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彷徨うモノ 後編03

 静まり返った庭の中央に、ただ一人。衣を目深に被った状態で、ゆっくりと進み出る者がありました。

 響くは子守唄。決して上手ではない女の声で紡がれる、優しくも儚い歌。夜の闇を超えて、その旋律が細く確かに響いた時。


 ──ほうほう、ほろほろ。ほう、ほろろ。

 

 聞こえました。遠くで遊ぶ子供達の笑い声、その残響にも似た鳴き声が、人面鳥(タタリモッケ)の羽ばたきに乗って降りてきたのです。

 しばらく鳴いていた怪鳥でしたが、目当てのものを見つけたのでしょう。翼をぐわりと持ち上げ、矢のような勢いで降下して来たかと思うと──


 奥方の衣を被った月牙様(・・・)めがけて、真っ直ぐに鉤爪を突き出しました。


「……っ!」


 怪鳥の全貌を再び目の当たりにして、ワタシは怖気立つのを感じました。竜沁が溢れているためでしょう、怪鳥の身体がぼんやりと発光しているものですから、その羽毛のうねりから刃物の如き鉤爪まで、明瞭に捉えることができました。


『──討伐の為、奥方の子守唄を音写(おとしゃ)させて貰いました。僕の分身神(わけみがみ)から歌を流して、怪鳥を引き寄せます』


 昨晩、月牙様から伝えられた作戦。それは、怪鳥を引き寄せる原因たる女人、『寄セ者』に偽装した月牙様による罠への誘導でございました。


 女人の衣に、本人の竜沁の波紋を被せたものを被り、竜沁を視るタタリモッケの目を騙し。奥方の歌を音写──今で言う録音でございますね。録音した歌を術式で流す事で、耳を騙して誘い込む(・・・・)

 言葉で言うのは簡単ですが、そのひとつひとつが高度な技術と知恵の賜物でございました。当時は音を録る絡繰はほとんど出回っておりませんでしたし、市政の者では、竜沁を偽装するなどという高等技術を使う事はできません。

 つまり、これは月牙様だからできた事。そして、月牙様もやむを得ず選んだ作戦でございました。


 さぁ、月牙様に突き出されたのは、迷いのない凶器と視線。初日の流血沙汰をどうしても想起してしまい、ワタシは心臓を掴まれたかのような感覚を覚えたのですが。


「──竜ノ舞(たつのまい)


 冷静な青年の声と同時に、目前で光が爆ぜました。月牙様が飛び退き、跳躍した先は建物の屋根。勢い余った怪鳥は地面を掴み、砂煙が舞い上がりました。


「杏華、いま!」


 時雨ちゃんの声を聞くや否や、ワタシは持っていた縄を思いっきり引きました。

 ビシリと鋭い音を立てて縄が動くと同時に、木組みに張られた網罠が、怪鳥を地面に叩き落とします。

 悲鳴を上げる怪鳥に暇を与えず、青年は屋根を蹴り突貫しました。


 ──狙うは心ノ臓、もしくはのど元。目的は、素早く脳への栄養を断ち、治癒能力と声を封じた上で速やかな死に導く事。ついでに言えば、派手に切り裂く事で宿を汚さない為の配慮もございました。

 確実な一撃を振るおうとした青年でしたが、しかし。


(網罠の木枠が、怪鳥の頭部に……!)


 横向きに押さえられた怪鳥がもがいたせいか、ワタシが縄を引く時間にズレがあったせいか。網を支える為の木枠が、怪鳥の頭や首を押さえる形で守って(・・・)しまい。次に狙いやすい心ノ臓は、羽ばたく翼の向こう側。

 青年は無言で刀の構えを変え、網の隙間から刃を突き立てました。位置は横腹。恐らくは肋骨(あばらぼね)の間。刃の位置を少しずらせば、心ノ臓に到達する──そう、思った時でございました。


『ギィイーッ!』


 絶叫した怪鳥の怪力に、急ごしらえの網罠が競り負けました。バキャッと凄まじい音を立てて罠が破砕し、血飛沫を散らしながら怪鳥が飛び立ちます。


「逃しは、しません……っ!」


 罠の破片を回避し。怪鳥を追って樹上に飛び乗った青年の手には、(おもり)を付けた鎖の束。手慣れた動きで投擲された鎖が、怪鳥の足を捉えた──ワタシがそう認識した直後。


「っ、らぁあぁあああっ!」


 鎖上を、奔流のように竜沁の光が走り。体をこわばらせた怪鳥は、ぐわんと空中で振り回され、地に堕ちました。怪鳥が声を上げる暇は、与えられず。

 さくり、と。静かな音だけを立てて、その背中に刀がめり込みました。怪鳥の上に飛び乗った月牙様が、心ノ臓を今度こそ貫いたのでございます。


「やったので、ございますか……?」


 決まってしまえば、実に単純な作戦でございました。罠を張り、偽装したおとりを設置し、懐に入った瞬間に止めを刺す。入念な準備の結果だと分かってはいても、巨大な怪物が地に堕ちたことが信じられず、ワタシは歯の根が震えるのを止められませんでした。

 一瞬の凪。すっかり腰を抜かしていたワタシは、ふらつきながら月牙様に、怪鳥に近付こうとしたのですが。


「まだ駄目だ!」

 

