彷徨うモノ 前編08
「寄セ物除去、でございますか」
「獣を怪物に、そして魔物に変じさせる要素。あるいは、人里に引き寄せている環境。これらを特定し、獣に利用される前に取り除くのが『寄セ物除去』です」
月牙様は、白鼻丸にいつもの夜食──様々な堅果や干し果物を混ぜたもの──を差し出しつつ続けました。
「君、『鋼胡桃を庭に植えてはいけない』という話に聞き覚えは?」
「はい。存じ上げておりますよ」
ワタシは頷きました。鋼胡桃は、皇国の名産品。外殻に金属を多く含む果物でございます。殻も中身も活用の幅が広いものの、術式を使ねば割れない、という厄介な代物でございました。
「その言い伝えの原因となったのが、この風生獣です。彼らは床下や天井裏に住み着くケモノですが、餌として好むのは鋼胡桃です。刃尾や風を操る力は、胡桃の外殻を破砕する為に使用されます」
白鼻丸はエサを無視し、しつこく月牙様の怪我を舐めようとしておりましたが、何度も引っ掴まれるうちに観念したのでしょう。鋼胡桃をひとつ咥えて踵を返すと、ワタシの膝の上に来て身を丸めました。
「なので、カマイタチが頻繁に入り込む家の付近には、鋼胡桃が生えている事が多かったのです。鋼胡桃の葉には、遠くからでもよく目立つ光沢がありますからね。カマイタチを始めとした、多くのケモノを寄せる原因になる」
その家に多く引き寄せられたうちの一頭が、討伐されたとして。その時だけは被害が止まるでしょう。しかし、鋼胡桃が野放しであったとすれば。
「一頭を討伐しても、すぐに二頭目、三頭目が現れてしまう。その土地にケモノを引き寄せている原因を断たなければ、根本的な解決がいつまで経ってもできない、という事でございますね」
月牙様は頷きました。
「相手も我々の手口を学びます。身近に居着かせる事で、防護ノ陣の隙を突破する個体を生み出す恐れもある。狡猾に育った個体が怪鬼化し、見境なく人を襲うようになれば、一般人の手には負えません」
『寄セ物除去』は、『防護ノ陣』の構築に比べると地味で、まるで掃除のような対策でございます。
しかし、ケモノの害を防ぐためには欠かせない作業であり、大衆が最も着手しやすい対策の一つだったのでございます。
月牙様が手元で遊ばせていた三つの小皿のうち、最後の一枚。それをコトリと置きながら、青年は告げました。
「そして最後が、討伐……も含みますが、討伐も含めて『狩獲管理』と呼ばれる対策です。怪物化した個体の討伐以外に、怪物になり得る個体の監視、追跡、増加しやすいケモノの頭数を調整するなど、討伐以外の様々な手段を含んでいます。古くから牧畜が盛んな異国や、遊牧民等に生まれた考え方です」
「討伐は分かりますが。監視とか追跡と言いますと、具体的には何をなさるので?」
「群れで行動するケモノ等に該当する手段ですが、今回に関しては、ただ『討伐』を意味すると思って貰えれば構いません。一度に全部説明しても、頭から抜けてしまうでしょう」
「それはまぁ、はい。口頭ですと、頭の中で整理する時間が必要なもので」
「……。なるほど」
ワタシの発言に月牙様は目を瞬かせ、しかし三つ並んだ小皿に再び視線を落としました。
「怪物対策の第一項『防護ノ陣』、第二項『寄セ物除去』。この二つが不十分な場合、短絡的な討伐のみが最終的な解決になりがちです。しかし、狙った個体を討伐し、新たな怪物が生まれないようにする為には、三項全ての要素が整っている必要があるのです……ええと、ここまでは理解できましたか?」
「繰り返しますので、間違えていたら教えて下さいまし」
第一項、『防護ノ陣』は安全地帯の確保。長期的に取り組むための陣地を構築し、要所を守る施策がここにあります。
第二項、『寄セ物除去』は、ケモノを引き寄せる原因や、害為す怪物や、ケモノを怪鬼に変じさせる原因の特定と排除。討伐だけではどうにもならない、怪物そのものの発生を抑える手段でございます。
