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彷徨うモノ 前編 03

 

 まず、聞こえたのは鳴き声です。

 ほうほう、ほろほろ。玲瓏鳥に似ていますが、それにしては大きく耳に響きます。

 心がざわざわ? 少し違いますね。身体が細かく震え、胸を締め付ける感覚が湧き立つのです。


「何の……鳴き声でございますか」


 気付けば、月牙様たちも身を起こしておりました。

 ほうほう、ほろほろ。ほうほう、ほろろ。繰り返す声は次第に大きくなり、そして──。


『リン、リン、リンコロリ。リン、ト鳴くノハ何ノ声──』


 歪な響きとうねりを伴う、人語の響きに変わりました。本能が背筋を凍り付かせ、沈黙を呼び寄せます。誰も何も言わない中、子守唄はふぅっとかき消えました。


「止まった……?」


 しかし静寂は一瞬。次に聞こえてきたのは、腹を震わすような雷……いいえ、地鳴りの音です。


「──月牙様!」


 叫んだ時には既に、月牙様は刀を掴んで飛び出しておりました。部屋から中庭に飛び出した我々が見たのは、これから進むべき方向を大小さまざまな岩や木々がなだれ落ち、道ごと崩れていく様でありました。

 

「ああ、そんな」


 落胆に意識を向けられたのもつかの間。こんなにも雨音がうるさいと言うのに、また不気味な子守唄が響き始めました。


「杏華、歌がどこから聞こえるか分かりますか!」


 月牙様の声に、私は慌てて聞き耳を立てました。意図した名指しかは知りませんが、ワタシは耳が良かったのです。

 目を閉じ、意識を集中──否、拡散させます。一点に音を集めるのではなく、さまざまな音をありのままに聞き、選んだ音を拾うのです。

 ざぁざぁ、ごろごろ。雷鳴、雨音は邪魔なので無視です。ほろほろ、ほうほう──その音が始めに響く方向を振り返ります。


「あちらの方角で」


 叫びかけた時でした。己が指差した方向に、雨に濡れた女が一人佇んでいる事に気が付きました。

 着物のみすぼらしさも目立ちますが、何より視線を引くのは片目を覆う眼帯です。それは、彼女の目が常人のように機能していないことを示していました。


「……こ」


 雨の中、かすれた声が聞こえました。


「どこ、どこなの?」


 ワタシは、背筋が雨ではないもので冷えていくのを感じました。

 その声は小さいながら、確かに何かを呼んでいて。我々が出所を探っている声は、女の声に呼応しているように聞こえるのです。


「お客さん、そこに全員いるな!」


 遅れて飛び出してきた大将が、我々の視線を追って硬直しました。


「お前、また……っ!」


「おいで、おいで。あたしの……かわいい赤ちゃん(・・・・)


 直後でした。女の真上に巨大な、あまりに巨大な玲瓏鳥(れいろうちょう)が現れたのは。

 玲瓏鳥は集落の近くでも現れる、夜の鳥。円盤のような丸い顔を持つ、愛らしい姿を目にしたことがあります。

 しかし、本来の玲瓏鳥は人の腕に乗る大きさです。なぜ、アレは人の丈を優に超えていて、顔面が人のそれに類似しているのでしょうか。


「っ!」


 月牙様はすぐ駆け出しました。下駄を脱ぎ捨て、泥を跳ね飛ばしながら速度を上げる間に、その足元が淡く光を纏います。


 ──風の術式を扱う事に長けていた月牙様の、戦闘における究極の形。脚部周辺の風を操る事で空中機動を可能とする、『(たつ)の舞』と呼ばれる術式でございました。

 常人にとっての奥義にして、月牙様の十八番。月牙様がワタシにあの技を見せたのは、この時が初めてでございます。

 なにせ、この時の我々はまともな装備もなく、月牙様の手元にあるのは刀が一振りだけ。そして相手は、空を自在に飛ぶ怪鳥だったのです。


「っ!」


 地を蹴り、常人では考えられぬ高さまで跳躍した青年が、空中に止まった時間は一瞬。三日月の如き弧を描き、青年は怪鳥の翼めがけて刀を振り下ろしました。


『ギャッ!』


 羽が飛び散り、翼の歪んだ人面鳥は姿勢を崩します。青年は続けて跳躍。姿勢を崩した怪鳥の腹にトン、と蹴りが触れた瞬間。吹き荒れた疾風が、怪鳥の身体を地面に叩き付けました。


