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彷徨うモノ 中編04

 向かうは町外れ。郊外の埋葬地に向かう道を覆っていたのは、鼻が絞られるような据えたにおい。真っ先に目に映ったものは、額に一本角を持つケモノの群れ──即ち、岩跳鹿(クビカジリ)の団体様でございました。


「げ、月牙様」


 ワタシは逸る気持ちを抑え、月牙様の一歩後ろに下がりました。数は、道中よりも少なく三頭ほど。岩跳鹿達がこちらを向いた瞬間、その口端からポロリと骨の破片がこぼれます。


「こいつら、こんな所まで来てるんですか」


 月牙様は身構えると、僅かに手を持ち上げました。なぜ刀に手を掛けないのかと思いましたが、その理由は単純。


『──カッ?』


 一頭の首元に、分身神(わけみがみ)。人形が岩跳鹿の首に取り付き、発光した。その瞬間に、ケモノはどさりと横に転がり──


『ブェーッ!』


 即座に起き上がり、全力疾走で逃げ出しました。


「あっ、失敗しました」


「あっ……じゃねぇでございますよ!」


 思わず突っ込みを入れてしまいましたが、月牙様は淡々と投げ刃を放ち。動きが止まった岩跳鹿の背中に向けて、再び分身神を取り付かせました。

 残りの岩跳鹿が慌てて逃げていくのを確認して、月牙様が嘆息します。


「今、分身神で何をしたのでございますか?」


「ニッケイ村と同じ手ですよ。竜沁回路(りゅうしんかいろ)に割り込んで、暗示を掛けようとしました」


 しかし、暗示は意識に直接割り込む技。術の効きやすさはケモノの特性や知能に依存し、相手ごとに術式を調整する必要がある。淡々と説明しつつ、月牙様は岩跳鹿に直接触れました。足をバタバタとさせていた岩跳鹿は今度こそ動きを止め、静かに腹を上下させるのみとなります。


「元は対人間の術式なんですけどね。訓練を受けた人間を、暗示術式で気絶させるのは難しい。結局、薬を使う方が確実だったりはしますよ」


「はぁ、なるほど……ところで、どうして岩跳鹿を生け捕りにしようと?」


「道中は観察の余裕がなかったので、状態を見ようと思いまして」


 あばらの浮いた、岩跳鹿の腹の側面。灰色の毛をかき分けると、ところどころ()んだ皮膚が剥き出しとなりました。


「眼病に栄養失調。呼吸も不安定ですね。正確な原因は不明ですが、適切な栄養補給ができていないようです」


 ケモノのまぶたや口の中、足の動き。身体の各所を確認すると、青年は再び嘆息しました。


「今日の晩飯にとも思いましたが、食べるのはやめておきましょう。ほら、さっさと行け」


 ぽん、とケモノの尻を叩けば、岩跳鹿は慌てて走り去りました。術式を解除されたのでしょう。


「……食べる気だったのでございますか。あの岩跳鹿」


「この町にはしばらく、食料が入ってこないかもしれませんからね。岩跳鹿は、食肉として有名でしょう?」


「それは存じておりますけども。あやつはその、人の骨らしきものを齧っていたではありませんか」


 ワタシの言葉に、青年は歩きながら肩をすくめました。


「死体の骨を齧るのは、岩跳鹿の元々の習性。通常の獣からは逸脱していません」


 それに、と。月牙様は表情を改め、頭上を見上げます。


「その是非はともかくとして。岩跳鹿は、この地の人々が望んだ通りの行為をしただけです」


 つられて顔を上げたワタシは、思わず月牙様の背後に隠れました。

 鼻を打つ据えた臭い。その発生源は地面ではなく、頭上(・・)でございました。朽ちかけた木の棺。物によっては隙間から中身が見えているような棺たちが、枯れ木に乗せられた状態で、無数に並んでいたのです。


風鳥葬(ふうちょうそう)ですね。鬼奴の民に見られる、古い弔い方のひとつです」


 首巻きを鼻の辺りまで引き上げながら、月牙様は続けました。


「皇国では、身体から魂を解放するのに火を使う。いわゆる火葬が一般的です」


 しかし鬼奴の民には、死体を人里から離した場所に置いて、風による劣化を待ったり、ケモノに喰われるのを待つ埋葬法が残っておりました。


「他国の技術も取り入れていたようですが、古い文化も残っていたのですね」


「し、しかし月牙様。タタリモッケが生まれる原因って、人肉を食らう事なのでございますよね? これって」


「風鳥葬は、直接的な原因のひとつでしょうね」


 本来の獲物である岩跳鹿が集まっている事も、埋葬地に玲瓏鳥(タタリモッケ)が誘導される原因の一つかもしれない。青年は厳しい表情を浮かべながら、棺を乗せられた枯れ木──鎮魂樹の幹をなぞりました。