第三項、『狩獲管理』は討伐や、ケモノの監視。家畜資源としての管理を考えた扱いを、この項で定めている……と。
「要は入れない、寄せない、討伐する。この三項目でございますね。このような理解で、問題なかったでしょうか」
「ばっちりです」
ワタシが、一度の説明で理解した事が嬉しかったのでしょう。月牙様の笑顔が、花が咲くように開きました。そして、即座に表情を改め、言葉を続けます。
「事前の寄セ物対策で防げるのであれば、それで良し。既に怪物が侵入している場合は、まずは己の防御を固めた上で寄セ物の排除、および討伐を行います。順番は前後しますが、やる事が大きく変わる訳ではありません」
ここまでで疑問はありますか、と。月牙様はどこか生き生きとした様子で問いを投げかけていらっしゃいました。
月牙様は武人より文人気質なのだろうか、などという場違いな感想を傍らに抱きつつ、ワタシは唸りました。
「短絡的な思考だとは思いますが。他に取れる手段があるのだとしても、やはり討伐が確実な手段に見えてしまう、というのが正直な感想でございますよ。被害の原因となるのはやはり、ケモノそのものなのですから」
「その考えも、間違いではありませんがね。人の生活圏での討伐を強行せざるを得ない時点で、対策としては後手に回っているのですよ。君、昼はこの地域の無害な玲瓏鳥を殲滅するまで断崖絶壁を延々と駆け回り、夜は家に襲い来る怪物と戦え、と言われたらどう思います。ちなみに彼らは飛べるので、周辺地域から移入し続けるものとします」
月牙様の例えに、ワタシは顔をしかめました。
「絶対に嫌でございます」
「そういう事です」
皮肉っぽく唇を歪め、月牙様は言葉を切りました。
「それでは。基本理論の話が済んだ所で、現状に話を戻しましょうか。タタリモッケは夜間に活動する怪物。基本的に、日中であれば自由な活動が可能です」
「大将は、アレは宿の中までは入って来ないと仰っておりましたが……」
「もって一週間。それ以上は厳しいでしょう」
月牙様は低い声で続けました。
「タタリモッケを完全に弾く威力の結界となると、維持だけで手一杯になります。膠着状態を作るだけで、僕が力尽きた時が運の尽きになってしまうでしょう。忌避効果を持つ護符で、軽く追い払う程度の対応しかできません」
「拠点の確保。即ち『防護ノ陣』は、現状は何とかなっていますが、最終的には突破される。この町への滞在が長引いた場合に備えて、討伐は視野に入れて動く必要がある。そういう事でございますね」
先の土砂崩れのせいで、ワタシ達は道が復旧するまではこの町を、宿を出ることはできません。
一時的にでも夜間の安全が確保できるのは、不幸中の幸いと言うべきでしょう。ワタシは問いを続けました。
「では、宿にいればとりあえずの安全が確保できるとしましょう。しかし、この場合の『寄セ物除去』は、かなり難しいのではありませんか?」
「どうしてそう思いますか?」
「……怪物は。あの女性に呼ばれて来たように、見えたからでございますよ」
嵐の中、笑みと共に手を伸ばす女人。舞い降りようとするタタリモッケ。妨害によって、怪我を追った月牙様。先ほどの光景がよぎり、嫌な予感が背筋を抜けました。
「そこな茶色の塊のように、たまたま住み着いたとか、エサに寄せられていたのなら対応は単純でしょう。ですが、タタリモッケにとっては、特定個人が最も強い寄セ物になっているのではございませんか?」
たとえ特定個人しか狙わないとしても、怪鬼化が進めば歯止めは効かなくなる。そういった意味でも討伐は必要なのでしょうが、彼女が協力してくれるのかどうか。
そもそも。女性はなぜ、あの怪物に慈愛の目を向けていたのか。疑問が尽きることはございません。
「その疑問を解決するためには」
月牙様は、藤色の瞳を瞼に隠しました。
「玲瓏鳥が怪物に変化する条件と生態を、説明する必要がありますね」
