風を鳴らすモノ 前編03
お祈りは、ちゃんと聞き届けられる時間帯にやらなくてはダメだと思いましたね。この日は、馴染みの商隊が宿泊客に混ざっておりました。
「気付かれると面倒でございますねぇ……」
適当な言い訳をすれば良いだけではありますが、極力会話を避けたいと思ったワタシは、まず巫師様とお連れ様の卓に向かいました。
「巫師様、失礼するでございますよ」
改めてこの二人を観察すると、似ているようでまぁ対照的なこと。常に笑顔の巫師様に対して、見習い巫子と思しき幼子はこちらを見もしません。
食べ方の差も天と地ほどにかけ離れておりまして、幼子は長い袖の上から箸を持っているものですから、あちこちに食材の破片が落ちて、品が良いとは言えぬ有様でございました。
「お嬢さん。布巾、良ければお使い下さいまし」
「……ん」
ようやく顔を上げた幼子は、息を呑むほど美しい碧色の瞳をしておりました。しかし、彼女がワタシを見上げたのは一瞬だけ。幼子が淡々と食事に戻るのを見て、ワタシは巫師様に話しかけました。
「巫師様は、どこかに向かわれる途中なのでございますか?」
巫師は、それぞれが所属する大社から各地に派遣され、冠婚葬祭や怪祓いを取り仕切る人々です。そういった旅の途中なのかと訊ねたワタシに、青年は曖昧に微笑みました。
「僕は、通常の巫師の作業と言うよりは……そうですね、各地の見聞集めのようなものをしております。今回の君の件のように、通常の対応で解決できない案件などを取りまとめ、報告を行う仕事ですね」
「はぁ。旅そのものが、仕事になるのでございますか」
「とはいえ、慣れないことも多いのですがね。君は、この近辺以外の土地に出た事はあるのですか?」
「ええ! 師父が存命の頃は、皇国のあちこちを旅しておりました」
もちろん全ての土地を覚えているわけではありませんが、旅の技術はひと通り。小銭稼ぎに値切り交渉、安全な道を知るための情報収集、さまざまな小技を有する身ではあるのだと胸を張り。
「しかし、ひとり身のワタシは非力の身。この村の近辺でしか周遊ができておりませんし、今はこんな状況ですが、必ず挽回してみせ……あぁ、そういえば。持ってまいりましたよ旅守り」
ふと思い出して、ワタシは懐の旅守りを青年に手渡しました。
今でもありますでしょう? 家内安全、縁結び、学業守りに旅守り。様々な効能を宿す守り符は、庶民の心を支え、神の加護を賜るための護身具として必ず持ち歩かれていました。
本来は年が変わる度に買い替えるものなのですが、当時のワタシは大社まで赴く手段も、金銭的な余裕もあまりなく。あちこちがほつれた金糸縫いの布袋を、何とか縫い合わせて持ち続けていたのですが。
「君、この守り符はとっくに効果が切れていますよ」
巫師様は、一目見るなり眉を顰めました。
「やはり、そういうものなのでございますか。しかし、お恥ずかしながら買い替えの余裕がなく」
「これは明日まで預かります。急拵えにはなりますが、修繕しておきましょう」
「お気持ちはありがたいですが、お支払いができないでございます」
「不要ですよ」
慌てるワタシをさらりと躱し、青年は食事に戻りました。幼子も会話を気にする様子はなく、淡々と汁物を啜るのみ。青年が身に付けている鈴の音だけが、チリン、リィンと静かに響いておりました。
こうなれば給仕の仕事はありませんから、ワタシはひとつ頭を下げ、一旦彼らの卓を離れました。
──問題が起きたのは、しばらく経ってから。大半の客が食事を終え、人がまばらになり始めた時分でございました。
「やっぱりお前、杏華だよな。何してるんだ」
ぐいと腕を掴まれて、身体が後ろに傾きます。振り返れば、酒に顔を赤らめた商隊員が、不思議そうにこちらを見上げておりました。
「あぁっと、見つかってしまいましたか。ご無沙汰でございますよ」
「最近見ないと思ったら、こんなとこにいたのか。芸人はやめたのか?」
「いえいえ、そういう訳ではないんですが、諸事情ございまして。先に言っておくと、借金ではございませんよ?」
そんな会話をしていれば、他の商隊員たちがわらわらと会話に混ざってきてしまい、動くに動けなくなってしまいました。
「まぁ、くたばってないなら良いんだけどよ! しかし、せっかく食事時だってのに静かなのは落ち着かねぇ。一曲歌ってくれや」