「この埋葬地、植物の状態も悪いですね。鎮魂樹も、此願花(シガンバナ)も枯れている」


 青年は、足元で揺れる此願花を見下ろしました。

 水源(みなもと)に還る前の魂が、水底の揺蕩(たゆた)いのように眠ることを願って植える、祈りの花。どこの村々でも墓石を彩るように咲いているものですが、ここには僅かしか咲いておりません。


「此願花に毒がある事は知っていますか」


 私が頷くと、月牙様は続けました。


「此願花や鎮魂樹を墓に植えるのは、ケモノ避けのためです。此願花は優れた術式媒介にもなるので、弔いの際に行う浄化術式の効果も向上させてくれる。しかし、この有り様では……」


 お粗末な構造の木棺、棺の重さに耐えかねたように立ち枯れた鎮魂樹、貧相な花を咲かせる此願花。周辺を見渡せば、上から土砂が積もったのか、明らかに地形が変わって土がむき出しになっている場所もございました。


 ──昔はあんなに賑わってた山も、今じゃ荒地に様変わりだ。


 ふと。宿の大将の言葉が、脳裏をよぎりました。


 ──墓に植える鎮魂樹も満足に芽吹かねえから、墓場も土砂崩ればかりだ。


「もしかして」


 ワタシは、周囲の山々を見渡しました。岩ばかりが目立つ、枯れた山々。木棺と離れた位置に立ち並ぶ墓石の半分は無銘で、苔すら生えずに風にさらされています。


「鉱石の採取が人々に病をもたらしたと言う、大将の言葉が正しいのであれば。その毒のようなものが、岩跳鹿を何らかの病にかけ、山の植物も弱らせたという事は……あるのでございましょうか」


 ワタシの言葉に月牙様は目を瞬かせ、少し笑いました。


「僕も同意見ですよ。とはいえ、確証がない以上、ある前提での話はできません。今回は事実のみを受け止めましょう」


 ──当時の我々には、分かり得ぬ事でございましたが。後の調査によって、この山は採掘の際に発生した鉱毒に侵されていた事が分かっております。

 川から溢れた鉱毒が作物や山の樹々を枯らし、人々を病にかけ。岩跳鹿も同じく病とエサ不足で栄養失調となり、怪物(ケモノ)としての側面を強めていたのです。

 それらの真相が分からなかった、あの頃の若き我々にできたのは、ただ純然たる事実を集める行為のみ。


 宿にはかつて子供がいた。この地の御神鏡(ミカガミ)、ケモノ避けを担う結界装置は、機能していない。

 埋葬地では死体が晒されており、ケモノが容易に触れられる状況にある。人々の病や植物の枯死など、不可解な現象は、おそらく採掘に由来している。

 町を歩いて得た情報を、どのように扱えば良いものやら。うなるワタシを振り返り、月牙様は微笑みました。


「さて。昼時なので、いったん宿に戻りましょうか。午前中に得た情報を整理し、大将に事実確認をしようと思います」


「承知でございます。ところで月牙様」


「何ですか」


「体調は問題ないでございますか? お怪我もされてますし、目の不調もありましたから」


「……」


 ワタシの問いに、青年はしばし沈黙しました。前日の怪我もありましたが、この日の月牙様は朝からぼうっとしていたり、動きや術に粗があったものですから、心配になったのですが。


「問題ありませんよ。それより、君がこれまでに得た情報を自力で取りまとめられるか、昼飯後に確認しますからね。自分の記憶力の方を心配していなさい」


「エエン。相変わらず容赦ないでございます」


 青年は普段通り。やや斜に構えた笑い方で、ワタシを帰路に促しました。


 まぁ結論から言いますと、この時の月牙様は虚勢を張っておられました。今思い出しても、思わず拳骨を握り締める勢いの嘘笑顔でございます。

 しかし、月牙様が体調不良を隠していたという事実も、やはり当時のワタシには理解の及ばなかった事柄でございました。


 宿には大将が残していってくれた握り飯があるはずなので、それを食べつつ情報をまとめて、などと会話しながら宿に戻り、扉を開けた我々に衝撃を与えたのは──

◇死臭

 死体がある時は、においがなくても飛んでいるカラスで判別がつく場合もある。大型獣がいる地域では、死臭の源に近付かないのが鉄則。

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