彷徨うモノ 後編05
「月牙様、お目覚めになられましたか?」
食材を抱えて部屋に戻った頃。月牙様は既に身を起こし、己の手のひらを見下ろしておりました。藤水面の瞳がワタシを捉えた直後、月牙様の唇はひくりと引きつりました。
「君、いつ僕を布団に移しましたか」
「お声がけしたら、わりと自力で移られてましたけども」
「では、身を拭うのも自力で?」
布団のそばに置いていた浴衣を手繰り寄せつつ、月牙様は新品の包帯を掲げてみせました。
上衣は返り血で汚れていたので剥がせていただいており、脚衣はそのまま。顔や腕などは最低限清めた上で、初日の怪我を覆う包帯を巻き直した──という状態でございました。
「身支度は多少お手伝いさせていただきました。後でやると言って、お聞きにならなかったので。外した装身具は、枕元に置かせていただきましたよ」
「僕の意識がない間に触ったのですね。胡散臭いのは許しますが、破廉恥案件は君には早いです大馬鹿者」
「エエ……そんな乙女の如き反応をされるとは思いませんでした」
月牙様は浴衣を羽織ると、長くため息をつきました。
「礼は言いましょう。君にそういうつもりが無かったのは分かっていますしね」
「そういうつもりって、どういうつもり唐突な額面指弾いたぁい!」
なぜか顔面指弾をくらい、額を抑えて悶絶するワタシをよそに、月牙様は周囲を見渡しました。
枕元に並べられた髪紐や祭鈴、耳飾りなどの服飾品。財布や薬入れ等の貴重品の類が揃っている事を確認して、月牙様は表情を改めました。
「時刻は? タタリモッケの死体はどうなっています」
「だいたい半日ほどお眠りになっておられたので、今は昼を過ぎた頃でございます」
水差しから湯呑みに水を移しつつ、ワタシは続けました。
「骸は血が溢れぬよう、針で止めてから郊外に運び出しました。ケノ避けの護符も設置してあります。時雨ちゃんは、月牙様がお目覚めになられたら判断を仰ぐと」
水をひと息に飲み干し、月牙様は髪を束ねました。
「分かりました。町人が集まって来る前に、残りの作業を終わらせたいと思います。人目が多いと、気にする事が増えますからね」
「ええと、その事なのですが……」
言いかけたところで、鈴の音に気付いて顔を上げます。廊下を駆け、部屋に顔を出したのは時雨ちゃんでした。
「──もうおそい。町人、いっぱい埋葬地に集まってる」
「時雨ちゃん」
「物珍しいのか、みんなで野次馬してる。時雨が言っても、みんな聞かない。大将もたじたじ」
「やはりですか」
月牙様は、あちゃあ、とばかりに額を抑えました。
「タタリモッケ、火葬するの自体は問題ない。困るのは、埋葬地にかける鎮魂術式だよ」
タタリモッケ一羽を討伐したとて、岩跳鹿や玲瓏鳥を引き寄せ、怪物化させる原因たる寄セ物を除去しなければ、根本的な解決には至らない。時雨ちゃんは、袖を振りながら続けました。
「あれだけの死体があるから、ケモノが関心を示さないくらいの浄化度にするには、かなりの元手がいる。地下水脈から引いての補助は、もちろんやるけど……」
「広範囲の水源巫術を発動するには、蓄沁具が足りませんね。昨日の結界維持で、かなりの予備を使ってしまいましたから」
「蓄沁具、とは何でございますか?」
私の問いに、月牙様は自らの耳飾りを指差しました。
「術式の発動に備えて竜沁を貯めておく、特殊な宝飾具ですよ。昨晩、結界発動の御饌不足を補う為に、時雨が使うのを見たでしょう」
「あぁ、なるほどでございます」
術式の発動に、人間一人が持つ竜沁で足りない場合。
竜沁を御饌や周辺の環境、あるいは蓄沁具──今時の言葉ではバッテリー、ですね。そういった様々な道具が、補助として用いられておりました。
しかし、この時の我々は前日の防除結界に資源を消費してしまい、寄セ物除去に回すはずだった資源が不足していたのでございます。
月牙様は肘を指で叩きつつ黙考すると、やがてパッと顔を上げました。
「タタリモッケは火葬しようと思っていましたが、予定変更です。うまく立ち回らねば、町人の反発を招く恐れもありますが。ここはひとつ、鬼奴の流儀に倣うとしましょう」
「鬼奴の……あぁ、そういう事」
「え、どういう事でございます? ご説明いただけるとありがたいのですけども」
「手を動かしながら説明します。ところで杏華」
「はい?」
「さっきから気になっていたのですが、そこの食材はどうしたのです」
部屋の隅に積んだ缶詰や卵を示され、ワタシは頬をかきました。
「あれは……町の皆様に声をかけて、分けていただきました。お怪我が早く治ればと。まぁ、ワタシはさして料理ができないので、缶詰を中心にいただいてきたのですが」
ワタシの耳飾りが無くなっている事に気付いたのでしょう。月牙様は、少し目を逸らしてから仰いました。
「心配を掛けましたね。それに、どうやら私財も切らせてしまったらしい」
浴衣の帯を締めた月牙様は、布団を跳ねて立ち上がりました。
「ですが仕事は終わっていません。労いは、夕餉の品数にて示します」
「え? ですが、缶詰ですので」
「侮らないでいただきたい。既製品であろうと、ひと手間かけるのが自炊の基本ですよ。ずっと同じものを食べていては、飽きがきますからね」
「まさか、今日から厨房に立つおつもりで? まだお身体に障りますよ」
慌てて駆け寄ったワタシに対して、月牙様はつんと顔を逸らしつつ応えました。
「早く作業し早く眠れば無問題、健康安泰です。不安に思うなら、君も手伝いなさい。さっさと動きますよ」
表面上は刺々しい言葉でしたが、月牙様の物言いは非常に穏やかでした。とはいえ、その表情は不機嫌極まりなく、普段の優男っぷりが台無しになるむくれっ面でございましたが。
「ええい理不尽な。夕餉、期待するでございますよ」
むくれるふりで、頬が緩むのを隠しながら。ワタシは、少し気分を良くして月牙様の後を追いかけました。
「さて、月牙様。まずは何をするでございますか」
「俗っぽい言い方をすると、おめかしをします」
「はい? 」
はい。当時、朔弥人の間で一般的だった目の化粧、位紅を塗る度に『男も化粧する文化って、冷静に考えると面倒だと思うんです』。『清潔な身なりは重要ですが、装飾過多な服は僕には不要です。君や時雨が着ていればよろしい』……などと。
身なりは整えていらっしゃるものの、おしゃれへの興味が一切見えなかった月牙様の唐突な発言に、ワタシは目を瞬かせました。
そして一刻と少し。三ツ烏の行水の如き速度で湯浴みを終えた月牙様は、おめかしと揶揄する衣に袖を通したのでございますが──
◇月牙の体調不良
けが、雨、食事不足のトリプルパンチで少しずつ消耗していた。体温が下がると血が止まりにくくなり、傷の治りも遅くなる。月牙は自分の判断で動いていたが、どこかから落ちて強い衝撃を受けると頭や背骨を傷めている可能性があるので、現代社会ならおとなしく医療機関に行くのがgood。




