河港の街 前編01
「武器が欲しいですね」
唐突に。船の縁に頬杖を突きながら、月牙様は仰いました。この時の我々は廃鉱町を出て、次なる目的地、運河沿いに栄える『ハクバイ』に航路で向かっている最中でございました。
船は手漕ぎではなく、竜沁動力で外輪を回して進む小型の機巧船。室内には我々以外の客もまばらにおりましたが、我々が座した甲板は貸切状態でございました。
流れる景色は巨岩をくり抜いたような岩の門、深い緑に変わりつつある樹々。残雪抱く山の稜線、陽光に煌めく水面。それはもう、心地の良い旅路でございましたよ。
「……」
して、そんな風光明媚な旅に似合わぬふくれ面を晒す、青年一人。妙に機嫌が悪い月牙様を覗き込みつつ、ワタシは訊ねました。
「またまた。腰の刀は飾りでございますか?」
「わりと飾りです」
「本気で仰ってます?」
装飾ひとつない、素朴な刀──他の持ち物に比べると、質素な装いのそれをちらりと見降ろし、青年は続けました。
「刀なら、護身用に持ち歩いていても見た目が無難ですし。基本は教わっていたので、使ってみたのですが」
見栄を張った結果、使いこなせずにいる。体裁を気にするだけ無駄というもの。その他にもぶつぶつと仰っておりましたが、要は、刀は月牙様にとっては普段使いの武具ではなく。扱いにくさを感じる時や、異なる道具が欲しいと思う局面があった、と。そういった事を愚痴っていたようでございます。
「君もたいぶ体術や術式を使えるようにはなってきましたが、君の体格では、竜沁で補助をしなければ、機動力や火力を出すことができない。基本の鍛錬は続けるにしても、道具や武器に頼れる部分は積極的に埋めていった方が良いでしょう。それは僕も同様ですが、ただ、ううん……」
視線が左右に迷走、斜め上にて嘆息。日頃きびきびと動かれる月牙様にしては珍しい、優柔不断なご様子でございました。
「何やら歯切れが悪うございますね」
「別に。君が気にするような事は考えていません」
月牙様がぷいっと顔をそむけた先に広がる光景は、野菜を積んだ小舟、洗濯をする女人、畑に水をやる人々。そして、少し先にかすんで見えるのは、白き建物の群れでございました。
「まぁ、武具の話は置いておくにしても、久しぶりの大きな街でございます。物品の補充は、いろいろと必要でございますね。月牙様、位紅の残量はどれ程でしょうか?」
己の目尻に施した紅──朔弥の民は、男女問わず目に紅を施します──を指差しながら訊ねれば、月牙様はほとんど染料の落ちた紅板を振って見せました。
「あと数回で尽きますね。僕も時雨も、新しい位紅は必要です」
「化粧品は、ワタシがまとめて補充して来ましょうか? 月牙様も、いろいろと物入りでございましょ」
「買い出しを分担すると言う事ですか?」
「ええ。少なくとも、時雨ちゃんの髪用品は買います、買わせていただくでございますよ! 時雨ちゃんに、月牙様の櫛や髪油は確っ実に合っていないでございます! この髪を御すに足る、専用の手入れ品が必要ですっ!」
月牙様が、食事への関心の十分の一だけでも化粧品に向けてくだされば良かったのですが。
質は良いものの欠けた櫛だとか、肌に優しくない安物の紅や髪油だとか。当時はそんなものばかりをご使用になられていたので、容姿が商品たる芸人としてはひと言言わねば済まなかったのでございます。
「今回を機に、化粧品も肌に優しいものに変えるでございますよ。一度買えば長く保つのですから、しっかり選ぶべきでございます! 櫛も折れてますから、これを機に買い替えましょう。時雨ちゃんの髪に敗北したのでございましょう? ご安心下さい、月牙様にも時雨ちゃんにも、安く良い品を選んでみせるでございますよっ!」
「わぁ。めずらしく杏華の圧がすごい」
飴を転がしつつ眺める時雨ちゃんの言葉に、月牙様はバツが悪そうに首をかきました。
「ま、まぁ、頼めるのであれば任せます。僕も個人的に行きたい場所はいくつかありますしね。化粧品は、君が良いと思うものを買ってきて下さい」
「承知でございます! 船がつくのは昼頃でございますね。ワタシは芸人登録も必要でございますので、月牙様と時雨ちゃんとは、夕刻に宿で合流できればと思います」
月牙様はぴくり、と指を動かしました。
「杏華。芸人登録、とは何です?」
「我々のような芸人には、様々な出自のものがおりますからね。大きな街では、名と容姿を登録し、決められた場所、決められた範囲での芸を行うのでございます」
街にいる間は鑑識札と対になる預け札を旅芸寄合に預け、街を離れる時に札を回収する。芸人の動きを監視し、犯罪行為を予防する皇国の制度でございました。
「一定の信用がある、と認められた者であれば仕事も良いものを斡旋していただけますし、貸衣装や楽器を借りる事もできるでございますよ」
「杏華」
「はい、月牙様」
「それ、登録しないで下さい」
月牙様の言葉に、目を瞬かせ。ワタシは、慌てて反論を紡ぎました。
「し、しかし月牙様。芸人登録をしていなければ、芸を行う事が許されません。もし見咎められれば、警衛隊にしょっ引かれてしまうでございます」
「芸をやらなければ良いでしょう」
青年は、普段よりもやや低い声で続けました。
「必要な費用は全額僕が出しますから、君は支出を心配しないで宜しい。それと、衣装も目立たないものに変えておいて下さい」
「……?」
月牙様は初め、『道中で稼ぐ』という概念をお持ちではありませんでした。旅が必要経費となる旅芸人とは逆に、旅そのものが仕事となる、特殊な任を与えられた為でございましょう。物品費は一定の支給があり、鑑識札を見せれば最低限の宿は確保でき、道中で食材が足らなければ山に入る。
そういった生活をしていたようですので、同行したワタシが道ゆく人に声を掛け、まじない歌、あるいは歌物語を披露し。雑務をこなして食物と交換したり、日銭を稼ぐ様に驚いておられました。
ワタシという同行者が増えた以上、食費や、社に泊まれぬ時の宿代が増えるからでしょう。ワタシが芸や雑務で稼ぐ間、月牙様は淡々と宿で食事の用意をしておられる事が多く。そも、食材に関しては『できれば赤茄子を貰ってきてください』などと指定されるような状況でございました。
──要するに。ワタシの芸を行動を制限するような事を月牙様が仰ったのは、初めてだったのでございます。
「何か、お考えがあるのでございますか?」
訊ねたワタシに、月牙様は静かに頷きました。
「考えなく、君の権利を奪うような事は言いません。ただ、僕に同行したいのであれば、今回は理由を聞かず、従ってください」
「承知でございます……ハァ、稼ぎどころだと思ったのになァ」
嘆息混じりに仰いだ空は、長雨を抜けた伸びやかな青。汽笛が響き、少しすれば船は河港に接岸いたしました。
眼下に広がるは異国風の建築が並び、柳の葉が揺れ、鉢植えの花々が彩る美しき街ハクバイ。
──この街への来訪を機に。我々の物語は、徐々に加速したのでございます。
◇船による移動
慣れてくると楽しいものだが、外海に乗り出した時の揺れに筆者は抗えないので、ひたすら音楽を聴きながら横になり、海の動きに同化する事しかできなくなる。船の上で半年過ごしたりする海系理系蛮族の忍耐力はマジで理解できない。




