幻惑の村 後編05
ひと言に旅人と言いましても、用いる道や宿には職業ごとの個性がございます。
例えばワタシのような一人旅の女芸人は、道中の治安が最優先。芸人は人攫いや強盗に狙われやすいですし、古い慣習の農村に立ち寄ろうものなら、『攫い婚』の被害にも遭いかねません。
よって、ワタシは主街道から外れる事はなく、芸人を雇える旅館や座敷がある場所を巡回する形で旅をしておりました。
対する月牙様は、主街道を外れた山道を好んでおられました。
人目がなくて気楽だからと仰っていましたが、月牙様は山野に分け入り長時間戻らない事があったり、山菜や魚等の食材を集めて来る事もあったので、『任務』や食材調達の為にあえて山道を選んでいたようでございます。
また、宿泊では野宿か、小綺麗な貸火宿──好きに使える台所が付いた、格安の素泊まり宿──あたりを好んでおりました。
さすがに、布団に虫の湧いているような環境では渋い顔で床に転がっておられましたが、調理や屋台での買い出しといった、食事を選ぶ時間を好んでいらっしゃったのです。
さてさて、この日の宿泊先は、山道の少し手前に位置する貸火宿。ワタシが手渡した紙に目を通しながら、月牙様はため息をつきました。
「驚嘆に値しますね」
「月牙様がいつも、どこからともなくちゃぶ台を取り出す事がですか?」
「これは僕の相棒なので、何も不思議ではありませんが?」
明らかに月牙様の荷物量とつり合っていない、組み立て式のちゃぶ台ひとつ。殺風景な貸火宿に突如現れたそれを指で叩きつつ、月牙様は顔を上げました。
「驚いたのは、君の学力にです。社小屋を出ていないという話でしたが、読み書きに問題はなし。社小屋の基礎学年卒に並ぶ教養もあると思います。体系だった覚え方では無いので、かなり偏りはありますがね」
「本当でございますか⁈ あまり褒めると調子に乗るでございますよ」
「……」
「あれ、月牙様?」
首を傾げて見つめますが、月牙様はしばらく無言でした。珍しく遠慮しているような、心配そうな表情で視線を落としておられたのですが。
「……教えた人間が良かったのでしょう。君、師父がいたと言っていましたね。その人は今何を?」
青年の顔には、既に結末は知っていると書いてありました。
ワタシはしばし言葉に詰まり、目を伏せてから答えます。
「数年前、怪物に殺されました。白銀の鹿に似た、手足に鱗を持つ美しい怪物に」
語るだけで、かつての光景が思い浮かびます。かの怪物はあまりに残忍で、狡猾で。馬を潰し、荷車を壊し、一人一人を確実に狙う執念深さを有しておりました。
水晶のように清らかな声で歌い、美しい枝角を振りかざす。その白銀の毛皮が、月光に波打っていた事を覚えています。武器を手にした師父の身体が、人形のように宙を舞った光景も。
「ワタシはずっと、荷車の陰で身を丸めていました。相対するほどの度胸も、技量もなかった。だからこそ、生き延びてここにいるのでございますよ」
「……そうですか。ケモノに」
相槌の声は、少しだけ掠れていました。膝の上に置いた手を惑うように動かし、しかしそのまま話し続けます。
「君の身の上で、ケモノに接するのは酷ではありませんか。親しき者の死は、想起するだけで心の動きを阻害するもの。決して楽ではないと思います。僕に同行する以上、彼らとの接触は避けられませんよ」
「お気遣いは不要でございます」
ワタシは、強い意思を持って言い放ちました。
「ワタシは知りたいのです。怪物は山奥に暮らすと言われてきたモノ。しかし、皇姫の庇護下にある我らが皇国で、急激に数を増やし始めています。その原因、その対抗策を知りたいと願うのは、一国民として自然な思考でございましょう?」
ワタシの言葉に、青年はしばし沈黙しました。紙を置き、荷物に手を伸ばしながら。
「物好きですね、君は」
月牙様はなぜか、寂しそうな笑みを浮かべました。
「話を戻しましょうか。とにかく、読み書きがこれだけできれば、術式の基礎を教えるのに不便はしません。君には、さっさとまじない歌の制御と応用を覚えてもらいます」
青年の言葉に、ワタシはぱっと顔を上げました。
「感謝でございます!」
「ただし。まじない歌は体系だった技術ではありませんから、僕も表面を触る事しかできない。そもそもの竜沁制御、術式の原理など、基盤となる知識を押さえる為の学問としては、僕や時雨が主力とする術式系統──通称『風水源流道』を使いましょう」
「はい。はい?」
何やら、耳なじみのない単語が入ってまいりました。
「『風水源流道』は、この国の神話を基盤にした術式体系、その原型です。巫師が用いる『水源巫術』や、薬草の効果を高める術式である『薬療癒術』は、この術式の派生技術に分類されています」
「はぁ」
