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河港の街 前編02

 

 ハクバイを特徴付けるのは、河港(かこう)から伸びる大小様々な運河でございましょう。

 物流を司る運河を中心に、あちこちに水路が張り巡らされた商業の街。港沿いの道は広々としている一方で、奥深くに行けば複雑に建物と水路が入り組んでいる。そんな場所でございました。

 

 普段のワタシなら旅芸寄合(りょげいよりあい)で芸人登録を行ったのですが、ダメと言われては仕方がございません。ひとまず宿を取り、荷物を置いて買い出しに行こう……という流れになったのでございますが。


「宿、混みすぎじゃないですか……」


 疲れ顔で嘆息する月牙様、そのお言葉通り。我々が六軒目にしてようやく入れた宿は、昔ながらの大衆宿でございました。

 宿泊客の人数に応じて大広間を障子で区切るのですが、ふた部屋に分ける余裕も、屏風を入れる空間も無いと切り捨てられまして。月牙様の要望も虚しく、三人分の布団がギリギリ並ぶ程度の空間に投げ込まれたのでございました。


「近日中に(いち)が開かれるとかで、関係者や客が増えているそうでございますよ。普段は、もう少し余裕があるそうでございます」


「時期が悪かったですね」


 隣の部屋を丸見え実況中の破れ障子に、手拭いを引っ掛ける月牙様を見上げつつ、ワタシは訊ねました。


「この後ですが。ワタシは、化粧品と裁縫道具の補充に行ってくるでございます。月牙様はどちらへ向かわれますか?」


「この街の社務院(しゃむいん)に。消費した術式用紙や、祭具類の補充が必要です。少し時間がかかると思うので、時雨と一緒に行動して貰えますか」


 社務院は、社関係者の為の施設。ワタシは門前払いでございますから、納得して頷きました。


「承知でございます。では、買い出しが終わり次第、宿で合流でよろしいですか?」


「そうですね、行き違いにならない為にはそれが確実……」


 と、その時でございました。スパーンと勝手に障子が開けられ、いかにも酔っ払いですという男が赤ら顔でこちらに近付いて来たかと思うと。


「あぁ、なんでぇ? 上玉も転がってるじゃねぇか。どうでぇ兄ちゃん、そこの鬼奴っ子、一晩貸してもらえブヘェ⁈ 」


 月牙様の掌底に、下顎を突き上げられひっくり返りました。気絶した男を廊下に引きずり出し、喉を詰めないように姿勢を変え。スパンと障子を閉めた月牙様は振り返りました。


「宿を変えましょう」


「今から宿を探すのは、かなり難しいでございますよ」


 ワタシの正論に、月牙様は額に指を当てつつ応えました。


「宿にいる間、君たちが客に絡まれたら面倒です。宿ではなく、通伝局(つうでんきょく)の前で落ち合いましょう。局留めにしている手紙が何通かあるはずなので、それを回収……」


 と、続けようとしたところで。


「あらぁ、色男がいるじゃないの。どうだい、そんなちんちくりんは置いておいて、あたしの部屋に来なアラ冷たい」


 塞ぎ切れていない障子の穴から、真っ赤に艶めく女の唇がのぞいたので、月牙様の外套が壁掛けに早変わりいたしました。


「……」


「月牙様、月牙様。無言で鳴子結界の準備を始めるのはおやめ下さいまし。お身体が休まらないでございますよ」


「これだから大衆宿は嫌いなんです……っ!」


 祈りの言葉より感情がこもって聞こえる、真摯な叫びでございました。歯ぎしりの聞こえそうな青年の渋面(じゅうめん)は、あちこちから聞こえる笑い声や三弦楽器の音でさらに深くなっていきます。


「まぁまぁ。こういった大衆宿は安値な上に、旅芸人(ワタシ)は仕事がしやすい環境だったりするのでございますよ」


 ワタシの言葉に一瞬、月牙様は唇を引き結びました。しかし即座に身を翻すと、怪しげな小道具を取り出し荷物をいじり始めます。


「不要な荷物を貸しなさい。勝手に開けられぬよう、細工を仕掛けておきます」


「宿の方が触るかもしれませんから、目潰しはちょっと」


「目潰しは騒ぎになると分かったので、麻痺する仕様に変えておきました。開けようとしなければ、何も起きません」


「どちらにせよ物騒でございますね」


 ワタシは苦笑しつつ、月牙様に荷物をお渡ししました。皇国の市井(しせい)の民の距離感といえば、こんなもの。仕切りは無いも同然な場所も多く、隣の客がちょっかいを出してくるなどという事も珍しくない。個人情報が守られる宿というのは、それなりに質の良い場所だったのでございました。

