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彷徨うモノ 後編04

 

 さて、緊迫した現場が一転。ワタシがみっともなく喚く声を聞いて、大将はそろそろと近付いて来ました。


「終わったのか」


「はい。すぐにお声がけできず、申し訳ありません」


 言いながら顔を上げた月牙様を見て、大将は息を飲みました。


「あんた、顔色が酷いぞ」


 見上げてみて、ワタシは言葉を失いました。月牙様のこめかみには絶えず汗が伝い、しかし顔からは一切の血の気が抜けていたのです。見れば手も微かに震えており、淡々とした声音だけが明らかに浮いておりました。


「月牙様。少しお休みになられた方が」


「後で休みます」


 ワタシの提案を跳ね除け、青年は立ち上がりました。


「それより大将、奥様を呼んで下さい」


「大丈夫なのか」


 青年は淡々と頷きました。


「お渡したい物があるのです」


 大将は躊躇いつつも、女人を連れ出してきました。きっと、どこかの部屋に軟禁していたのでしょう。物凄い勢いで飛び出してきた女人は絶句し。震える足取りで怪鳥の前に歩み寄ると。


「あぁ、あ、あぁああぁあ……!」


 長い髪を振り乱し、悲痛な慟哭を突き上げました。

 死してもなお、刀が突き刺さっていたからでしょう。怪鳥から溢れた血は僅かでしたが、それでも女人の足は赤く染まっていきます。


「キチジ、キチジぃ……!」


 繰り返されるのは我が子の名前でしょう。人を喰らう怪物の死体を抱く女人の声は、悲痛極まりなく。正当な対応を為したはずなのに、胸の底から罪悪感を湧き上がりました。


「時雨、あれを」


 青年の言葉に進み出たのは、時雨ちゃんです。淡々と女人に歩み寄り、その鼻先にずいっと何かを差し出します。


「これ。貴女にあげる」


 突き出されたのは、淡い光を灯す羽根でした。その羽根が震えるたびに、音が──子供の声が、聞こえます。


『おっ母』『おっ父』『ごめんねぇ』『おやすみね』


 それは、怪鳥(タタリモッケ)が繰り返していたのと同じ言葉。しかし、鳥が真似た歪な言語ではなく。ただ純然たる人の言葉として、そこに在りました。


「おい。これは、何だ」


「タタリモッケに捕食された、お子様の亡骸に残っていた思考……その心の反響です」


 そう。時雨ちゃんが発動したのは、怪物から特定の竜沁を切り出す術式だったのです。弾かれたように顔を上げた大将に、月牙様は静かに続けました。

 

「反響は、切り出してもすぐ消えてしまいます。しかしそれは、怪物の中に囚われていたあなた方の子が、本来の在り方に帰るという事。在るべきところに還る様を、見届けてあげて下さい」


 しゃぼん玉のように弾けては消える子の声は、日向を駆ける小狐(こぎつね)のような軽やかさを伴っておりました。やがて羽根から発せられる光は弱まり、女人の頬を撫でた光の玉は、朝焼けの空に薄れて消えていきます。


「あ、あぁあ……! 」


 女人は再び呻きましたが、その声に滲むのは怨嗟(えんさ)ではなく、ただ純粋な哀しみであったように、ワタシには聞こえました。

 藍色の空が暁に染まり、周囲も明るくなるまで、子を失った夫婦は互いの肩を、そして羽根を抱いておりました。


「タタリモッケは、こちらのやり方で処理させて下さい」


 青年は、怪鳥の顔が泥に埋もれているのを見て、肩を押し当て骸を転がしました。中途半端に開いていたまぶたを閉じさせると、青年は振り返ります。


「土葬や風鳥葬では、他のケモノを引き寄せてしまうかもしれないので。よろしいですか?」


「あんたに従おう。だが、その」


 大将は奥方を立ち上がらせ、少し迷った後に言葉を続けました。


「その鳥も。可能な範囲で良いから、弔ってやってくれ」


 恐ろしかった。脅威だと認識している。しかし、それでも、打ち捨てるには。うまく言葉にできずにいる大将に、青年は微笑みました。


先逝子(さきゆきご)の声を伝える、鬼奴(・・)子守神(こもりがみ)としての大義を果たした者です。巫師として、死者を送る儀を知る者として。最大限の敬意を持って、在るべき場所に還しましょう」