「ですから、術式基盤である『風水源流道』の考えを体得するには、宗教儀礼に対する知識も必要になってきます。『古典文字』、『巫師作法』も教養として習得しましょう。それから、今後も一人で旅をする気なら、ケモノへの対応も理論として覚えた方が良いですね。『ケモノ対策の基本理論』と『生態』、最低限の『護身術』と、今後は需要が増えるであろう『帝国言語』──」
「月牙様、月牙様。お待ち下さいまし」
「何ですか」
「ご指導いただけるのはありがたいのですが。本当に嬉しいと思っているのですが。詰め込み方がエグいでございます」
「何を甘い事を」
青年はふんっと鼻を鳴らしました。
「君があくまで付いて来る気なのであれば、せいぜいこき使ってやるまで。戦力になるまで鍛えますから、振り落とされないように足掻きなさい」
「エエン! これが鬼教師というやつでございますか腕はその方向に曲がらないでございます痛ぁい!」
「君のような小枝でも扱える、護身術の一例です。さっそく勉強になりましたね」
「本当に容赦がないでございます⁈ 」
と、口では言うものの。ワタシは物心着いた頃から旅暮らし。
ワタシよりも年少の子供達が、社小屋から教本を持って飛び出してくる様子を眺めて育ってまいりました。
周囲の大人には恵まれていたので、歌物語や踊り等の芸事、読み書き、皇国地理なぞは覚えた状態で独り立ちできましたが、生活に直結しない勉学は未経験。
解放された腕をさすりつつ、好奇心に身を揺らしていると、月牙様は懐から取り出した小袋を私に差し出してきました。
「教本の類いは、町に出た時に取り寄せます。まずは、これを身に付けておきなさい」
袋を受け取ると、くぐもった鈴の音が響きました。袋を開けると、月牙様が身に付けているものと同じ、勾玉型の美しい鈴が収められておりました。
「これは……祭鈴でございますか?」
勾玉の首飾り、束ねた鈴と雷型の護符を取り付けた聖杖。これらは、巫師が身に付ける装身具の一種でございます。
勾玉は水源の竜の爪牙を表し、祭鈴と雷型は雨風によって土地を清める嵐、水源の力を表すものでございました。
月牙様は聖杖をお持ちではありませんでしたが、よく響く勾玉型の鈴をひとつ身に付けており、儀礼にもその鈴を用いておられました。ワタシにこの時渡されたのも、同じ勾玉型の鈴だったのでございます。
「この鈴、鉱石や製法が特殊なのですか? 村の巫子が使うものは、あくまで勾玉と鈴、別々の祭具だったかと。このような形で鈴の音が鳴る祭具など、他に見たことがございません」
「確かに祭具も兼ねていますが。君にそれを渡すのは、『風水源流道』の取り扱いに必要な術式媒介だからです」
「じゅつしきばいかい?」
首を傾げたワタシに、月牙様は問いました。
「君、まじない歌を歌う時は、衣装を改めていますね。あれは何故ですか」
「ええと……そういった型のまじないだから、でございます」
ただの歌に毎回まじないの効果を乗せていては、疲労してしまいます。特定の身振りと衣装を歌に重ねる事を、まじない歌の発動条件として身体に覚えさせる。それが一般的なまじない歌の習得方法だったのでございますが。
「他の術式でも、基本概念は同じなんですよ」
青年は、少し言葉の速度を緩めて続けました。
「竜沁はあらゆる生命の根幹にして、物質の最小単位。外部からの意思の介入によって在り方を変え、物理現象に干渉します。術式媒介は、我々の意図を竜沁に伝え、世界に干渉する経路を作るための道具なのです。つまり──」
出力に使う道具や型が異なるだけで、竜沁術式と呼ばれる技の根幹は同じである。月牙様と同じ術式を基盤にするのであれば、合わせた道具も必要になる。
月牙様が仰りたかった意図を、今なら理解できるのですが。
「はぁ」
当時のワタシは半分も理解しておらず。月牙様もこの頃はまだ、噛み砕いた説明がそこまでお得意ではありませんでした。
互いに首を傾け、微妙な沈黙を挟み。青年は、首の後ろをかきながら嘆息しました。
「まぁ、とにかく。その鈴は術式を扱う上で必要な道具であり、替えのない品です。失くしたら、その辺の木に縛って置いていきますよ」
「な、失くさないでございますよ」
肩を縮こまらせるワタシを見て、月牙様は静かに微笑み、背を向けました。
「明日からまた、山道に入りますからね。君も早く寝るようにしなさい」
「承知でございます。ちなみに、どの町を目指すのでございますか?」
怪物の子を抱いて眠る時雨ちゃんに、布団をかけ直しつつ訊ねますと。青年は解いた髪に、手櫛を通しながら応えました。
「リンドウ。絡繰の生産に必要な、『竜胆石』の採掘で有名な鉱山町ですよ」
♢獣と鈴
野生動物との遭遇を避けるならまず鈴。人が来て音が鳴ると覚えた動物は、人を避けた行動を取るようになる。とはいえ、しゃがんだり音止めしていると鈴はならないので、ラジオなども推奨される。人がいない畑に流しっぱとかは慣れるから意味がない。