 ──嵐の中、風と共に舞い、刀を振るう若き旅人。それはまさに、人々が思い描くおとぎ話の怪物退治でございました。

 ワタシや大将は、おとぎ話のような戦闘が眼前で行われる様子に圧倒され。あるいは見惚れていたのですが、事はそう単純ではございませんでした。

 地面でもがく怪鳥に狙いを定め、刀がまっすぐ振り下ろされます。その先端が、大きく膨らんだ怪鳥の羽毛に触れ、さらにその奥の皮膚に届かんとした瞬間。


『止めテ!』


 ──悲鳴が。悲痛な人語の響きが、空気を震わせたのです。


「……っ⁈ 」


 月牙様は無理やり制動をかけ、飛び退きました。バサバサともがき、あえぐ怪鳥の(くちばし)から、その言葉は流れます。


『怖イ、止めテ、オカアサン!』

『痛いヨ、タスケテ!』


 それは、幼い子供の声でございました。ただ鳥が声を真似ただけにしては、あまりに感情のこもった、痛烈な叫び。その声を聞いた大将が、ひゅ、と小さく息を呑む音が聞こえました。


タタリモッケ(・・・・・・)ですか。小賢(こざか)しい真似を」


 月牙様も、怪鳥が言葉を発した事にしばし困惑していたようですが、顔を顰め。起き上がった怪鳥に、静かに刀を向けました。

 洋燈(ランプ)の光を灯していた刀身に、藤色の光が宿り。青年の足が地面を踏み込んだ、その時でございました。


『あはハ、はハ!』


 無邪気な笑い声と共に、怪鳥が翼を広げました。赤い艶を宿すその翼に、ぽつぽつと。月牙様の術式と同じように、竜沁の光が宿り、膨らむ様をワタシは見ました。


「──時雨!」


 月牙様が叫んだと同時に、時雨ちゃんが我々の前に飛び出しました。水底に差し込む陽光のような、淡い碧色の竜沁が収束し。蓮の葉に似た光の盾が顕現(けんげん)した、刹那。


『痛い、痛いノ、飛んでイケ!』


 無邪気な声と、赤黒い光の波。それらが同時に、我々の元へと押し寄せました。とっさに顔をかばいますが、蓮葉の盾に遮られ、光の波は我々に至らず。

 背後では、吹き飛ばされて土壁に激突した荷車の破砕音が大きく響きました。


「……っ」


 月牙様は、ご自身で身を守られておられました。蓮葉の盾が霞んで消えると同時に、タタリモッケは大きく後退。

 斬られたはずの、しかし無傷(・・)の翼を難なく広げ、屋根に着地しました。


『リン、リン、リンコロリ。リン、ト鳴くノハ──』


 それは、最初に我々が耳にした子守唄でした。

 人面の付いた首を真横まで歪め、赤き双眸(そうぼう)を夜闇に光らせ。たどたどしい幼子の、しかし空虚な声で紡がれる音の羅列は、ワタシの肝を凍らせるに十分な恐怖を有しておりました。


「時雨、そのまま皆さんを守っていて下さ……っ!」


 月牙様が、屋根上の怪鳥に追撃の姿勢を取ろうとした、その時でございました。

 バチッ、ガチガチと、ずれた歯車同士が擦れるような音が響き。月牙様が、痛みを堪えるように身を丸めたのは。


「っ、ぐ、」


 月牙様が咄嗟(とっさ)に押さえたのは右目。手で覆われてもなお、隠しきれない斜めの傷跡。その痕跡を浮き上がらせるようにして、藤色の光が規則正しく明滅する様は。まるで、壊れかけの絡繰のようでございました。

