河港の町 後編04
竜沁。それは、世界を構成する最小単位にして、あらゆる願いに干渉を受けるもの。竜沁術師は、自らの生命から生み出した竜沁を材料に、世界に干渉を行います。
この竜沁を扱う能力──竜沁の流れを感じ取り、世界に願いを効率良く伝える『干渉力』には、個人差があるのでございます。
「朔弥皇国には、竜沁干渉力が高い者が多いと言われています。もちろん適性の有無はあるものの、ほぼ身一つで術式の発現を行うことができる。ゆえに、祈祷術式にも様々な系統が生まれ、独自の進化を遂げてきました。ところが隣国、イウロ帝国の人々は、この竜沁干渉力の平均が低いそうです。術式を補う道具を駆使し、生来の干渉力の低さを補うことで、周辺諸国に対抗してきました」
月牙様は、店の中に視線を映しました。火を灯す絡繰、文字を紙に焼き付ける絡繰、冷気を保つ布袋。術式を扱えぬ者にも恩恵を与える、不思議な絡繰りの数々から視線を戻し、青年は言葉を続けました。
「帝国式の術式機巧は、その技術の粋たる存在。僕たちが術師としての修行を積み、ようやく体得する竜沁術式を、ただ竜沁を注ぎ込むだけで発動するようにした、自律型の術式発生装置です」
「エエと。つまりは使い捨てではない護符、のようなものでございますか」
「少し語弊はありますが……端的に言えば、そのようなものです」
青年は頷き、色彩がやや本来の眼球よりも劣る義眼を指さしました。
「この義眼も、そういった帝国式機巧のひとつです。主な用途は、視力の代わりとなる竜沁感知能力の補助。それから……僕の竜沁回路の治療です」
「……治療?」
「身体の竜沁回路は、五感を司る器官に集中しやすい。結界の操作効率を高める為、僕は触覚由来の感知能力を後天的に高めていますが……生来は、視力に竜沁感知を頼る傾向がありました」
前髪を横に払い、指先で傷をなぞり。青年は、視線を膝に落としたまま続けました。
「僕の竜沁回路は、眼球に集中していたのでしょう。だから、右目を失った直後の僕は、扱える竜沁の絶対量が大きく落ち込み。視力に依存する術式全般。精巧な距離感覚を有する飛び道具全般も、うまく扱えなくなりました」
「……」
これまでの修練の結果が、一切扱えなくなる。歌い手として生計を立ててきた自分が、もし声を失ったら。耳が聞こえなくなったなら。
──想像すらしたくない、とワタシは思いました。しかし、眼前の青年は。積み上げてきたものを失った経験を語りながら、穏やかに絡繰仕掛けの眼球を示しました。本物と見まごう精巧な義眼でしたが、その機能を止めた状態で覗き込めば、内側に複雑な歯車やら、回路やらが含まれているのが確認できました。
「この義眼は、失った竜沁回路の回復を促すと同時に、分身神を模した機能で、僕の距離感覚などを補っています。開発途上の試験機らしいので、不具合も多いのですが……」
それでも。いちど失った身体機能を補える。与えてしまう道具の恩恵は、非常に大きい。
帝国式機巧とは、かつて神への祈りに求められた奇跡の所業。神聖なる者たちにのみ許されてきた御業の数々を、一介の科学に貶める道具であり。
「そして、君のような。術師として、武者としての鍛錬を積んでこなかった者の力を、大きく底上げする可能性を有しています。君に用意しようとしているのは武器と防具……君が、君自身の力で己の身を守るための、戦いの装備です」
シン、と沈黙が店を満たしました。武器を手に旅をする者も多かった時代です。違和感がないとお思いでしょうが、当時のワタシは一介の旅芸人。貧弱、小枝、もっと飯を食えと三段階で月牙様に誹られ米を山盛りにされる有様の、小娘に過ぎませんでした。
そんなワタシが、怪物と。あのタタリモッケのような、巨大な相手に立ち向かう力を、本当に得られるのか。その力を持ったところで、臆さず動くことができるのだろうか、と。そういった思考と同時に、不安の表情も浮かんでいたのでしょう。
「……。使ってみて、合わないと思えば止めれば良いのです」
青年は、義眼を起動させる音を響かせながら、続けました。
「ただ、僕は以前のように体が動かないから……君の身の安全を、現状は保証できません。自分自身の判断で、身を守れる手段も持っていて欲しいのです。今後の旅路の事を考えれば、攻めの手を打つ選択肢も持って損はないでしょう」
身体の基礎を作るため、これまで通りの体術や術式の修行は引き続き行って貰う。しかし、道具で補える部分は、積極的に補っていく。
襟巻きを口元に押し上げながら、青年は鼻を鳴らしました。
「鍛錬の時間を金で買えると思えば、安いものです」
「月牙様」
「何です」
「安くはないのですよね」
ぐっ、と。喉を詰まらせた月牙様の前で土間に座し。ワタシは膝を揃え、深々と頭を下げようとしました。
「ご期待に添えるよう、精進するでございます。この恩は、必ず……」
「やめなさい」
が、しかし。月牙様が刀をワタシの額に当ててひっくり返したので、土下座は不発に終わりました。勢いあまって尻もちをつくワタシを見下ろしつつ、月牙様は目を細めました。
