彷徨うモノ 中編03
リンドウは近代的な建物も多い町でしたが、そのほとんどが廃墟と化した幽霊町。
たまにすれ違う人々も髪を短く整え、我々よりも多く洋装を取り入れた出で立ちをしていたものの、その歩みには覇気がございませんでした。
「この町の人々は、鬼奴の民の血が濃いようですね」
月牙様の呟き通り。茶色や赤毛に近い髪色の人々が多く、体格もやや大柄。打ち捨てられた町ではありますが、古くからの住民は多く留まっているようでございました。
人々は軽装の月牙様を見て疑わしげに目を細め、しかし隣にいるワタシを見て、興味が失せたように視線を逸らします。
おそらく、『怪しげな旅人だが、鬼奴子を連れているから大丈夫』という判断だったのでございましょう。
「ここでは、月牙様の方がうさん臭く見られているようでございますねぇ。立場逆転でございます」
「やかましいです。しかし、巫師礼装は脱いでいて正解でした。鬼奴の民が多いなら、神職は鬱陶しがられるでしょう」
「そういうものでございますか?」
ひと目の失せた郊外。石造りの社門の前で、月牙様は歩みを止めました。
「古い伝統を守っている地域では、巫師は慎重な動きを求められます。この地の社守が、どのように立ち回っていたのかは分かりませんが──」
結果だけは、はっきり分かる。月牙様の言葉通り、社門の向こうには廃墟と化した斎ノ社が鎮座しておりました。
規模はニッケイ村の社よりも、少し大きいでしょうか。社までの道には石畳が敷かれ、伸び放題になった雑草が風に揺れております。
斎ノ社、本殿に当たる建物もひどい有様でございまして。かろうじて保った原型も、端々から崩れかけておりました。
「……ここは、もう」
ぽつり、と。青年の言葉が、にわか雨と共に地面に落ちました。降り始めた雨は少量でしたが、絶えず地面に染み込み、砂地の色を変えていきます。
「月牙様?」
「御神鏡の状態を見てきます。君は外で……いや。一緒に来なさい」
「よろしいので?」
「雨の中で待ちたいなら、それでも構いませんが」
その声音はいやに冷静で。青年の表情は、前髪の奥に秘められたままでございました。少し見上げる大きさの、しかし決して広くはない青年の背中を追って社に入ると、カビくさいにおいがあたりを包んでおりました。
「御神鏡は、残っているようでございますね」
淡い木漏れ日と雨漏りに彩られた祭壇奥。そこに、御神鏡は鎮座しておりました。ほこりを被り、鏡面にもヒビが入っておりますが、淡く明滅する光がその稼働を示しておりました。
「少し離れていなさい」
月牙様は祭壇の前に置かれた座布団──カビで変色し、良からぬ虫が這い回っているぼろ布のかたまり──をどけると、鏡の前に座しました。
見るものがワタシ一人であったとしても、その作法は美しく。雨漏りの雫が落ちる音さえも、祭礼を彩る楽器のようでございました。
「……今は遠き水源よ。遥か彼方の、同胞よ」
月牙様が口ずさみ始めたのは、歌に乗らぬ淡々とした祈りの言葉。いいえ、術式の起動句でございました。
ふわりと湧き上がった藤色の光に、チリンと祭鈴の音が応え。月牙様の指が御神鏡の縁をなぞれば、複雑な紋様が鏡の中に浮かび上がりました。
「月牙様、これは一体」
「言ったでしょう。御神鏡は御神体として扱われると同時に、その地域の聖域を維持する結界の基点として用いられる場合があると」
月牙様が指を動かせば、鏡の中の紋様も動きます。ワタシには読めない、朔弥古語。文字が羅列されていく様を目で追いながら、青年は淡々と続けました。
「多くの場合、竜沁術式は術者の想像力を頼りに発現します。しかし、結界を曖昧な想像力のみで維持するのは難しいし、術者がその場を離れる事ができなくなる。だから、一度術を発動した後は、その地域の竜沁を自動で吸収し、結界を維持できるように自律させるのです」
文字の羅列が止まるのを見た月牙様は、続けて鏡の側面に触れます。現れたのは、地図でしょうか。淡い光で構成されたそれを指で辿り、動きを止め。
「これは……」
紋様のいくつかに触れ、御神鏡に両手をかざし沈黙。青年の周囲を彩る竜沁の光、額に浮かぶ汗が、何かしらの術式を駆使している最中だと示しておりました。
ざぁざぁと響く雨の音。雨漏りが床を叩く音。それ以外は、長い沈黙が続きます。しかし、しばらくすると、耳鳴りのように高い音色が御神鏡から聴こえ始め。
