彷徨うモノ 後編06
廊下を抜け、中庭の血の跡を超え、昼下がりの町を歩きます。郊外に向かう道には色の褪せ始めた紫陽花が並び、絵画の如き光景を作り出しておりました。
「水源巫師が扱う鎮魂術式……つまり浄化のための怪祓は、ケモノを引き寄せたり、病の元となる病原体を、骸から水分ごと除去し分解しています。外見を大きく変えないまま木乃伊にして、火葬し易くする、といった目的も大きいですね」
魂を風に還し、屍は土と火の領分へ。水源の教えに沿った骸の処理、火葬を行うまでが前提の術式である、と。説明しつつ、月牙様は歩みを進めます。
「君は知っていると思いますが、鬼奴の民が火葬を厭うのは、屍肉が食される事によって生命が巡ると考える為です。とはいえ、病の発生源となる状態の悪い屍まで同じ扱いをしていては、すぐに病気が蔓延してしまう」
寂れた廃鉱町に、しゃん、しゃんと足音を響きます。青い鼻緒の高下駄、その踵に取り付けられた鈴の音色でございました。
「ゆえに、水源巫師が扱う『浄化術式』に該当する術式が、鬼奴の技──鬼奴呪術にも存在はしています」
骸を術式で急速に腐敗させ、その竜沁を術式に還元。植物の種を撒き、骸から生まれさせる事によって、生命の循環を引き継がせる。
腐敗の過程があるので見た目は良くないが、『空気中への竜沁拡散』を目的とする水源巫術より、術者が回収できる竜沁量が多く、竜沁の使い回しが効く、と。青年は肩をすくめました。
「今回はこちらの鬼奴呪術を、鎮魂術式に応用します」
青年に、ワタシは言葉を選びつつ訊ねました。
「月牙様は、鬼奴呪術を日常的にご使用になられるのですか」
「適性もあるので、扱えるのはごく一部です。その上、僕は水源巫術の扱いに特化してしまっているので、大きく体系の異なる鬼奴呪術の発動には、補助具が必要になります。まぁ、良い顔をされないことの方が多いので、基本は使いませんけど」
「補助具……概念的な礼装や、祭具とは異なるのでございますか?」
「実際に見れば分かりますよ」
そんな会話をしていれば、すぐ埋葬地に辿り着きました。時雨ちゃんが言っていた通り、埋葬地には野次馬がわんさかと集まり、タタリモッケの骸を我先にと覗き込んでいる状態でございました。
「──大将。大変お待たせいたしました」
「坊主、身体は大丈夫なの……か……」
振り返った大将の絶句は、月牙様の服装にありました。白と青を基調とする清浄な衣に、水晶装飾や布面、羽衣が加わった非常に美しい出立ち。旅装に巫師の外套のみを纏う略式礼装ではなく、正式な祭礼用の礼装でございました。
本来は女性を想定した意匠を、男性用に作り替えているからでしょう。中性的な美しさが滲み出ると同時に、高下駄がしなやかな青年の体躯と輪郭を強調し、独特の雰囲気を醸し出しておりました。
「……なんだ、ずいぶん着飾ってきたな」
「死者を送る場に、血濡れの衣では相応しくないと思いましたので」
青年は薄布の面を少しめくり、大将と目を合わせて微笑みました。我々の到着に気付いた他の人々も、青年の出立ちに視線を奪われ、ざわざわと言葉を交わし始めます。
「では。タタリモッケの葬送、並びに埋葬地の鎮魂の儀を始めます。少しお下がりなさい」
枯れ木と棺が立ち並ぶ、曇天の埋葬地。湿った風が吹き抜け、色褪せた此願花を揺らします。
荷車の轍が続く先、タタリモッケの骸のすぐそばまで。しゃりん、りゃりんと清浄な鈴の音が響かせながら、青年は歩み寄りました。
「巫師とは言っていたが、本当に女々しい服装で来たな」
「武人としての腕は確かなんだろうが……鎮魂の儀まで任せて大丈夫なのか」
月牙様は多くの視線、声に怯む事なく、淡々と作業を進めました。怪物を囲うように鎮魂樹の枝で陣を敷き。此願花を手折ってタタリモッケの骸に重ねると、鎮魂の祝詞を唄い始めました。その、祈りの言葉は。
「……」
言葉を失うほどに朗々と、堂々と。老齢の巫師に劣らぬ響きを以て、空気を掌握しました。
陣に照らされる巨大な屍と、清涼たる祈りの歌。場の空気に飲まれた町人が静まり返る中、祝詞を終えた月牙様が取り出したのは、細やかな装飾を施された横笛でございました。
「時雨ちゃん、あの笛は?」
「あれは、術式機巧。竜胆石で稼働する、異国の絡繰」
時雨ちゃんにこっそり訊ねると、小さな声で応えがありました。
「機巧は、祈祷術式のながれを計算とかに置きかえて、結果だけを取りだす。月牙は水源巫師だけど、あれを使えば、鬼奴呪術の結果だけを出力できる。ただし、術の応用はあまり効かない」
「はぁ、なるほど……」
祈祷術式は、祈りの祝詞によって発現する現象を定義します。あの絡繰は、『祈りによる発現』で必ず付随する祝詞の詠唱を、より現代的な流れに置き換えるのでしょう。
月牙様は布面の下で小さく何事かを口ずさむと、ふぅっと横笛に息を吹き込みました。奏でられるのは──子守唄。宿の奥方が歌い、その子供が記憶し、タタリモッケが反響した、あの曲でございました。
「あ……」
誰かが呟いた、直後。骸に添えられていた此願花が枯れたかと思うと、恐ろしい勢いで緑が萌え出で、あっと言う間に、怪物の身体を覆い隠しました。その隙間から皮や肉が朽ち、骨を残して解ける様が見えましたが、それも花々に覆われ隠されてしまいます。
