幻惑の村 前編04
「まずは──いえ。君は、どのような行動が取れると思いますか?」
にこやかに、爽やかに。質問に質問を返されました。
「ええ? 唐突でございますね」
「君、足手纏いにはならないと豪語していたではありませんか。お手並み拝見という事で」
意地の悪い笑みを浮かべる青年に、ぐぬぬと歯を食いしばり掛けましたが、ご意見はごもっとも。最低限は使えると思っていただけないと、ワタシの方も困ります。社の壁にもたれつつ、ワタシは記憶のかけらを拾い始めました。
「まず、月牙様の目的はふたつあるでございますね。ひとつは、怪物の対応を考える事。もうひとつは、村長に頼まれた御神鏡洗い──村落の信仰を司る社の要、御神鏡の浄化に必要な巫師としての準備でございます」
御神鏡洗いの儀礼に何が必要なのかは分からない。よって怪物対策に目的を絞って話しますと前置いたワタシに、月牙様は頷きました。
「月牙様は先日、怪物の害を見るのに、建物の状況を見ておられましたね。分身神をその為に飛ばしたのであれば、概要は把握できたと仮定いたします。他にできる事は、自らの足で周辺の調査を行う事、地下に隔離されている人々の状況を確認する事、適した道具の準備を行い、村人に説明を行う事。後は──ワタシのまじない歌で怪物を引き寄せる、とかでございましょうか?」
ワタシの言葉を受けて、青年は少し驚いた後、微笑みました。
「僕の行動を、よく見ていたようですね。しかし、君を囮にするのは最終手段にしましょう。また悪評が付いたと、君に難癖付けられてはたまりません」
「し、しないでございますよ……多分」
「多分なんですね」
青年は苦笑し、言葉を続けました。
「行動の候補は、君が上げてくれたものでおおよそ揃っています。分身神を使用した理由も正解です。今回は取れる行動がたくさんありますから、行動の優先順位を付ける為の概要把握を最初に行いました」
修正点があるとすれば、と。月牙様は御神鏡に視線を向けました。
「御神鏡洗いも、ケモノ対策の一環として同時に行うべき作業です。鏡を信仰の象徴として置くだけの社も多いのですが、この社では正しく御神鏡として……ケモノを含む厄災除け結界、その制御装置として使用されています」
御神鏡が動作不良を起こしているせいで、結界が働かず。また、確実に怪物を防げる絶対領域──『聖域』も確保できていない。正しく社が機能していない事が、怪物に付け込まれている原因のひとつだ、と青年は告げました。
「だから、御神鏡洗い──結界の修繕も、僕がやるべき仕事のひとつなのです。村落内でいつケモノに襲われるか分からない、という状況で損耗しない為にも、社の聖域という確実に安全な領域、拠点を回復する事は優先事項です」
「御神鏡の聖域には、そのような実利があるのでございますね……」
無論、社は聖域であり、村落に加護をもたらすものである、という事への理解はございました。しかし、大いなる水源の加護と恩恵が宿る場所、程度の認識であり、我々のような民草が実利について考える事は無かったのです。
ワタシが感心し、ハヤさんが首を傾げる様を、青年は静かに見ておりました。
「……とにかく。御神鏡が急速に穢れる原因は、地形変化か怪物の接触によるものでしょう」
沈黙を塗り替えるように、青年は少し大きな声を発しました。
「御神鏡の対応には祭壇周りと、周辺の地形をより詳細に調べる必要がありますが、まずは人命優先で。次は、地下に収監されている人々の様子を診て来ようと思います」
その次に周辺地形を自らの足で調べ、怪物の完全特定、御神鏡洗いに必要な手順を確認。実際に動く為の基盤を整える。活動方針をワタシに伝えると、青年は立ち上がりました。
「地下にいる皆様の様子を見て来ますが、そちらの女人を一人にする訳にはいきません。杏華、君には僕たちが戻るまで、女人の監視をお願いしたい。旅守り──護符は身に付けていますね?」
「ええ、ちゃんと用意がございますよ」
「よろしい。何があるか分かりませんから、しっかり持っていなさい」
ハヤさんの案内で月牙様と時雨ちゃんが奥座敷に向かい、部屋が静寂に包まれた時。ワタシはぽつり、言葉を落としました。
「御神鏡は結界の制御装置──でございますか」
ワタシ達に、御神鏡洗いの仕組みを説明していた時の月牙様のご様子。まるで、針で刺された痛みを耐えるような光を目に宿していらっしゃいました。
しかし当時のワタシには、青年の痛みの理由が分からず。ただ、与えられた知識への違和感について考える事に、意識が向いておりました。
「水源の加護を宿した護符や御神鏡は、怪物を防ぐ……御神鏡が司るのは、聖域という名の結界……巫師様は、御神鏡洗いによって結界の修繕を担う……」
月牙様は、当たり前のように怪物の存在、護符や結界の意義を語られていましたが、その在り方は間違いなく異端でございました。
怪物とは曖昧な噂を纏った厄災の象徴。社は水源の神の力を分け与えられた祭殿。我々の当たり前の認識を、信仰の伝道者であるはずの巫師が淡々と塗り替えて来たのです。ワタシはこの時、いち国民、いち信者としての困惑と同時に──
「やっぱり、ワタシの選択は間違ってなかった! 月牙様といれば、ワタシは目的を果たす事ができる……!」
──ごく個人的な。我欲を満たす機会を掴み取った事を感じ、一人で拳を握っておりました。
「師父、どうか見ていて下さいまし。ワタシは逃げないでございます。この好機を、絶対に逃さない……!」
一人で気合いを入れつつ、勝手に興奮していましたが、時間が経てば現実に引き戻されます。背後には静かに寝息を立てる女人。周囲は、社という聖域にふさわしくない重い空気を纏い、ワタシの首筋をチリチリと刺激していました。
「カマイタチの時には、このような感じはしなかったのですが……」
一体、何がこの社の雰囲気を重苦しく貶めているのでしょうか。肩をさすりつつ、視線を周囲に向けた時でございました。
(祭壇上の天井、汚れがございますね)
自力で何かしようと思ったわけではありません。ただ、天井の汚れを詳細に見ようと、ワタシは祭壇に近寄りました。
「あ……⁈ 」
天井の汚れ──黒ずみ腐食したシミから、黒く透明な汁が滴となって滲み出ました。その直下にあるのが村の大事な御神鏡だと気付いた瞬間、ワタシは反射的に飛び出していました。
滴が鏡に落ちる前に、鏡を横にずらす。それには成功しました。ですが、代わりに滴を受けたのは自分のまぶたで。
「な、んです、か。これは」
ぐわんと滲み、回転する視界。身体が燻され、熱されているかのように苦しく、理性がどんどん侵食されて行きます。
その上で、謎の恍惚感が下腹から喉元まで雷のように突き上げました。止めて。痛い。気持ち悪い、気持ちがいい、頭が裂ける。誰かの声が聞こえたような気もしましたが、それどころではありません。
ワタシは、たまらず意識を手離してしまいました。
♢文化財と鳥獣被害
神社仏閣には動物が住み着き、被害に遭いやすい。天井や床下への生息の他に、文化財の柱や御神体への損傷が大問題になる事もある。屋内侵入を行う動物の生息を確認する為には、まず神社仏閣に残る痕跡を調査する……というのが定石。