 困惑から思考を広げるより前に、翼を広げたタタリモッケの動きが視界に映り。


「月牙様!」


 ワタシが青年に警告を発した、その瞬間でございました。


「あたしの子供、あたしの……やめろぁあァアア!」


 これまでずっと沈黙を守っていた女が、なんと手持ち洋燈(ランプ)を月牙様めがけて投げ付けたのです。

 運の悪い事に、女がいた方向はこの時の月牙様に取って死角でありました。

 ほんの一瞬。しかし致命的に反応の遅れた月牙様が驚愕と共に洋燈を斬り付け、その明かりが消えた時。夜闇に溶けた怪鳥の影が、青年めがけて鉤爪を突き出しました。


「このぉ!」


 考える余地はありませんでした。ワタシは地面に手を伸ばし、先ほどの風で吹き飛ばされたであろう火かき棒を、怪鳥めがけて投擲(とうてき)しました。

 怪鳥は火かき棒を避ける為に飛び上がり、しかし逃げようとはしません。月牙様を明確な脅威と見做したのでしょう。再度、鉤爪を繰り出そうとした所で──


「その子に、手を、出すなっ!」


 ──時雨ちゃんの怒声と共に、視界が焼き付くほどの閃光がタタリモッケの動きを遮ります。続けて、月牙様が再度投擲した火かき棒が、タタリモッケの眼球を貫き。不快な金切り声を残して翻した怪鳥は、闇に身体を沈めました。


月坊(チィチィ)!」


 怪鳥が消えた。その認識をワタシが持った時には既に、時雨ちゃんが動いておりました。時雨ちゃんの向かう先、雨に打たれながらうずくまる青年の姿を見て、ワタシも慌てて駆け出します。


「月牙様、大丈夫でございますか⁈ 」


「……っ」


 即座に分かる異常は、ふたつ。ひとつは、左腕と腹から滲む血の赤色。怪鳥の爪が掠ったのだと分かりました。

 そしてふたつめは、不自然な光を弾けさせる右目です。その明滅は規則正しく、何より。こちらを見上げた左目とは、異なる方向に瞳が傾いておりました。


「月牙様、その目……」


 月牙様は、ワタシに応えませんでした。顔を背け、時雨ちゃんの肩を借りて立ち上がります。降りしきる雨、泥、そして血。あらゆるものが混ざった液体が、洋燈に照らされながらポタポタと地面に染み込んで行きました。


「まずは、室内に。応急処置をして、怪物の再来に、備えなければ」


 月牙様は、腹を押さえたまま立ち上がりました。足腰はしっかり立っているのですが、目眩を起こしているのか、その歩みはやや不安定でございました。


「それから、部屋に結界を」


 刀を納め、頬をぬぐい。青年が冷静に紡いでいた言葉を遮ったのは、女人の罵倒でした。月牙様に向かって何か文句を言っているのは分かるのですが、聞き取る事は難しく。


「まだ、何か言うつもり」


 真顔の時雨ちゃんが、めらりと竜沁をたゆませた所で、大将が女人を取り押さえました。


「あの化け鳥は、中までは入って来ねえ。今のところはな」


「え……?」


 大将は乱暴に女を室内に押し込みます。女は絶叫し、奇声をあげて対抗しますが、なす術もなし。


「その兄ちゃんも、早く治療しねえとな」

 

 大将の言葉に、ワタシは肩が震えるのを感じておりました。

 月牙様は怪我を負い、町は土砂崩れで道を失い。人をも喰らえる巨大な人面鳥──否、怪物の襲来する町に、我々は閉じ込められてしまったのです。


 

◇雨と怪我

 出血対応の基本は止血、体温の保持、血の材料の補給。雨で直接濡れる場所、地面の冷気が伝わる座らせ方などで長時間置いてはいけない。噴き出すような大出血がなければ、まず安全な場所に移動すべし。

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