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彷徨うモノ 前編 04

 

 兎にも角にも、まず行うべきは安全の確保。そして月牙様の治療です。

 正直、土砂崩れと例の鳥が気になりましたが、ここは安全だと言う大将の言葉を信じるしかございませんでした。

 裏庭から入ってすぐ、使われている様子のない台所の土間に、我々はなだれ込みました。

 まずは大将に声をかけようかと思いましたが、暴れようとする女人を連れていくのに必死の様子で、話しかける余地がございません。


「杏華。わたし、薬とか取ってくるから」


 時雨ちゃんは落ち着いた様子で、ワタシが声を掛けるより先に廊下をすたたーっと駆けて行ってしまいました。


「で、では。月牙様、すみませんが衣を」


 月牙様の方も、ワタシが動くより先に脱衣を試みておりました。怪我の治療は衣越しではなく、直接目で見て行うように。月牙様が最初にワタシに教えた、応急処置の基本でございます。


「ええと、その。時雨ちゃんが薬を持って来てくれるから、まずは血を止めて、傷を洗って……」


 震えながら青年の腕に触れようとした所、月牙様はひょいと腕を避けてしまわれました。


「怪我の処置より先に、全身の確認ですよ。致命傷の有無を調べなさい。浅い傷に、気を取られないように」


「え、えっと、申し訳」


 震えるワタシに、青年は笑いかけました。


「無傷の君が動揺してどうするのです。失血死するような傷は負っていないので、ゆっくりで構いません。以前に教えた手順で、処置をしてみなさい」


 絶賛出血中の己を教材扱いするな、と思わなくもありませんでしたが、言ったところで処置は進みません。

 道中で受けた手解(てほど)きを必死に思い出しながら、私は恐る恐る月牙様の身体に視線を落としました。


 すぐ目につく怪我があったとしても、それが致命傷でなければ、まずは体の軸、致命傷になり得る怪我の有無を確認。最も酷いけがの止血を行ってから、傷を綺麗に洗浄。頭や骨の軸に衝撃を受けている恐れがあれば、一日絶対安静に。

 道中でしっかり叩き込まれたはずの手順は、動揺と共にほとんどが吹き飛んでおりました。


「僕の体の軸に、深傷(ふかで)はありましたか?」


 ワタシはぶんぶんと首を振りました。月牙様がこの時、最も深傷(ふかで)を負っていたのは左腕でございました。咄嗟に腹を庇ったためでしょう。

 旅装の月牙様は肩当てや手甲を身に付けていらっしゃいましたが、夜間の薄着が災いしたようです。

 その他、腕で守りきれなかった腹の側面や、足の外側にも怪我がありますが傷は浅い、と。

 ワタシの答えを聞いた月牙様は、いつもよりも穏やかな声で紡ぎました。


「初めてにしては上出来です。今後似たような事があれば、同じ手順で対応しなさい。ケモノが狙ってくる部位には、ある程度の法則があるので事前に知っておくと痛った! 傷を触るなら、事前に言いなさい!」


「あっ、ごめんなさっ」


「いや手は離すな血が出ます。怒ってませんから。躊躇しなくて良いので、布を傷に押し込んでから圧をかけなさい」


 怪物の急襲、からの負傷。緊急事態のはずなのに、いまいち緊張感がなかったのは、当の本人があまりに落ち着き払っていた為です。

 淡々と指示を重ね、おおよその怪我の止血が終わると、青年は微笑みました。


「後は時雨に任せましょう。君も身体を拭きなさい。風で乾かしたい所ですが、今は術式を使ってやれないから」


 外の雨音は止みません。少し歪な硝子の窓を、強い風が叩き続けています。手拭いで身体を乾かしつつ、ワタシはそっと月牙様を見上げました。

 月牙様の右目は、屋内に入ってからは明滅を止め。いつも通りの動きと、美しい藤水面(ふじみなも)の色を取り戻しておりました。


「月牙様。その、目のご様子は」


「……。痛みは、既にありません。しばらくは目眩(めまい)が続くかもしれませんが」


 青年は、それだけ答えるとしばし沈黙しました。洋燈の明かりが、見慣れぬ異国風の調理機器や、壁に這う錆びた配管を照らし出しています。

 我々の身体を伝って落ちた雨雫が、土間に染み込んで黒い影を作る様を眺めながら。月牙様は、静かに言葉を落としました。


「もう気付いているでしょうが。僕の右目は、絡繰を仕込んだ義眼です」

♢致命傷の回避

 人間の急所は身体の中央や太い血管に集中しているため、とっさの際に重要な部位を守れるかどうかが生死を分けることがある。身体を使った防御は体の外側に当てて内側を守るやり方になるので、怪我前提の最終手段。現実世界では、鳥獣撃退用スプレーで間合いに入らせないようにするのが先。

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