 これまでの月牙様は大衆宿を苦手とする様子ではありつつ、そこまで気にされる様子ではなかったのですが。リンドウで勝手に荷物を漁られてからは、警戒心が上がったようでございます。きっちり荷物に仕込みを終えると、早く出たいとばかりに立ち上がりました。


「ひとまず出ましょう。買い出しが終わったら、通伝局前に来て下さい。時雨、杏華を頼みましたよ」


「こころえた」


 時雨ちゃんの元気な返事を受けた後、我々はいったん大衆宿を後にしました。社務院に向かう月牙様、化粧品や布の補充に向かうワタシと時雨ちゃんは逆方向へ。化粧具屋の看板を目指して歩きながら、ワタシは肩を竦めました。


「前から思っていたのですが、月牙様は大衆宿の雰囲気が苦手なのでございますね」


 時雨ちゃんは串付きの飴細工から口を離すと、ワタシを見上げました。


「月牙、確かに静かなところの方が好き。でも、杏華に危険がないかを心配してる」


「ワタシに? 時雨ちゃんではなく?」


「時雨は、反撃あたっくで大体解決できる」


 見た目で舐められることは多いが、それも自力で何とかできる事が多い。鼻をふんと鳴らし、時雨ちゃんは不思議な銀灰色の髪を風になびかせました。


「けど、杏華は自衛ができないし、選べる仕事も多くない。同行させる以上は、いろんな生き方も選べるように、可能な限り教養を身に付けさせたい……って、前に言ってた」


「ゴリ押し同行かました相手に対して、そこまで真面目に考えていただけているとは思いませんでした」


 目を瞬かせるワタシに、時雨ちゃんはふっと微笑みました。


「杏華を連れ出した事に、責任は感じてるみたいだから。あのまま旅館にいたら、縁談とか決まってたんじゃないの」


「あー……」


 図星を突かれ、ワタシは斜め上の空を見上げました。当時のワタシは十五歳。同年代が身を落ち着け始める頃合いでございましたから、旅館の女将や周囲があれやこれやと手を回していた事は知っていたのでございます。


「月牙は月牙なりに、杏華が独り立ちできるやり方を考えようとしてる。慣れない勉強させられたり、動きが制限されたりで、大変だろうけど。ある程度までは、汲んであげて」


 青年が考えていた『理想の独り立ち』は。ワタシを、旅芸人以外の職に就かせる事だったのでございましょう。紹介がない限り、身元の怪しい鬼奴娘(きなご)が就ける仕事なぞ、限られている時代でございました。


「何と言うか……ワタシが思うより、月牙様のご負担になっていたようで、申し訳ないと言いますか」


「月牙が、勝手に動いてるだけ。旅の仲間としては、杏華はとても優秀。本人がそう言ってた」


 安くて良質な髪油や位紅、衣の修繕に用いる端切れや糸針。それらを相場、値切り済みの購入価格別で手帳に記し、あとで月牙様から預かった金銭を返す為の資料として残していきます。

 覚え書きに不足がない事を確認し、調味料の補充に向かう道すがら。時雨ちゃんは振り返りました。


「月牙、器用だからちゃんと生活できてるけど、杏華ほど旅に慣れてる訳じゃない。そこは、これからも助けてあげてほしい」


 時雨ちゃんが月牙様を語る時の口調は、まるで弟を語る姉のようでございました。ワタシもこれまでの経験から、『実は月牙様より、時雨ちゃんの方が精神的階級が上なのでは』と気付き始めていた頃でございます。


「時雨ちゃんは、ワタシより若いのにしっかりしているでございますね。ワタシも未熟者ですが、身が引き締まる思いでございますよ」


「うん。杏華もえらいね」


 時雨ちゃんの頭を撫でると、ワタシの方も撫で返されました。女子二人、えへへと笑い合った後。時雨ちゃんは表情を改めました。


「ただ、月牙はちょっと……ううん。かなり過保護。しかも見栄っ張り。そこは心配してる」


 本人に考えを伝えずに一人で動き、それ故に失敗(ポカ)しやすい。青年の特徴と懸念を淡々と語り、時雨ちゃんはきらりと目を光らせました。


「そして。月牙が時雨とあえて別行動したがる時は、だいたい何かを企んでる。ゆえに」


「ゆえに?」


「尾行する。急いで、買い物終わらせよ」


「何それ楽しそうでございますね」


 ──というわけで。ワタシと時雨ちゃんは月牙様と素直に合流せず、その動きを尾行してみる事になったのでございます。

 

◇物資補充

 遭難やシャリバテに備えて持ち歩く行動食には、それぞれの好みが出る。王道はブドウ糖、チョコレート、ようかん、ナッツ類など。

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