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河港の街 後編05

 ハクバイ街の水琴亭は、現在もその名と姿を世に轟かせておりますから、聞き覚えがあるのではないでしょうか。


 精霊たちが棲まうという水底の都を模した、豪華絢爛な佇まい。建物の中に水を引き、精緻な透かし彫りを施した蒼塗りの橋から、季節の花々やら蛍やらを鑑賞する……という斬新な催しで、かの旅館は今も人々を楽しませております。


 現在では市井(しせい)の人々にも広く開かれておりますが、我々が訪れた当時の水琴亭は、要人の接待の場として皇国に重要視されておりました。すれ違う人は身なりを整えた人々や、異国人ばかり。螺鈿細工の壁や金箔を施した壁画、天井画の数々に、ワタシは圧倒されておりましたが。


「僕、じゃなかった私。あー、あ、あ。よし、この声の高さなら何とかなりますね。なりますよね?」


 美しい装いに唯一、違和感をもたらす声を誤魔化さんとする月牙様の身支度で手一杯。内装の鑑賞に興じる暇は、正直ございませんでした。


「ワタシと時雨ちゃんは、従業員用の控え室におりますからね。何かあれば、従業員の皆様と一緒に騒ぎを起こして気を逸らしますから、ご安心下さいまし」


 月牙様は頷き、ワタシの肩に分身神(わけみがみ)をひょいと止まらせました。


「合図は分身神で飛ばします。頼みますからね、本当に」


「大丈夫でございますよ。全く、普段のふてぶてしき自信はどこに落として来たのでございますか」


 腕組みするワタシからぷいと顔を逸らし、月牙様は唇を尖らせました。


「別に、普段だって自信満々にこなしているわけではありません」


「そうなのですか?」


「僕だって、ケモノの対策を生業(なりわい)にして来たわけでは無いですから。分からない事や、初めて実践する理論は当然あります」


 水琴亭令嬢の経歴書──これから己が演じる女性の設定集に目を視線を落としつつ。青年は、低い声で続けました。


「でも、それを表に出した所で、何になると言うのです。僕が僕の仕事をこなす為には、人々の不安を制し、不測の事態を避ける事が必要です。その中には、自分自身の制御も含まれます」


「……」


 自分に任せれば問題ない。月牙様のそういった振る舞いは、己の能力に基づく自信だけが根拠なのではなく。人を安心させ、その動向を制御する為の手段として扱う言葉だったのだと真に気付いたのは、この瞬間でございました。

 この告白に対し、何か声をかけるべきか。思案が脳裏を駆け抜けましたが、しかし。


「声。そんなお声で相手を騙せるとお思いですかイトヨ(・・・)お嬢様!」


 深い言及を、おそらく青年は望まぬだろうと。ワタシはバチンと手を叩き、青年がこれから演じる女性の名で彼を呼びました。


「くっ……! 油断してしまいましたわ。外見に問題はなくて? 経歴、好物、口調は暗記しましたから、後は出陣あるのみですわよ」


「服装はばっちり整えさせていただきました。というか、お嬢様は出陣とか言わないでございますよ知らんけど」


「ええ……何と言い換えるのが正解ですの?」


 小首を傾げ、困り顔。媚びすぎず、高慢すぎず。好感の持てるお嬢様像を的確に己に被せた月牙様に密かに感心しつつ、ワタシは首を傾げ返しました。


「進発あるのみですわ、とかでございますかね」


「出陣と大差ないような気がいたしますわ」


「そうでございますね」


 そんな会話をしていれば、やがて約束の時間になり。部屋の入り口で仲居さんと話していた時雨ちゃんが、ワタシ達の方を振り向きました。


「お相手、来たってよ。御臨場(ごりんじょう)でございますわ。だよ」


 時雨ちゃんの言葉に表情を完全に改め。月牙様──否、水琴亭ご令嬢イトヨ様は、緊迫の接待に御臨場なされたのでございます。


 さてさて場面は変わり、料亭として開放されている庭付き座敷へ。水琴亭の主人と、隣国イウロ帝国の商人。その娘と息子達、という顔ぶれが食卓に並び、美しい膳を挟んで語らいを始めました。


