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幻惑の村 後編01

 

 斎ノ社の木陰に、それはうずくまっておりました。

 赤い皮膚に、くすんだ緑色のたてがみ。カマイタチよりも大きく、面長な顔立ち。だらりと垂れた片腕も、身を丸めた様が、ヒトの子によく似た怪物。それがアカナメでございました。


「完全な睡眠とはいきませんが、薬が効いているようですね」


 月牙様は襟巻を口元に引き上げながら、ワタシたちを振り返りました。周囲には、怪物の噂を聞きつけた村人たちがあちこちから顔を出しております。


「僕が良いと言うまでは、近付かないで下さいね」


 周囲に言い含め、月牙様はワタシを振り返りました。


「教えた通りにやれば問題ありません。落ち着いて対応しなさい」


「しょ、承知でございます……」


 恐る恐る踏み出すワタシの手には、頑丈な鍛冶用の革手袋がはめられており。そして、竹竿──否、竹竿と針金入りの縄、そして木製の小さな絡繰を組み合わせた道具を持っておりました。

 絡繰さえなければ、構造は非常に単純。竿の先端に縄の輪があり、手元で長さを合わせる事で、輪の大きさを自由に変えられる。それだけの道具でございました。


「巫師さま。そちらの絡繰は、祭具ですか?」


 村人の問いに、月牙様は微笑みました。


「ケモノの動きを抑える道具です。アカナメは暗い場所を好むので、頑丈な箱を用意してやれば、自主的に入る事が多いのですが。今回は時間と道具が足りませんでした」


 ただ、これならば、村人(みなさん)でも扱えると思いまして。

 己の言葉に、村人が戸惑うような反応を見せるのを見ると、青年は微笑を湛えたまま村人たちに背を向けました。その藤色の瞳は、ワタシをまっすぐに見つめております。


「杏華。無理だと思ったら、すぐアカナメから離れなさい」


 赤い体躯の怪物は、重そうに体を引きずりながら、唸り声をあげています。

 前脚にはすっぽりと竹筒がはまっていますが、強化縄で繋がっている範囲なら、自由に動けるようです。赤銅色の毛艶が木漏れ日を反射する度、盛り上がる筋肉の動きがよく分かりました。


「……。問題ないでございます」


 ワタシは深く息を吸い込むと、月牙様謹製の護布を口元まで引き上げました。怪物の首に輪がかかるように縄を被せ、怪物が首を持ち上げた瞬間に輪を締める。怪物が転身し、たてがみから怪しげな霧を飛ばそうとした瞬間です。


「──せい!」


 ワタシは怪物の身体を竹竿で押し返しつつ、機巧の柄に取り付けられたふたつの起動器(スイッチ)を押しました。カチリと小気味良い音と同時に光る絡繰。怪物の発しかけていた霧が霧散し、怪物はあっさりと地面に倒れ込みました。


『──原理は、この村への到着時に使った術式の応用です。竜沁回路に割り込み、強い暗示を掛ける事で意識を奪います』


 昨晩、複雑な紋様を術紙に描き、絡繰箱に貼り付けながら、月牙様はそのように語りました。

 起動器を押せば、使用者の竜沁を吸った絡繰が術式を発動させる。万が一、絡繰が暴発した時に備え、術式の威力は最低限。殺傷能力は持たせない。あくまで怪物の幻惑を封じ、不動化させるためだけの絡繰である、と。

 青年の言葉通りの現象が起きた事に安堵し、動けずにいると月牙様が隣に並び立ちました。


「もう起動器を離して結構です。気絶している事を、背面から回り込んで確認します。止めを刺すまで、油断しないように」


 青年に頷き、指示された手順で怪物の身体を竹竿でつついていきます。声をかけ、背をつつき、顔をつついても反応せず。月牙様が頷くのを見て、ワタシは怪物のそばに膝をつきました。

 

(こうして見ると、ただの獣のようですね)


 人の子供のような形をした手指、薄く閉じたまぶた、穏やかな呼吸を繰り返す腹。猫とさして変わらない、と思うと、手にした小刀を刺すのが少しためらわれます。


「……っ」


 己の指が毛皮に沈み、怪物の呼吸に合わせて上下しております。身の丈の半分程度の怪物を目の前にして、小刀を手にためらい続ける冒険者。そんなものを、歌物語で聞くとしたら笑い話でしょう。ですが、ワタシは英雄などではなかったのです。