「君は君で、なかなか土下座の癖が抜けませんね。僕に対しての土下座禁止令を発令します。君はいつも通り、調子こいてその辺で歌っていれば良いのです」
「エエ? 人さらいを寄せるから、歌う場所は選べと道中で仰っていたような」
「それはそれ、これはこれです」
月牙様はワタシの二の腕を掴んで立ち上がらせようとして──その手を途中で止めました。視線を何度か上下させ、手を差し出されたのだと気付いたワタシは、その手を取って身を起こします。
「感謝でございます」
「……別に。機巧を買うには、君にも働いてもらわねばなりませんから」
見上げれば、月牙様は苦虫を嚙み潰したような渋面を作っておられました。
「月牙様、それはいったいどういった意味で」
「おーい、月牙。水琴亭のダンナ、今日顔合わせで大丈夫だってよ。オレも一緒に行くから、そのつもりで準備しておいてくれ」
ひょこ、と店の奥から顔を出したエバさんの言葉に手を上げて返し。月牙様は、ギリリと食いしばった歯の隙間から、言葉を絞り出しました。
「交渉が、成立したら。女装を、手伝いなさい……」
ワタシは目を瞬かせ。しょぼくれた犬のような様子の月牙様に対して湧き上がる笑いを、必死に喉元で抑えました。
──さて。顔合わせの話を割愛し結論から言いますと、替え玉大作戦の交渉は成立いたしました。
水琴亭の客室──大衆宿に押し込められていた我々に、宿の主人が融通してくれた一室です──の壁に向かって、月牙様は意気消沈の頭突きをかまし。エバさんがゲラゲラと腹を抱えて笑う中、ワタシは化粧品と服飾の検討を即座に開始しました。
男女で明確に差が現れる肩幅、喉、腰回り。それらの特徴を自然に隠し、令嬢に外見を近付けるには何が必要か。服装に似合う髪型、それに髪飾りは……などなど。化粧と美容、芸人としての本領発揮の場をいただいたワタシは、接待の日までに全っ力で月牙様を仕立て上げました。
普段まとめている髪は大半を肩に流し、かんざしと花飾りをあしらう仕様に。首から指先まで、体格が分かる部位はさりげなく衣装で覆い。元の顔の良さは活かしつつ、あどけなさを演出する為に化粧を調整。化粧筆を置き、己の『作品』を見下ろしたワタシは。
「やだ、すっごい美人でございます……」
菖蒲の花のように気高く、藤の花のようにはかなげに。あまりに美しい月牙様の女装姿に、思わず感心の息をこぼしてしまいました。
「いかがです、月牙様?」
「頭が重いです」
月牙様が頭に伸ばしかけた手をぺしりと叩き落とし、ワタシは月牙様が腰かけていたイスを引きました。
服の裾を踏まぬよう四苦八苦する青年に対して、全身鏡が立てかけてある壁を示します。
「髪飾りを大きくすることで、小顔に見せているのでございますよ。帝国人は、朔弥人の男女を見分けるのは苦手だそうですけども。念のためでございます。型が崩れますから、ご自分で触ってはいけませんよ」
「はいはい、分かりました」
月牙様が、半ばやけくそ気味に鏡の前に移動し。その姿を鏡に映したところで。
「月牙、杏華。着替え、終わっ、……」
差し入れの菓子盆を抱えた時雨ちゃんが、部屋に入ってこられました。ワタシは振り向き、時雨ちゃんに話しかけようとしたのですが。
「……」
なぜか、表情を泣く寸前のように歪ませた少女を見て、かけようとしていた言葉を失ってしまいました。
見れば、月牙様も鏡の中の己を見て、唖然としたような。何かを悟ったような。己の女装を見た反応とは思えない、悲しげな表情をしておられました。
「あの。お気に召しませんでしたか」
「……いいえ。そもそも、女装の時点で気に召してませんから」
胸に手を当て、深く息を吸い込んで。袖を口元に運んだ月牙様は、妖艶に。吸い込まれるような笑みを浮かべました。
「女装は、男だからできる最も男らしい行為と心得ました。途中でバレる方が恥ですし、ここは全力で女を演じるといたしましょう」
「うわぁ、月牙様から魅惑の美女声が出たでございます……」
「月牙。その台詞、カッコ良いようで、だいぶカッコ悪い気がする」
「せっかく心を奮い立たせた所なので、二人して真顔を返さないで下さい。泣きますよ」
──さぁ、そんなわけで至りました、女装接待・大作戦。
対策趣旨も、優先順位も何もかも、全ての理論を投げ出してしまいたくなるバカ戦。
しかし、下手をすればケモノ相手より厄介かつ、緊迫感漂う戦いが、洒落た料亭の音楽と共に開始されたのでございます。
……え? バカじゃないかって? 返す言葉もございませんが、当時は真剣でございましたよ。
◇女装追い払い
主にサルに対して使う対策方法。サルが老若男女を見分け、老人と女性を見くびる性質を持つことから、成人男性が老女の格好で猿を油断させ、余裕をかますサルの前でエアガンを取り出し不意打ちトラウマを植え付けていく、という対策方法。把握しているソースが多くないので筆者から断定はできないが、けっこう効くらしい。