 直前まで愚痴ばかりだった月牙様ですが、一度役に入ってしまえばその振る舞いは完璧そのもの。世間話に相槌を打ち、会話の隙間を見計らって酌に動き。突っ込んだ内容の質問をされても、さらりと流して社交辞令に努め続ける。


 本人にしてみれば、巫師の立ち振る舞いを要求されるのと、大差は無かったのかもしれません。食事が進み、今後の商談だか何だかが進み。このまま順調に終わりに向かうか、と思ったその時でございました。


『どれ、二人で話したい事があるのでね。我々は、少し庭を散歩してくるとしよう。二人で話していてくれたまえ』


 商談の話でしょう。子供達に聴かれぬ場で話したい、と目で訴えた水琴亭の旦那に、月牙様は微笑みを返しました。

 ドラ息子と名高い帝国人と、娘御が二人きり。最も危惧された場面であり、我々にとっては正念場。男親二人を見送った後。控え室で固唾を飲む我々をよそに、ドラ息子はするりと立ち上がり、月牙様の前で机に寄りかかりました。


『──イトヨちゃん、だっけ? 朔弥髪の美人とは聞いてたけどさぁ。朔弥人にしてはスラッとしてるって言うか? やっぱ実際に会わないと分からない事ってあるよねぇ』


 月牙様扮する『イトヨ』ちゃんにねっとりと、わりと流暢な朔弥語を投げるその様は、我々が思い描く帝国人の印象を、そのまま具現化したしたかのよう。大柄不遜、狼鷲(ワシ)の嘴のように突き出した鼻は、朔弥美女 (野郎)を前に伸び切っておりました。


『朔弥の女の子達って綺麗好きだからさぁ、みんないつも化粧しててマジイケてるっつーか。でも、男も化粧品持ち歩くとかはびっくり? 文化の違いだよねぇー』


『そうですね』


『あとさぁ、服の色とかもすげーあるよね。うちの親父が仕入れた服見た時に、アサギ色とかシノノメ色とか……いや区別付かねぇよー!って思ってさぁ。朔弥人あれ区別付くの?』


『基本的には、ええ』


 怒涛の会話に対して、月牙様は短い返答を繰り返しています。無愛想ではありませんが、口元は常に袖で隠しており、淡々とした所作でございました。


(素っ気ない態度で、遊びがいがない女と思わせる作戦。成功なるでございましょうか)


 事前に方針を打ち合わせていたワタシは、控え室にてごくりと喉を鳴らしました。果たしてその結果は。


『てかぁ、君の感じすごく良いなぁ〜。儚げ美人って感じでぇ、マジ魅力!もっと話したいっつーかぁ、いろんな顔してみて欲しいっつうかぁ』


 失敗でございました。逆に、相手の興味を引いてしまう結果となったようでございます。

 月牙様の引きつった笑顔と、ワタシの頬をべしべしと叩く分身神が「話が違います」と全身で意思表示するのを見て、時雨ちゃんが首を振ります。


「そっけない人を演じる作戦、失敗。月牙はただ、女装技術が上がってしまった。この後どうする」


 時雨ちゃんの肩は緊張のためか、はたまた笑いを堪えているためか、小刻みに震えておりました。しかし。


「も、問題ないでございます。『趣味がことごとく内向的』作戦がまだ残ってるでございますよ!」


 ワタシは拳を握りました。陽気者(ようきゃもの)と外に出かけて酒盛りなんて、言語道断。家でできる作業が好き。あなたと同じ趣味など無い。さっさと帰れ陽気野郎、と。言外の拒絶を重ねていく方針も打ち立ててあったのでございます。