「……そうか」


「ええ」


「すまない」


 ふたりの静かなやりとりを、ワタシは、輝く朝露に彩られた夜明けと共に見届けました。

 大いなる水源、生命の還る場所を祀る青年が、『水源』という言葉を使わなかったのは。死者の身体、怪物の魂は鬼属のモノとして土と火の領分に入ってしまい、水源に還るという教えではないから。

 そして鬼奴の民が、『死したものは、喰われる事で他の生命となる』と考える事を知っていたからでしょう。


(……やはり、月牙様は巫師らしくありません)


 巫師は清浄と信仰を人々に守らせ、伝える者。しかし、この青年は教えを伝える事は恐らく重視しておらず、あくまで実利を取り、状況によっては歪ませる。

 月牙様の在り方は、この町の人々のように、鬼奴の血と信仰の狭間で生きる者にとっては恐らく心地良いものであり。信仰の守護者としては、危うい存在であると感じました。


「杏華、君も落ち着きましたか」


 ──しかし。真摯(しんし)な信仰に生きても、報われる事がない。地に属する者として、空を見上げる事しかできなかった鬼奴子(ワタシ)にとっても、夜闇を照らす月のような生き方に見えたのでございます。


「問題ないでございますよ。先ほどは、申し訳……」


「以前から思っていたのですが、君のしみったれた謝罪なぞ、辛気臭くて聞いていられません」


 月牙様は頬に伝う汗を拭おうとして、手を下ろしました。血に汚れた手を、既に返り血で汚れた衣で拭い、嘆息します。


「口にするのは、謝罪ではなく感謝にしなさい」


「……承知でございます。ところでその衣、誰が洗濯すると思っているでございますか?」


「あっ」


「あっ、じゃねぇでございます」


 この青年、衣服の汚れの大半を水や風の術式で解決し、落とせない場合は買い替える、という習慣で生きてきたらしく。炊事能力に対して、洗濯技能は著しく低い状態でございました。


「もうだいぶ汚れてるので、誤差ということでひとつ」


「今回だけでございますからね」


 軽口を交わし、ワタシも月牙様も、ふにゃりと顔を緩ませました。この町に来てから怒涛のように押し寄せていた脅威が、ひと段落したのです。頭の奥を刺し続けていた緊張の針が、抜けかかるのを感じました。


「さて。この巨体を、そのまま運ぶのは難しいでしょう。荷車も壊されてしまったので、他の方から借りてくるか、四肢を落として軽量化を……」


 それは、月牙様も同じだったのでございましょう。表情を改め、怪物の死体を見上げようとした青年でしたが──


「月牙、だいじょうぶ⁈ 」


 ──顔を上げた勢いのまま、青年は後ろにどさりと倒れてしまいました。


 時雨ちゃんが先んじて、遅れてワタシも駆け寄りますが、月牙様は自分が倒れた事に理解が及ばなかったのでしょう。尻餅をついたまま、唖然とした表情で目を瞬かせました。


「申し訳ありません。少し立ちくらみが」


「月牙、もうむりだよ。怪我してから、ずっと動いてる。昼の仮眠だけで、足りるわけない」


「時雨ちゃんの言う通りでございますよ。指示さえいただければ、実際の作業はワタシがやります」


「気持ちはありがたいですが、慣れない者が解体をすると、逆に時間がかかりますから。君は普通の獣や魚を捌くのでさえ下手くそなので、もう少し肉や刃物の扱いに慣れてから触った方が安全で……」


