河港の街 前編03
月牙様の後ろ姿を見つけた場所は、異国人向けの施設が集中する元居留地──通称、異文化街でございました。
我らが皇国は閉鎖的な国家だったのですが、最低限の国交を維持するため、一部の異国人が居留を許可されておりました。国交が開かれた当時でも、大半の異国人は元居留地を拠点としていたのです。
異文化街に立ち並ぶ建物の多くは、異国仕様。朔弥人が多くはあるのですが、行きかう人々の服装や肌色は様々、色とりどり。まるで、多種多様な金魚を詰め込んだ水槽の如き光景でございました。
「ここに来たなら、月牙が行く場所は確定。すぐ近くにある、知り合いの店だと思う。店に入られると、会話は聞こえない。中も見えない」
「おや、さっそく尾行失敗でございますか……」
「ゆえに。先回りして、盗聴絡繰と遠見の小鏡を仕掛ける」
「何それ物騒でございますね」
時雨ちゃん曰く。月牙様は術式の動きに敏感なので、分身神での覗き見にはすぐ気付いてしまうし、そもそも時雨ちゃんも分身神の術が得意ではない。
しかし、絡繰にほんの少しの竜沁を乗せて自走する『竜沁絡繰』であれば、たとえ月牙様でも気配を悟りにくくなる。との事でございました。
「遠見の小鏡は、特殊な道具。二つで一つ、それぞれの鏡が映す光景を、対の鏡に映し出す。絡繰と小鏡を使えば、視覚と映像、両方を確認できる」
「では、それらの道具を先んじて、月牙様が向かうであろうお店に仕掛けると?」
「うん」
「良案ですが、お店の人にも気付かれずに設置するというのは、店の構造によっては難しい気も……」
と、そこまで言った時でございました。
『ンキュイ』
ごそごそと時雨ちゃんの頭巾が揺れ動き、白鼻丸が顔を出しました。
「こら、ここは出てきちゃダメな所でございますよ。お腹が空いたのでございますか?」
ワタシの制止を無視し。白鼻丸は前足を伸ばすと、時雨ちゃんが持つ小鏡に肉球を押し当てました。
「「……」」
沈黙。そして、時雨ちゃんと顔を見合わせ。
「お前、もしかして単身で店に忍び込む気でございますか」
犬猫のように、言葉を深く解すると思った訳ではございませんでした。しかし、言いつけを守って人々から隠れたり、ワタシの歌を覚えて復唱するといった賢さを日に日に身に付けていたものですから、つい期待しながら風生獣の子を見下ろしたのですが。
『ンキュッ』
なんとこのケモノ、首をワタシに差し出すように身をのけ反らせました。まるで『首に道具を付けろ』とでも言わんばかりでございます。
「お前、本当に賢いでございますね……?」
もしや、月牙様からの罵倒すら理解して嚙み付き返しているのでは。などと戦慄するワタシをよそに。時雨ちゃんは少し歩くと、白鼻丸を人気のない路地裏に下ろしました。
「……ここ、店の裏。知り合いの店だから、いざとなれば言いわけできる」
時雨ちゃんはそう言うと、ワタシの手のひらに盗聴絡繰と、小鏡とやらをぽんと置きました。白鼻丸は、早くしろとばかりに尾でワタシの手首をてしてし叩いております。
「何といいますか、悪い事をしている自覚が今更湧いてきたでございます……」
ぼやきつつも、幅の広い飾り紐を白鼻丸の肩と首にたすきのように掛け。背中に盗聴絡繰、首元に小鏡をくくり付けました。
「良いですか白鼻丸。お店の人に見つからないよう、ちゃんと隠れて下さいましね」
ワタシが念押ししたのを、聞いていたのかいないのか。白鼻丸は、路地裏に着地すると、壁を登り、するりと通気口の中に入って行ってしまいました。
時雨ちゃんがどこからともなく取り出した盗聴絡繰の親絡繰──巻貝を加工したような、かわいらしい受話器です──からは、ごそごそ、カチカチと、白鼻丸の足音が響いており。対の光景を映すと言う小鏡の光景も、しばらくは白鼻丸の顎と、暗い空間を映すのみだったのでございますが。
『エヴァディ・ヴァレンシアさんはいらっしゃいますか?紫玖 月牙が来たとお伝えください』
ぱっと鏡の視界が開け。ちょうど、月牙様が店に入ってくる様子が映し出されました。
◇バイオロギング/バイオテレメトリー
比較的最近になって生み出された、動物の生態調査の手法。GPSやカメラを付けた首輪を装着したり、皮下や腹腔に体温や心拍数を計測するロガーを挿入して、様々なデータを取得する。盗聴なんて悪い事に使っちゃあいけません。




