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彷徨うモノ 後編02

 その日の夜の事は、よく覚えております。

 結界の内側で、水底で揺蕩(たゆた)っているような不思議な感覚が常に纏わりつき、座布団を並べた急ごしらえの寝床は少し硬く。ワタシに寄り添うように丸くなったハクビ丸の呼吸が、腹越しにぬくもりを伝えておりました。


(そういえば、こやつは結界の中なのに平然としておりますね……)


 そんな事を考えながら寝返りを打てば、月牙様と時雨ちゃんが土間で寄り添っているのが見えました。時雨ちゃんは青年の膝を枕に、穏やかな寝息を立てており。月牙様はごく小さな音量で、鼻歌を歌っていました。

 それは、恐らく子守歌。歌い手のワタシですら聞いた事のない、しかし古い旋律でございました。月牙様は料理や作業の折、ワタシの歌を何気なく聞いており、しれっと曲を指定してきたりする事はあったのですが。ご自身で歌っている姿を見たのは、初めてでございました。


「……すみません、起こしましたか」


 ワタシが起きた気配に気付いたのでしょう。月牙様は歌を止め、背中越しに声をかけていらっしゃいました。


「いえ。たまたま目が覚めまして」


「まぁ、夜明けも近いのでちょうど良いかもしれませんね」


 窓を見れば、確かに光壁越しの空は、朝焼けに染まっていました。


「月牙様、お茶でも飲まれますか。二度寝には微妙な時間ですので」


「頼みます」


 ワタシは初め、最新の絡繰が搭載された台所に向かいましたが、火のつけ方が分からず。火打ち機を持ち出すと、あまり使われている様子の無い囲炉裏に火を入れました。


「体調はいかがでございますか」


「昨晩も言いましたが、問題ありませんよ。慣れていますし、結界を扱う者は、半覚醒……居眠りしながらでも結界を維持できるよう、特殊な訓練を積むので」


「は、はあ……」


 青年がさらっと仰っていたのは、身体を術式の核として自律させ、生命維持の機能と完全に切り離す。あるいは、生命維持活動そのものを、結界維持に最適化(・・・)する。そういった高度な技術の話でございました。

 しかし、眠りながら結界を維持するなどという技術は、一般的な結界師が体得するものではないと知るのは、後日の事でございます。


「月牙様は、護符と結界を明確に使い分けておられますが。結界の中にも、様々な効果があるのでございますね」


「護符は効果が弱い分、術者がいなくても成立します。しかし結界は、管理者がその場を離れられないですからね。効果が強ければ強いほど、管理者の拘束量も増えます。使い分けるのは当然です」


「ん? しかし、社の結界は……」


「設備が整えば、ある程度の自律は可能と教えたでしょう。定期的な御神鏡洗(みかがみあら)い……整備は必要ですがね」


 茶を沸かしたワタシは、部屋の隅に積まれていた敷物(むしろ)を月牙様の近くに置いて、自身も土間に腰を下ろしました。


「お邪魔でございますか?」


「構いませんよ」


「お茶うけになりそうなもの、たくあんしか無かったのですが」


「またたくあ……いえ、いただきます」


 湯気を立てる湯呑み、数切れのたくあんが乗った小皿を挟んで、ひっそりとお茶会が始まります。

 茶をすする音、たくあんのかみ砕かれる軽快な音。朝が近付いていたせいか、タタリモッケの攻撃はありませんでした。


「結界、あるいは空間領域術くうかんりょういきじゅつ。設定した空間の範囲内で、特定の効果を発揮する術式の総称です」


 空になった湯呑みをワタシに差し出しつつ、青年は続けました。


「僕が君に見せた事があるのは、対象を忌避し、侵入者の気配を察知する『鳴子結界(なるこけっかい)』と、外敵に対して絶対的な防御を行う『防除結界(ぼうじょけっかい)』。結界は、術師が一人いれば成り立つのが強みであり、術師が倒れれば簡単に決壊する脆さが弱点になります」


 急須から湯呑みに注がれた茶から、湯気が立ち上り。空間を満たす光の水泡と共に、水面のような結界の膜に向かって消えていきました。


「……結界の弱点を補うため生み出されたのが、結界の自律機構であり、術者なしで発動できる護符です。護符単体の効果は弱いのですが、様々な建材と組み合わせ、物理的な防壁を築いた上で護符を組み込めば、特定のケモノに対しては結界に並ぶ防御力を誇る事が分かっています」


 四つ足のケモノなら土壁(つちかべ)、鳥ならば翼を妨害する網や線。物理的な防御を補助する形の方が、圧倒的に消費する竜沁が少ない。

 青年の言葉に、ワタシは首を傾げました。


「要するに、最終的には人力が大切になる、という事でございますか」


「そういう事です。相手が生物である以上、物理的な施工や、人海戦術も大事なんですよ。今回の結界は特例だと思って下さいね」


 月牙様は殆ど姿勢を変えないまま、わずかに背伸びをしました。足の間に踏み入り、身体を丸めたハクビ丸の背を撫でる青年の表情は穏やかでした。


「そういえば月牙様。先ほど歌っていたのは、なんという曲でございますか」


 ふと思い出して訊ねると、青年はたくあんをつまみつつ答えました。


「……身体が眠ってしまっても結界を維持できるよう、心の内で歌い続け、結界の回路を身体の内に根付かせる。いわゆる脱魂(トランス)状態を導く条件付け用の歌です。題名は知りません」


「うーん、聞いたことがないでございますね。古い子守歌ではありそうですが」


「君が知らないくらいだから、不人気なのでしょう」


 つまらなそうにつぶやいた青年ですが、弾かれたように上空を仰ぎました。つられて耳を澄ませば、遠ざかる羽ばたきの音が聞こえてきます。


「……朝日を見て撤退しましたか。まだ、理性が残っていたようですね」


 向こうが完全に理性を無くしていたら、このまま戦闘に持ち込むしかなかった。安堵の色をにじませつつ、青年は手を横に振りました。

 部屋を覆っていた光膜が解け、幻想の水面が消え失せる。差し込んだ朝日に目を細めるワタシに、青年は告げました。


「君に繕って貰った網、無駄にしないで済みそうですね。壊された渡り廊下の修繕(しゅうぜん)も要りますから、さっさと動きましょう」


 そこからは、日が傾くまでてんてこ舞い。月牙様の指示に合わせて網や縄を組み立て、壊された廊下に、最低限の補修を施し。さらに、タタリモッケを確実に網罠(あみわな)に誘導するため、建物には隠蔽も施されました。

 ワタシと時雨ちゃん、それに大将も同時に動いたとは言え、高所で力仕事ができる男手は月牙様だけでしたから、月牙様は徹夜の上に働き詰め。


 昼過ぎ頃、時雨ちゃんに強制的に風呂と布団に叩き込まれた青年は「寝たら逆に眠くなるじゃないですか……」などと唇を尖らせつつもさすがに爆睡。

 しかし日が暮れる前には起こされずとも目を覚まし、淡々と身支度を整えた上で告げられました。


「やれる備えは行いました。後は、夜を待つのみです」


 そして至るは夜の刻。天は我々の行動を見定めるように雨を絶えさせ、緊迫の静寂を以って我々を迎え入れました。

 

 そして──

 

 

◇対策の優先順

 緊急性、時間、人手の有無などが判断基準。全体の理想が分かっていたとしても、完璧な対策を一気に仕上げる事は難しい。事態が急変すれば、優先順位を切り替える判断も必要になる。

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