「……。ここまでで十分です。後は僕がやりましょう」


 隣に膝をついた青年は、ワタシの様子を見ると小刀を取り上げました。


「あっ」


 ワタシが言葉を発する前に、青年は素早く小刀を怪物に差し入れました。

 怪物は、かすれた悲鳴を上げかけましたが、青年が少しだけ小刀の位置をずらしたのが影響したのでしょうか。怪物は地面をかくように足を震わせた後、やがて静かになりました。


「よく頑張りました。討伐終了ですよ」


 月牙様の声に、ワタシはへなへなと脱力いたしました。己は境界人(さかいびと)、身分の外に置かれた宿無し草だから穢れなど気にしない。怪物に止めを刺すのだって、魚をさばくのとさして変わらないだろうと思っていたのですが、そんな事はございませんでした。

 さぁ、いかにも不慣れな様子の小娘が、怪物の動きを封じて見せる。想定外はございましたが、自分以外でも対応が可能だと言う事を見せたい、という月牙様の目論見は、見事成功でございました。しかし、討伐が終わったとしても、この死体の扱いを考えなくてはなりません。


「月牙様、怪物の死体ですが、前回はどのように処理をしていたのでございましょう」


「ああ。そういえば最終処理までは見せていなかったですね。怪物の死体は、それ自体が新しい怪物を寄せる原因になるのと、アカナメは死んでも幻惑腺があるので……」


 と。月牙様が、そこまで言いかけた時でございました。


「お前か、あたしの旦那を狂わせてたヤツは」


 ゴンッ、と。石が地面に転がりました。ハッと顔を上げれば、見覚えのある女が一人。罠の材料集めを手伝ってくれた、女衆の一人でございました。


「こんなチビのせいで、あたしらは苦しめられてたのか」


 女衆の声は、水面に投じた小石の役割を果たしました。最初は恐れ、遠巻きに見ていた人々が、目に怒りを宿します。暗く燃える、怨念の炎です。


「そうだ、村に毒を撒きやがって」

「さっさとくたばれ」

「そうだ死ね、死んじまえ!」


 罵倒、悪態、小石に足蹴。様々な怨の念が、死体に注がれていきます。無愛想ながらも、我々を気遣ってくれた村長が。罠作りを手伝ってくれた男衆が。家々を見て回る際に茶を差し入れてくれた女衆、畔で遊んでいた子供まで。


「この化け物め!」

「くたばっちまえ!」


 死ね。消えろ。滅んでしまえ。純朴な人々が一斉に豹変し、小さな死体に暗い感情を注ぎ込む様に。ワタシはただひたすらに気圧され、あるいは怯えてしまいました。


「み、みなさま。落ち着くでございますよ。この怪物はまだ……」


 ワタシの制止では、止まりません。貴重な村の働き手を狂気に陥れ、次は誰の番かと戦々恐々になる日々を村人に強いて来たのは、紛れもなく眼前の怪物。怒りを受ける正当な理由を、奴は有していたのです。

 ですが、そうなのですが。急変した村の人々の形相と、異様な光景に思考が追い付かず、ワタシが棒立ちになっていた時でした。


「皆さん、そこまでに」


 鈴のように凛とした声が、熱した空気を冷静に切り付けました。


「アカナメの体液は、死しても幻惑能力を有しています。それに、怪祓を済ませる前の状態ですから、過度な接触は不要な『穢れ』を招きますよ」


 月牙様が淡々と告げる言葉には、冬の湖面のように鋭く、感覚に焼き付く力がありました。怒りに満たされていた村人の瞳も、徐々に勢いを緩め、元の警戒と恐怖の色を取り戻していきます。


「怪物にとって、同じ怪物の亡骸は質の良いエサです」


 月牙様は、いつもの微笑をたたえたまま続けました。


「死体があると新しい怪物を誘き寄せてしまいますから、怪祓が難しい時は燃やして、灰を村の境界石より外で処分します。今回使用した絡繰は皆さんにお渡ししますが、もし同じ事が起きた場合は……」


 穏やかな木漏れ日、安らかなせせらぎの音。この場にそぐわぬ死体、やり場のない感情を顔に浮かべた村人たち。異様な光景の中、ワタシはただ立ち尽くすのみでございました。

 さて、討伐を終えたら何が待っていたか。屋根裏や座敷牢の大掃除と、ずっと保留になっていた御神鏡洗いでございます。ワタシも当然助力しまして、何度目とも知れない雑巾絞りを敢行していたのでございますが──


 

♢電気止め刺し

 電気を用いて止めを刺す装置。月牙がDIYした気絶装置のベース道具その1。安全のためのガイドラインが現状ないので、中途半端な威力で動物がめちゃくちゃ苦しんだり、うっかりした人間が感電死するレベルの劇物構造の道具が出回っている事がある。安全設計のしっかりした道具を揃えるべし。

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