そして自然な流れではありますが、依頼されます歌物語。そりゃあ、ワタシの本職はそちらでしたし、商隊の皆様はワタシが歌う様をよく見ていらっしゃいましたから、言われるだろうとは思っておりましたが。
「いえ、いえ。実は最近、喉の調子が悪くてですね」
「いや、相変わらずぺらぺら話してるじゃねぇか」
「歌うのは止められておりまして」
「歌えない旅芸人がどう生きてくってんだ? 下手でもお捻り出してやるから、一曲頼むぜ」
ええい酔っ払いどもめといなしつつ、周囲を見ますが女将はいません。周囲の給仕役達も見て見ぬふりをかますものですから、助け舟は出そうにありませんでした。
「歌わない方が良いでございますね、巫師様⁈ 」
という訳で致し方なく、巫師の青年に視線を向けました。青年はこちらの話を聞いていたようで、すぐに頷いてくれました。
「そうですね。今日は念の為、やめておいた方が良いかと」
年若い男性巫師を見て、商隊員たちは目を瞬かせました。多くの者は気まずそうに首をかくか、興が冷めたとばかりに唇を尖らせるのみでございましたが。
「巫師? あんたみたいな若造がぁ? 詐欺師に騙されてるんじゃないのか、杏華ぁ!」
酔っ払い、面倒臭いでございます。酔っ払いの失言に周囲は顔を青くしますが、巫師様は困ったように……あの、空虚な笑みを浮かべるだけ。どうにか空気を変えようと、ワタシが頭を巡らせかけた時でございました。
「──歌ってみればいい」
凛と響く鈴のような声が、空気を裂いて響きました。
声を発したのは、巫師の隣に座していた、巫子見習いの幼子です。
「何が起きるのか、実際に見た方が時雨たちも対応しやすい。やってみれば良い」
「しかし、時雨。万が一があると困ります。せめて宿泊客がいない状態で」
「万が一を起こさなければ良い。この人たちだけなら、時雨が見ておける」
幼子の発言に青年が慌てる様子を見せましたが、幼子はにべもなく顔を背けます。青年はなお迷う様子を見せていましたが、嘆息と共に立ち上がりました。
「君……ええと、杏華と言いましたね。女将に話を通してきますから、その間に君も準備をしておいて下さい」
青年は淡々と厨房に向かい、ワタシは小声で話し合う給仕たち、『なんかやばいんじゃないか』と焦る商隊の面々と共に広間に残されました。
「あなた、普段歌ってるのはまじない歌って言ってたね」
低い位置から掛けられた声に、視線を落とします。時雨と呼ばれた幼子は、目深に被った頭巾の奥で、ワタシを値踏みするように目を光らせておりました。
「ええ。竜沁を乗せた、まじない歌でございます。主に健康を願い、安らぎを与える祝い歌……と言っても、ワタシが歌い手ですから、大した効果はないと思いますが」
「分かった。まじない歌は、服装も大事なんでしょ。着替えてきて」
「は、はい。承知でございます」
時雨ちゃんは、ようじょなのに言葉の圧が強い子でございまして。ワタシは言われるがまま広間を後にし、旅芸人の衣──本来の衣に身を包みました。
「お待たせして申し訳ありません。杏華、戻りまして……」
で、戻るじゃないですか。皆様お集まりじゃないですか。
問題は巫師様でございますよ。広間の中央に立つ青年は刀を刷き、肩には蜻蛉に似た形の紙人形を乗せ。手には、白布を結んだ投げ刃を手にしておられました。
「巫師様。まじない歌を聴くのに、なぜ刃物がいるのでございますかね」
「念の為です。念の為」
刃物を手に微笑まれましても、何も説得力がございません。むしろ怖いのですが、青年は落ち着き払った様子で腰を下ろしました。
「では、お願いします。いつも通りで構いませんからね」
その笑顔とは裏腹に、青年の纏う空気は張り詰めているものですから、どんな顔を返せば良いのか分かりませんでしたね。
広間中央に巫師。聞き役として、すっかり酔いが冷めた様子の商隊員が数人と女将。あとは人払いを受けた様子で、がらりと空いた部屋には、夜の冷気がキリキリと染み込んでまいります。
「こんなに緊張するのは、初座敷以来でございますね……」
しばし逡巡したものの、観念したワタシは深く息を吐き出しました。
♢竜沁
いわゆる魔力とか、生命力みたいなファンタジーぱわー。この世界だと体力のある男性は竜沁の保有量が多め、女性は竜沁への干渉力が強め。