 こう言っては失礼ですが、月牙様の性質は陰気者(いんきゃもの)寄りでしたので、素の雰囲気で押し切る分にはいけるのではないかと。思ったのですが。


『そういえばさぁ、イトヨちゃんって何が趣味なの?』


『りょ、料理を』


『料理⁈ 超家庭的じゃん。俺そういうの好……』


『──する訳ではないのですが、ひたすら料理器具を並べて置く事ですわ』


 危機一髪。家庭的な趣味にも食いつかれると判断した月牙様の切り返しで、相手はやや困惑した表情を見せております。


『えっと、道具の収集家なのかなぁ? まあ、俺も使わない道具集めるのは結構やるんだけど……』


 微妙な空気感が生まれた事に、分身神と一緒に拳を握る舞台裏。月牙様本人も、袖の向こうで微笑んでおられます。しかし。しかしですね。


『えーと、じゃあ他の趣味は?』


『ええと……。木彫り、とか』


『木彫り? 小物作ったり? 朔弥細工って異国だと人気だし、商人の端くれとしてはけっこう気にな』


『そ、そんな小さなものは作りませんわね。私、 大型回転刃物(ちぇーんそー)で丸太彫刻を作るのが趣味ですの』


大型回転刃物芸術(チェーンソーアート)⁉︎ 』


 月牙様の切り返し方が苦しいというか、斬新すぎまして。陽気者の空気に圧されたのか、要らぬ焦燥感に振り回されている節がございました。


「月牙様、月牙様。無理に趣味を言い換える必要はございません! まだ食い下がられるようでしたら、他に関心のあることなどないと言い張って下さいまし!あと、ちぇんそーあーとは三日で飽きたことにしましょう!」


 ワタシの指示に分身神は首が千切れるほど頷き、月牙様本人は何食わぬ笑顔を維持しておられます。器用な真似をと思ったのも、つかの間。


『いやぁ、イトヨちゃんって面白いね。今度一緒に遊ぼうよ。オレ、良いとこ知ってるからさ』


 さらり、と。男の手が、月牙様の髪に触れました。ワタシが皮膚を粟立たせる一方、月牙様は冷静に、その手を押し除けます。


『私も、見合いを控えている身ですから。申し訳ございません』


『見合い、見合いねぇ。イトヨちゃんってさ、帝国語も話せて、すげえ進んでるじゃん? 顔も知らない男に嫁ぐって風習、時代遅れだと思わねぇの。帝国じゃあ自由恋愛が主流になってきてるよ?』


『……』


 月牙様は、即座に言葉を返しませんでした。月牙様が口をつぐんだ事を、肯定とみなしたのでしょうか。男は、調子付いて言葉を連ねます。


『朔弥皇国ってさぁ、やっぱ開国が遅かったからその辺の考えは古いじゃん。大抵の事を機巧で解決できる時代になってきてるっつーのに、古くさい祈祷術式だの、効果が曖昧なまじないなんかをありがたがって。何でもそうだろ? 何かあればすぐミナモトの祝福がどうとか、皇姫の加護がーって言い出してさ。自分で考える(・・・・・・)って事をしない国民がさ、多いんだよ』


 帝国人の、その言葉に。月牙様は何かを言いかけ、やめました。あの時、彼は何を言おうとしたのでしょうか。それを分かる前に。


『オレからすると、この時代になっても皇姫(こうひ)を崇め続ける意味は分からないね』


 男が吐いた言葉が、全てを押し流してしまったのです。


『……。それは、この国の建国に関わる話で』


『そりゃあ、機巧が無い時代の初代の皇姫ってのは、優秀な術師だったのかも知らねぇよ? でも、今の時代の皇姫なんてさ。王と違って、政治にも関与しない、ただの象徴でしかない訳じゃん。ただの人間を、加護がどうこうと崇める国民も大概だけどさ。神の不在証明(・・・・・・)が済んだこの時代に、神の代理人を名乗り続けるんだろ? 何もせずに崇められるんだから、ずいぶんとまぁ、良いご身分だと……』


 男の言葉は、そこで終いでございました。椅子を蹴る勢いで立ち上がった月牙様が、男の頬を打ち据えたのでございます。

 

◇チェンソーアート

 山行くとたまにあるよね。筆者はチェンソーの使用経験が浅いため、使用をチキって鎌ナタで何とかしようとする傾向がある。

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