──屍が、花に食われて朽ちて行く。その光景は、鬼奴の技を見慣れぬワタシの目には恐ろしく映りました。大将を含む、朔弥人の血が濃いように見える人々は、ワタシと近い感想を。鬼奴の血を色濃く反映している面々は、反対の感想を抱いていたように思えます。しかし。
「おい、見ろ!此願花が……」
骸を中心に、藤色の光が地面に走ったかと思うと。時を早めたかのように、此願花が一斉に萌え出で、蒼色の花を弾けさせました。
風にそよぐ、鮮やかな蒼の花畑。その中央に立つ純白の衣の青年を、曇天の隙間から差し込んだ陽光が照らし出しておりました。
「──今は遠き、水源よ」
鬼奴の技によって、タタリモッケに浄化を施し。一時的ではあるのでしょうが、埋葬地に此願花を満たし。青年は、続けて鎮魂術式の詠唱を開始いたしました。
そよぐ花々が輝き、解け、光の玉となり。小魚の姿を取って集います。青年がすぅと指差せば、光の魚群は閃きながら棺に吸い込まれて行きました。
信仰の異なる者達を等しく魅せる、生と死の幻想舞。咲き乱れていたはずの此願花が消え、光の小魚達が消え。青年が静かに振り返るその時まで、誰ひとり声を上げるものはおりませんでした。
「大将」
我に返った町人達が、青年にぼそぼそと挨拶や謝罪の言葉を添え、そぞろに立ち去った頃。月牙様は布面を外し、タタリモッケの骨の前に立つ大将に話しかけました。
「なるべく鬼奴の葬送に沿うよう工夫は行ったのですが、想定より皆様の目に付いてしまいました。申し訳ありません」
「いや。皆も、あんたが口だけの男じゃないと思えただろう。化け鳥の死体を見ても、あんたを疑う奴は疑ってたからな」
大将は気まずそうに、首の後ろに手をやりました。少しの沈黙を挟み、月牙様は続けます。
「大将。我々が対峙し、葬送を行ったモノは、間違いなく怪物でした。生態を逸脱した攻撃性を持ち、我々に害為す存在へと成り果てていた」
自重に耐えられなかったのでしょう。音を立て、タタリモッケの骨が砕けるました。砂のように砕け、砂に混ざり。それが生命であった痕跡は、風に流され消えて行きます。
「しかし同時に、あなた達の子の想いを運ぶ存在でもありました。だから、奥方や……あなたが、あの怪物に我が子の姿を重ね、祈り弔いたいと思った気持ちは間違いではなく、否定されるべきものでもありません。どうか、周囲に何を言われようと、己の心は否定なさらないで下さい」
声を失う男の前で、巫師の青年は深々と一礼しました。
「あなたとご家族に、良き風の導きがありますように」
降り出した雨の音が大きくて、灰色で。大将がどのように言葉を返したのか、ワタシには分かりませんでした。
「……我々も戻りましょうか。雨も降ってきた事ですし」
「あぁ」
ただ。頬を拭い、雨具を揺すり上げた大将の表情は、憑き物が落ちたようでした。しかし、これから荒れた泥道と、廃墟の道を行かねばならぬ事は変わりません。
さっさと夕飯の支度をしよう、などと言い合いながら、我々は帰路につき。道の復旧を待って、我々は旅立ったのでございました。
──怪物はあくまで怪物である。人に害為すという事実は変わらないのに、人々の心を揺さぶってしまう。廃鉱町リンドウでの出来事で、ワタシは怪物の在り方の不思議さを強く感じたのでございます。
……我々の出立後、この廃鉱の町リンドウはどうなったのか。未解決の問題は解決したのか、でございますか。
リンドウ周辺の地域では、後の調査で採掘による鉱害、病の原因となる川と土の汚染が明らかになり、採掘反対運動も巻き起こりました。増加した岩跳鹿による食害も土砂災害を加速させ、町は退廃の一途を辿ったのでございます。
人口が多かった地域では、寂れながらも町としての原型を残しておりますが、『リンドウ町』はあの山の地名に──墓石の並ぶ草原に、その名を残すのみでございます。
物事の原因が分かり、解決策が提示されたとしても。それを解決する人手や技術がその土地になければ、結末を変えられない場合もございます。
しかしワタシは、我々がこの地にて行った一切が無駄であったとは考えておりません。町の姿を失ったとしても、人々の営みと祈りの記憶は、土地に根付いているのですから。
その証拠に。山の麓には、小さな資料館が残っております。そこに赴けば、足の悪い管理人が、消えた廃鉱町の歴史を教えてくれるでございますよ。もし機会がありましたら、ぜひお立ち寄り下さいませ。
さてさて。廃鉱町リンドウを抜け、我々が次に向かった土地は水運街ハクバイ。この辺りで最も大きく、あらゆる商品が集う川港の街でございました。
廃鉱町の出来事がなかなか波瀾万丈でしたので、話を聞くあなたも身構えておられるかもしれませんね。しかし、ご安心あれ。
この街での出来事は、平和かつ抱腹絶倒の喜劇仕様。今思い出しても腹がよじれ、笑いで喉が詰まってしまいそうな記憶が大半でございますよ。
◇リンドウのモデル
理系蛮族として山々を巡った筆者が最も愛した、寂れた廃鉱の町。山のあちこちに転がる墓石や谷の名が、滅びた村の記憶をわずかに残している。




