは思えない悪質さに、悪い意味で感動でございますおばか!」
「馬鹿って言う奴が馬鹿らしいですよ」
「じゃあ二人ともばか」
月牙様の髪を引っ張ろうと伸ばした手を片手でパシパシあしらわれ続けていると、時雨ちゃんに右手で手拭いを差し出され。ついでに月牙様は左手でゲンコツを落とされ喧嘩仲裁。悶絶する月牙様をよそに川岸に降り、顔を洗って戻ったところで。
「杏華。朝食が済んだら、この茶山鳥を捌いてみなさい。やり方は教えます」
「えっ?」
唐突な提案をされ、目を瞬かせました。
「相手が人だろうと獣だろうと、その弱点となる臓器は変わりません。身体の構造を覚えるには、実物に触れる方が早いですから」
月牙様は新品の椀──ハクバイの街で新調していただいた漆器です──に粥を注ぎ、ワタシに差し出しました。
「次の宿場町はここから近いので、昼過ぎに立っても間に合います。時間は気にしなくて良いので、ひとまず触ってみなさい。できますか」
「……」
この時ワタシは。月牙様達と出会って間もなかった、ニッケイ村での事を思い出しておりました。
月牙様が作った保定具でアカナメの動きを封じ。刃物を差し入れようとした時に、ためらいを覚えてしまった事。見かねた月牙様が、私の手から小刀を取り、止めを刺した時の事でございます。
戦う手段を持つという事は即ち、生命に自ら手を下すという事です。その為の前座として。ワタシが本当にそれができるのかを確認する為に、月牙様が死体を用意したのだと理解いたしました。
「──できるかどうかは、やってみなければ。やり方を教えていただけますか?」
「よろしい。では、朝食を済ませたら、川岸に降りましょう。解体は、水がある場所の方がやりやすいので」
月牙様は淡々と、しかしどこかほっとしたような表情で、己の粥を食べ始めました。無言のまま食事を終え、荷をまとめて川岸へ。
白鼻丸は楽しげに、浅瀬でパシャパシャと遊び。時雨ちゃんは、少し深い所に服のまま浸かって涼み。ワタシと月牙様は、直射の当たらぬ岩陰に陣取りました。
「僕の方で下処理だけやるので、その間に、基本の構造をおさらいしましょう。怪物が鳥獣である限り、彼らの急所は僕たちと同じです。では、僕たち人間の急所は、どの位置に存在するでしょうか」
茶山鳥をひっくり返し、尾羽周辺の羽をむしり始めた月牙様の手元を凝視しながら、ワタシは応えました。
「体の軸、すなわち体幹でございますね。頭、首、背骨に沿って存在する神経や呼吸器、四肢を支える太い血管。それに……」
「体の前面部。これらが、僕たちにとっての急所ですね。状況に応じて、腕や足の外側といった、致命傷になりにくい部位で守る事が必要になります」
肛門に当たる位置の羽がなくなった時点で、小枝を差し入れ。腸の先端をするするりと引き出しながら、青年は続けます。
「獣も鳥も、急所そのものが変わるわけではありません。しかし彼らは、二足歩行をほとんど行わない。四つ足で立つか、翼を用いて飛翔するかのどちらかです。この姿勢の違いが、人間と大きな差異を産むのですが、何だか分かりますか」
「え? エエト……」
鳥を見つめ、自分を見つめ。悩み始めたワタシを一瞥すると、月牙様は白鼻丸を振り返りました。
「白鼻丸! 少しこちらに来なさい」
茶山鳥から抜き出した腸を見せつつ、声をかけますが白鼻丸は無視。
「おいこら」
「白鼻丸。こちらに来るでございますよ!」
見かねたワタシが続けて声をかけると、白鼻丸はやれやれとばかりに川から上がり、月牙様のそばでブルブルッと水を弾き飛ばしました。
「お前……なぜ、僕の言うことだけ聞かないのですか。お前を焼いて食ったって良いのですよ? そろそろ食い出も出てきた頃でしょう」
悪態をついた月牙様の膝に頭を擦り付け、甘える仕草を見せてから腸をペロリと平らげる。白鼻丸のおかわり要求に渋々答える月牙様を見て、ワタシは苦笑しました。
「何をしても月牙様が怒らないと分かって、甘えているのではございませんか? 白鼻丸に一番甘いの、なんだかんだで月牙様でございますからね」
鳥を白鼻丸から離しつつ、青年は顔をしかめました。
「だって、うっかり叩きでもしたら、すぐ死にそうじゃないですか。実際、飼い始めの頃はすぐ吐くわ下痢をするわで、頻繁に弱っていましたし……」
育て親の感情なぞ知った事ではない。そんな態度で鼻を鳴らすと、白鼻丸はぺたりと浅瀬に伏せました。気持ちよさそうにお浸かりを堪能するケモノを眺め、青年はため息をつきます。
「……まぁ、良いでしょう。杏華、君の心ノ臓はどこにありますか。指で触れなさい」
「胸でございますね」
ワタシが胸に指を当てた直後、青年は顎で白鼻丸を示しました。
「では、白鼻丸の心ノ臓はどこにありますか?」
「こやつも、同じ場所に……あっ」
と、手を伸ばしかけて気付きます。伏せた白鼻丸の心ノ臓、胸がある位置は川底に接しており、指で直上を触れる事ができないのでございます。
「理解できましたか」
青年の問いに、ワタシは頷きました。
──人間は正面を向くと、体の弱点がむき出しになる構造をしています。眼球も正面を向いているので、目を攻撃されたら、そのまま脳を貫通する恐れもある。非常に脆弱な構造しているのでございます。
「獣や鳥は、基本の姿勢で腹が隠れる構造でございますね。仰向けにしなければ、心臓の真上に触れる事はできないでございます」
「その通りです。鳥は獣と少し骨格が異なりますが、正面に晒される急所が少ないのは獣と同じですね。翼や足を突き出せば、急所を守れるようにできているのです。頭骨も、人間に比べると頑丈な部位が表に来るようになっていますね」
鳥や獣が特段優れていると言うよりは、人間の身体構造が特殊なだけかもしれない、と。肩をすくめた青年は、ワタシに茶山鳥をずいっと差し出しました。
「外部構造の話は、このくらいで良いでしょう。では次に、解体の手順を教えますよ」
【鳥の下処理】
肉質を保つ為の基本処理は鳥も獣も共通だが、鳥は腸を早めに抜かないと、肉に臭いがついて味が悪くなる場合がある。専用のフックや、針金を使う事で引き抜く事ができるが、フンで肉を汚染しないよう、肛門周辺の羽は先にむしっておく事がおすすめ。