「ど正論ですけども、そんなふらふらの状態で動き続けるのも合理的ではございませんよ」


「しかし」


「月牙の兄ちゃん(・・・・)。しかしもへったくれもねえだろう」


 ぐいと月牙様の腕を持って引き上げたのは、宿の大将でございました。


「嬢ちゃん。その駄々っ子坊主を風呂と布団に突っ込んで来な。ここから埋葬地まで、骸は町の人間で移動させる」


 『だ、駄々っ子坊主……⁈ 』と顔面を張られたような顔をする青年を傍目(はため)に、ワタシは大将を見上げました。


「よろしいので?」


「よろしいも何も。他所の子供達ばかりが身体を張って、俺が何もしないってわけにはいかないだろう」


 首の後ろをわしわしと掻き回す大将を見つめ。青年は、しゅんと肩を落としました。


「……申し訳ありません」


「謝罪は辛気臭いから嫌とか、嬢ちゃんに言ったばかりだっただろうが。良いから、あんたはさっさと休め」


「怪物の死体は、扱いにコツがある。時雨が見ておくから、杏華、あとお願いできる?」


 ワタシは頷くと、月牙様を促し歩き出しました。本人も自身が限界だとは理解していたのでしょう。怪物の遺体、大将に弔いの作法で一礼を行い、踵を返したのですが。


「杏華、湯浴(ゆあ)みは後で。取り敢えず寝させてください」


 部屋に戻るなり、月牙様は土を固めただけの土間に座り込んでしまいました。木張りの床を血で汚さぬための配慮でしょうが、それどころではありません。


「お身体が冷えますよ。たらいでお湯を持って参りますから、土間に座るのはおやめ下さいな」


「心配性ですね。付き人じゃあるまいし、そこまで世話を焼かずとも良いのですよ」


 月牙様の言葉は柔らかく、ワタシを気遣うようでもありましたが。それでも、微かな拒絶の意思は感じました。


「駄々をこねる局面では、ございません!」


 ワタシは大げさに肩をすくめてから、油紙を床に敷きました。


「こんな生意気な付き人がおりますか? あくまで、旅の(ともがら)としての気遣いでございますよ。お怪我をされたのは、そもそもワタシのせいですしね。さ、早く土間から上がって下さいまし」


 油紙をペシペシと叩いて促すと、月牙様は土間を上がってすぐの床に腰掛け、そのまま横になってしまわれました。


「月牙様? 」


 声を掛けてはみるものの、動こうという気概は一切感じられません。というか、ほぼ気絶のような形で眠ってしまわれたようでした。


「……結局、無防備の極みを晒しておられるではございませんか。ワタシが言うのもなんですけども」


 青年を疲弊に追い込んだのがそもそも自分ですから、とやかく言える筋合いはございません。予備の油紙を月牙様の肩にかけ、ワタシは立ち上がりました。


 その後、布団や湯の準備を済ませたものの、意識朦朧(いしきもうろう)といった有様の月牙様を動かすのも忍びなく。大将の許可は得て、月牙様をそのまま布団にぶち込ませていただきました。


 少しすれば、時雨ちゃんが呼びに来てくれたので、人手を呼んで、タタリモッケの骸を郊外、埋葬地の空き地まで運び出しました。

 この町には元炭鉱夫の屈強な方が十分におりましたので、懸念したほどの労力はかけずに済んだのです。


 骸を郊外に運び出した後、月牙様の術符を用いたケノ避けも時雨ちゃんの指示で設置できたため、基本的には青年の目覚めを待つ事といたしました。


 町の男衆に頼み、桶やら荷車やらは集めたものの、ワタシの判断のみで動ける事は多くなく。

 ワタシの服飾と交換で、卵やら異国の缶詰やら、精のつきそうな食材を抱えて戻った頃合いに、月牙様はお目覚めになられました。

 

◇とりあえず運ぶ

 体格の大きい獣をそのまま運ぶのは至難の業。道具を駆使したり、内臓を抜く、四肢を落とすなどの最低限の処理をしてから運ぶなどの対応が必要になる場合もある。

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