 怒声が聞こえ。直後、視界が藤色に染まりました。

 頬に強い衝撃が走り、何とか受け身を取って目を開いた時、眼前に見えたのは千切れた分身神です。

 少し遠くに、足をバタバタと振り回す怪鳥と、その身体に乗ったまま身を丸める青年の姿が見えました。痙攣する怪鳥の足に蹴飛ばされそうになったワタシを、分身神が守ったのです。


「な、あ、」


 分身神はその名の通り、『術者と感覚を共有する分身の術』でございます。伝える感覚の程度には段階があるとはいえ、分身神が受けた痛覚は、術者にそのまま反映されるのでございます。ですから、分身神が破かれれば、その痛覚は。


「ぐっ……う、」


 術者たる月牙様に、そのまま反動として伝わったのです。目を見開き、背を丸めかけた青年は、しかし刀を離しませんでした。


「時雨!」


「──今は遠き水源よ。遥か彼方の同胞よ!」

 

 青年が張り上げた声に応じて、時雨ちゃんが詠唱を始めました。鈴の音、涼やかな風が空気を震わせ、清泉に舞う蛍のような光が周囲を満たします。

 

「花は咲き、風は巡る。鎮魂の笛よ、魂の声を聞け……」


 時雨ちゃんの長く、複雑な詠唱が終わった頃、周囲をぼんやりと照らしていた竜沁の明かりが絶えました。闇見の術も、同時に効力を失ったのでしょう。あたりが暗闇に包まれ、何も聞こえなくなりました。


 声を出しても良いのでしょうか。動いても良いのでしょうか。このまま身を丸めていて、良いのでしょうか。何も判断がつきません。破けた分身神の破片が、指の間を吹き抜けていきます。


「げつが、さま?」


 暗闇は嫌いでした。血なまぐさい夜は怖いものでした。周囲に満ちる鼻を突く臓物の臭気、血と排泄物の臭いは。


「いやです。やだ、」


 かつて養父が怪物に引きちぎられ、月光の下に肉片を晒して果てた夜を想起させました。

 動いてはいけない、ここにいなさい。養父の言葉が耳をよぎりました。まだ駄目だと叫んだ月牙様の声が、鼓膜に反響を残しておりました。

 いつまで。いつまで耐えれば良いのでしょうか。周囲の命が全て絶え。煙の匂いが遠ざかり。誰かが、師父の知り合い達が、ワタシを見つけるその時まで──?


『──それは、お前如きが知るべき事ではない』


 頭を揺らしたその言葉。胸を突き上げた記憶に震えながら目を開けると、眼前には記憶と異なる顔がありました。


「杏華、だいじょうぶ?」


 膝に感じるぬくもりの源は、時雨ちゃんでした。既に洋燈の明かりが点いていて、幼くも凛とした表情が浮かび上がっています。


「怪我は……ありませんね」


 肩に触れていた手は、月牙様のものでした。視線が合った瞬間、安堵するようにその肩が震えます。


「げ、つが様。ご無事で?」


「はい。大丈夫ですよ」


「も、申し訳、ありませ」


「僕の失態です。死ぬ直前、怪物が痙攣し動く、という事を伝えていなかった」


 ワタシの意識を確認していたのでしょうか。ずっと私の顔を見ていた月牙様ですが、ワタシの表情が歪むや否や、ぎょっと目を見開きました。


「え、あ、その。杏華? 終わりましたから。確かに想定外の事はありましたが、分身神に反映される痛覚はあくまで感覚ですから? 僕も君もケガをしていないので、無問題。そう、何も問題は無いと言うことで」


「それ、って、」


「はい」


「痛くはあったって事じゃあ、ございませんかぁー!」


 安堵が弾けた反動か、叫んだ声は夜空に響き渡りました。

 謝罪と怒気と絶叫が混ざった不定言語を叫び散らすワタシに二人が身を逸らし。宿の中にいた大将が不安そうに頭を出す様も見えていましたが。気が抜けたワタシは、赤子のように泣き続けてしまいました。

 

 ──この件は語るのも恥ずかしい出来事、ワタシの黒歴史の権化でございますが。月牙様にとってもずいぶん印象深く、そして反省した出来事だったようです。

 月牙様が為そうとする事柄に対して、衰えた(・・・)身体能力や武器が追い付いておらず。また、関与するワタシが自力で身を守る術を持たなかった。

 月牙様がこの状況について悩まれ、慣れぬ行動を起こした結果、少々愉快な展開が発生するのでございますが、それは異なる町での話。


 さぁ、廃鉱町(リンドウ)の物語もいよいよ終局。怪鳥を討伐し、ひとまず脅威が去った状況ではございましたが。

 宿の庭。そのど真ん中に、巨大な怪鳥の骸が鎮座していた状況下。


 怪物に死をもたらす武者であり、また死者への祈りを司る巫師でもあった月牙様の、骸の扱い方。

 弔い方(・・・)を目の当たりにして、ワタシは怪物と人の在り方をひとつ学んだのでございます。

 

◇失血による痙攣

 失血による死亡の直前、痙攣によって身体が引きつり手足を振り回すような動きが生じる。怪物の痙攣は、油断して近付けば致命傷にもなり得るだろう、というネタ挿入。筆者は痙攣中のシカに顎を蹴飛ばされ、しばらくのけぞった経験がある。

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