「ここにもう用はありません。行きましょう」
しゃりん、と。霜柱を砕くような、美しい破砕音が響きました。月牙様の手から離れた竜沁の光は天井に上り、そのまま解けて消えていきます。
……ええ、質問したい事は山ほどに。しかしワタシを待たず、無言で社を出た青年に、自分から訊ねる勇気はなかなか出てきませんでした。
穴の空いた床を避け、階段を飛び降り、社の外へ。傘を持ってきているのに、ぼんやりとにわか雨に濡れていた青年の様子を、なんと例えれば良いのでしょうか。
迷子、あるいは怒りをはらんだ武人のような表情。
纏う空気は冬のように鋭く、しかし湖面の薄氷のように頼りなく、砕けてしまいそうにも見えました。
ワタシは青年が動くのを待ったのですが、なかなか動く事はなく。雨に打たれた包帯に、血が滲むのを見てしまったものですから。
「──傘を。持っているのだから、差した方が賢明ではございませんか?」
ワタシは少し背伸びして、青年の頭に傘を傾けました。
青年はしばらく、視線を遠くに向けたままでございましたが、不意に手をこちらに伸ばし。
「あだだだワタシにしては珍しく気遣ったのに、なぜ頭にゴリゴリと拳をねじ込まれているのでございますか⁈ 」
拳骨を、微妙に痛いくらいの圧で脳天に押し込みに来たかと思うと。
「何というか、ちょっと八つ当たりしたい気分だったので」
一度だけ。拳骨ではなく、手のひららしき感触が頭に触れ、ぱっと手が離れました。
「今、最後だけ撫でました?」
「撫でていません」
ワタシの傘に入ったまま身をかがめ、しれっとご自身の傘を差そうとしている月牙様は、ワタシと目が合う前に顔を逸らしました。
「えー本当でございますかぁ? 最後だけ。最後にちょーっとだけ優しみ感じた気がしたのですがぁー」
ワタシが一歩踏み込み、月牙様が一歩離れ。荒れ果てた社の庭でぐるぐると回る様は、じゃれつく犬猫のようだったかもしれません。
当時の基準では、我々は既に成人。しかし、今の基準では未成年でございました。まだ、少しの弾みで遊んでしまうような、幼い部分もあったのでございます。
「君、ほんと調子に乗るとやかましいな」
最終的にはバサッと開いた傘に遮られ、追いかけっこは終了。月牙様は傘を頭上に移すと、社の奥──墓場の方向に身体を向けました。
「この地の結界は、既に大半の機能を失っています。ケモノの忌避効果も有していたはずですが、復旧は難しい」
数歩だけ前に歩き、ワタシが着いてくるのを確認してから、青年は言葉を続けました。
「僕の方で上に報告はしますが、社守が絶えた町では、維持もできないでしょう。結界が悪影響を及ぼさないよう、最低限の調整は施しましたが、それ以上の事はできません」
「月牙様は先日、『防護ノ陣』を町全体に張るのは難しいとおっしゃっておりましたね。では、過去にこの町の結界を用意した方は、とても優秀だったのでございますね」
素直な、何気ない感想でございました。しかし月牙様はワタシをまじまじと見つめ、困ったように微笑みました。
「ワタシ、おかしな事を言いましたか?」
「いいえ。でも、君を調子付かせたくないので言いません」
「つまり褒めようとして下さった? もっと軽率に褒めても良いでございますよ」
「事故のあった裏庭、結界を司る斎ノ社を見てきたので、次は埋葬地に向かいますね。そろそろ昼時ですから、埋葬地を見たら一度宿に戻るとして……」
「エエン。普通に無視されたでございます」
傘を並べ、鈴の音を重ねつつ社を離れます。境内を抜ける頃の月牙様は、普段通りの振る舞いに戻っておりました。
この時、ワタシが月牙様に対して感じた違和感──いいえ、『危うさ』の正体を知るのは、まだ少し先の事。
この時はただ、『社が打ち捨てられているのが、巫師として悲しかったのだろう』などと勝手に納得し、町の探索に興味を戻したのでございました。
さぁ。怪鳥舞う町リンドウの探索も、次の箇所で最後でございます。情報収集、最後の地点は人々の埋葬地。
そこでワタシは、驚きの光景を目にする事となったのでございます。
♢廃墟の社
多くは基部だけ残して朽ちているが、劣化途中だと屋根の重みですっぽ抜けて崩落している事が多い。危ないので中に入ってはいけない。




