幻惑の村 後編03
村人たちがそれぞれの得意料理を大皿で持ち込み、社の前で焚き火を囲んだ宴になる。これは当時、あちこちの村落で見られた光景でございました。
祭りもないのにどんちゃん騒ぎ、役人によっては片眉をつり上げそうですが、この時ばかりは許された事でしょう。
何せ、村人たちはいつ誰が狂うか分からぬ緊迫感から解放され。地下に封じるしかなかった病人たちも正気に戻った上で、原因の排除にも成功したのです。
社の床には魚に団子、饅頭、たっぷりの野菜や果物に、奮発したであろう肉の味噌漬けまで並んでいました。
酒瓶を携えた村人たちは、月牙様に入れ替わり立ち替わりで話しかけ、ひと口減らした盃を並々の状態にしてから去っていきます。
青年の背中を豪快に叩く壮年、膝によじ登る子供などにひやひやしていそうな村長たちをやんわりと制し、愛想よく微笑んでいた月牙様ですが。
「あんた、今の仕事が落ち着いたら、この辺りの社に移る気はないのかね」
「上司の指示次第ですかね……お水いただけませんか?」
五杯目を注がれたあたりから頬が引きつり、十杯目あたりから流石に余裕がなくなり始め。
「ほれ水だ。よし飲め、さぁ飲め。一気に飲み干せ」
「ありがとうござ……酒じゃないですか!」
「火ィ付けたら燃える以外は水じゃろがい」
「それをっ、世間ではぁ、酒と言うんですっ! 」
いい感じに呂律が怪しくなっておられました。怪物の毒は防げても、酒の毒を防ぐのは難しかったようでございます。
「あれは二日酔いになるでしょうねぇ……」
ワタシは村人たちのお酌をしてまわりつつ、苦笑いを浮かべていたのですが。それもひと段落という頃合いで、ハヤさんにお声がけいただきました。
「ねぇ杏華。月牙さんって実際何者? 巫師なのに男だし、怪物退治とか、罠なんかも作っちゃってさ。というか、どうやってお付きになったの」
やや酒の入った様子のハヤさんにずいと迫られ、ワタシは苦笑を浮かべました。
「矢継ぎ早なご質問でございますね。ワタシは、あの方の経緯については存じ上げないでございますよ」
ですが。月牙様が用意された罠や絡繰といった道具の数々が、何かしらの技術体系に基づいて発想されたものだという事は、察しが付きました。
月牙様の取った手法はあまりに的確で、洗練されておりました。即座に探索を始めた判断の速さや、設計図も用意せずに罠を作り始めた手際を見れば、一目瞭然です。
そして、これらの手法は初めから、民草が扱う事を想定した技術だったのではないかと。
そんな事を考察してはいたのですが、己の考えをハヤさんや村民たちに伝える必要はございません。
ワタシの役割はただ、噂を届ける風に徹する事。己の意見を求められているわけではなかったのです。ゆえに、目を伏せながらこのような言葉を紡ぎました。
「近年の皇国内における、怪物の発生頻度は異常と聞いております。建物の中に入り込む、といった例はワタシも最近初めて体験したのですが、安全なはずの主街道で襲われた、という噂も耳にいたします」
アカナメが、もしかすると他の怪物が村落に現れる事もあり得るかもしれない。ハヤさんも、この村の皆さまも、備えておいて損はないはずです、と。
ワタシの言葉にハヤさんはしばし沈黙し、盃を置きました。
「……杏華には、あたし達の気持ちはわかんないよ。あたし達みたいのは、怪物なんて初めて見たんだから。あんな化け物、穢れを運ぶものを、急に自分達だけでなんとかしろって言われたってね」
ハヤさんの言葉に、ワタシは目を伏せました。
「出過ぎた事を申してしまったようでございますね」
「んーん。別に良いよ。杏華じゃなくて、巫師様の考え方が変なんだもん。あんなのと、普通の村人が戦えるわけないじゃん。建国奏歌でも、怪物と戦うのは──」
などと。ハヤさんが言いかけた時でございました。
「月牙さん、あんた、水源の加護を受けとるんだな。神聖な巫術の技に、怪物に立ち向かえる武の心得。まるで、建国奏歌に語られる『紫星の君』みたいじゃあないか」
上機嫌な村人の、やや大きな声が焚き火越しに響きました。月牙様に話しかける村人の一人でしょう。安堵、謝意、信仰。社の奥、祭壇に鎮座する御神鏡は、喜びに湧く人々を映しておりました。
「そういえば、あんたは見た目まで『紫星の君』の言い伝えにそっくりじゃないか? その輝き、明けの空の如し。麗しき紫紺の髪なびかせ──」
「バカ、誰もお前の下手な歌なんか聞きたかねぇよ。おい杏華、何をのんびりしてるんだ。お前の仕事の時間だろうが!」
「はい、はい。いま参るでございますよ」
村人に怒鳴られ、ワタシは慌てて立ち上がりました。歌い手としての仕事を振られては、悠長に食事に興じてなどいられません。
ワタシは衣をさっと整え、焚き火のそばに躍り出ました。
「それでは一曲、宴に花を添えさせていただきたく存じます。本日のお題目はいかがいたしましょう?」
「話聞いてなかったのか? 建国奏歌に決まってるだろ!」
楽しげな野次に、笑顔の村人たちが待ってましたと盃を掲げます。ワタシは周囲が落ち着くのを待って、すぅと息を整えました。
「それでは、ご要望にお応えしましょう。これより語りますは、朔弥皇国 建国奏歌、玉響の章」
題目を口にした瞬間、人々は水面を打ったように静まりました。火の爆ぜる音を背に、ワタシは幾度となく紡いできた建国の神話を旋律に乗せ歌い始めます。
遥か昔。この国が、まだ『朔弥』の名を持たなかった時代の話。とある巫子が、水源に棲まう竜神の予言と加護を受け、怪物を束ねる悪しき魔王……『鬼奴王』を討伐し、巫子の王たる『皇姫』に至るまでを描いた、救世と建国の物語。
その登場人物の一人が、『紫星の君』でございました。鬼奴王と対等に渡り合う腕前の武人であり、後に初代皇姫の恋人であったとも伝えられる、人気の人物でございます。
「その輝き、明けの空の如し。麗しき紫紺の髪なびかせ──」
当時、朔弥人の多くは紺色、もしくは鬼奴の民の血を交えた焦茶の髪色をしておりました。星髪だとか、菖蒲髪と称される、独特の艶がある紫紺色の髪──月牙様のような髪色は、高貴であると尊ばれていたのでございます。
村人たちの視線が集まる中、紡がれる古の物語。
語りに聞き入る人々の表情は、酒に赤らみ満腹に満足し、純朴でございました。とても、怪物に対して憎悪を剥き出しにしていた顔と同じには見えません。
「……」
そして、歌の途中。ふと月牙様の方に視線をやれば、盃を手の先にだらりと下ろした青年は、炎の弾ける様をぼんやりと見つめておりました。
♢保定具
月牙DIYのベースその3。動物の首にかけて捕まえる道具。首締め防止の加工をしたワイヤーと、長い柄がセットになっている。怪物が相手だと、単体で動きを完全に押さえるのは難しいだろうという判断で、いろいろ外付けの絡繰が取り付けられた。