月牙様の目が開きます。その唇から、小川のように言葉が紡がれる、そう思った瞬間でございました。
「話がながい」
ようじょの容赦ない言葉が、夜更かしを決め込む大人の背中にぐさりと突き刺さりました。
「治療終わったから。杏華も月牙も、さっさと寝る」
時雨ちゃんは我々の服に触れると、淡い竜沁の光を灯しました。途端に服が優しい熱を帯び、ぽんっと音を立てて風を孕みます。
──どうやら、術式で改めて乾かしてくれたようです。
「では、続きはまた明日以降に」
月牙様は困ったように笑いました。
「幸い、身体の軸に損傷はありません。僕は一晩おとなしくしていれば動けるようになりますから、晴れたら町を探索しましょう。タタリモッケが生まれた原因を見つけられると思います」
「承知でございますよ……しかし、晴れますかね?」
「そこは気合で晴らしましょう。最後の一仕事として、怪物避けの護符と、晴天祈願の照々狼好を掛けてから寝ます。確か、手ぬぐいが懐に」
言いながら取り出された手ぬぐいは、血みどろな上に裂けておりました。
「……」
「杏華、僕は先に寝ます」
「あ、はい。おやすみなさいませ」
月牙様は、明らかに意気消沈した様子で寝支度を整え、怪物避けの符を壁に貼ると、すぐ布団に入りました。
やはり疲労があったのか、いつもはワタシが寝るまで起きている気配がするのに、この時はすぐ寝息が聞こえ始めました。
時雨ちゃんも眠りが深いようで、二人が起きてくる気配はありません。
うろついてるのは茶色のかたまり一匹のみ。白鼻丸は、ワタシの足元で身を丸めました。
「おや、一丁前に見張ってるつもりですか?」
冗談半分に話しかけますが、白鼻丸は耳をぱたんと折っただけでした。ワタシは自分の荷から布切れを取り出し、照々狼好を作りました。雨を司る精霊『狐好』を追う、晴天の精霊『狼好』に捧げる人形です。
皇国の古い、古い習慣です。たまに軒先に吊るしている家々は見かけるものの、自分で作ったのは久しぶりでした。
「てるてるろうず、てるろうず」
口ずさみながら、屏風に手ぬぐいを吊します。昔は本物の生贄を捧げたというのですから、随分と平和な時代になったのでしょう。
「あーした天気にしておくれ」
ちょいと人形をつついてから、さぁ就寝と身を傾けた時でした。
『キューイ、キュッキュイ』
妙に的確な旋律の鳴き声がひとつ。足元の茶色い物体から聞こえてきました。
「……てるてるろうず」
『キュイキュッキュイ』
「あーした天気に」
『ンキュッキュイ』
なんとまぁ、驚き桃の木。このケモノ、ワタシの歌を瞬時に覚えて真似しやがりました。
「前から思っていたのですが、お前、意外と頭良いです?」
指で頬を掻いてやると、白鼻丸は満足げに鼻面を押し付けてから、ワタシの布団の上で丸くなりました。
「ケモノの癖に、やるではありませんか」
枕中央に陣取ろうとする白鼻丸を布団の端に押し除けて、ワタシは布団に潜り込みました。
(怪物対策の、基本三項……)
聞いたことはありません、そんなものは。怪物に対する明確な定義や、対策理論があるのなら。なぜこの皇国には、その術を伝える者たちがいなかったのでしょうか。
「ワタシが過去の歌い手なら、ぜったい、歌にしたのに……な……」
思考を睡魔に飲まれ、ワタシもそう遅くない時間に瞼を下ろしました。雨に濡れ、闇に駆る怪物を、血に濡れる旅の輩を見た後なのですから、泥のような疲労はワタシにも覆い被さっていたのです。
そして翌日。ワタシの照々狼好が効いたのか、はたまた月牙様の気合いが天に届いたのか。
翌朝は幸いなことに、狼好が優勢な晴天でございました。
◇クルミ
夏後半にかけて、動物を誘引する木のひとつ。本作では現実よりさらにクソ硬い金属質な外殻を持っている設定。特に大型獣を引き寄せやすいので、出没が多発するところではまずクルミやカキ、クリなどの存在を疑う事になる。




