それは遠き旅の記憶
あなたの方から、私を訪ねてくるとは思いませんでした。縁とは不思議なものでございますね。
分かっておりますとも。あなたが知りたいのは、かつて皇国を震撼させた怪物たちの事。そして、怪物対策の術を人々に伝えて回った、月牙様についてでございましょう。
今では考えられぬ事かもしれませんが、当時の皇国の民は、怪物の脅威を知りませんでした。
大いなる水源に住まう竜神の神話、巫子の王である皇姫の加護。揺るがぬ信仰と庇護のうちに生きてきた皇国の民は、あの時代になって初めて、怪物を目の当たりにしたのです。
怪物とは、人を喰らうとされたモノ。あらゆる厄災と化外の象徴。生存本能を無視して襲い来るケモノ達は、まさに『怪物』と呼ばれるに相応しい存在でございました。ゆえに。当時の人々は怪物に怯え、家を閉ざし、そして求めたのでございます。
「かつて皇国を築いた竜と巫子のように、清く正しい者達が現れ、自分たちを救ってくれる」という奇跡を。神話の再来を。
そんな中現れたのが、かの青年です。未知の存在たる怪物の正体を暴き、次々と問題を解決する。襲い来る怪物も一刀両断、ひと捻り! 年若い風来人を疑っていた人々も、その成果を称え、そして噂しました。
──民を救う英雄が現れた。これは皇国神話の再来である、とね。
……なぜ笑っているのか。馬鹿にしているのか、ですって?
滅相もございません。私も、あの方の生き様を目の当たりにした者のひとり。人々があの方を、英雄の再来と称え、そして恐れた気持ちも理解はできるのです。
ただ、実際のあの方は英雄などには程遠く。どこまでも、呆れるほどに人間らしいお方でした。清廉優美な活躍なぞ御伽話、堅実地道な作業こそが成功の道、などと宣い泥にまみれ。
一人の英雄ではなく、その地に住まう国民達によって怪物が御され、退治され、時には共に歩み行く。
そんな、絵空事のような未来を。幼き子供のような夢を、抱いておられました。
だからこそ、彼と実際に出会った人々は、その名を胸に刻んだのでしょう。
私も同じです。当時の記憶は、私にとって夏の夕立のように泥臭く。澄んだ夕暮れや、揺れる花々のように美しき思い出でございます。
……釈然としない、ですか。畏敬の念を集め、周囲が記憶するほどの活躍があったのであれば、歴史に名前は残るはず。あの方が、皇国の記録から消された存在である理由が知りたい、と。
ええ、ええ。結構でございます。
わずかな記録、その断片から私を見つけ出した努力に免じて、あの日々の事を語るといたしましょう。
それでは、改めまして自己紹介を。
私……『ワタシ』の名は杏華。月牙様と行動を共にし、その旅を見届けた旅芸人の娘でございます。
時が巡り、時代が変わり。誰もが忘れ去ってしまった歌。
今は遠き旅の記憶を、あなたに伝える語り部となりましょう。
お飲み物の準備は万全ですか? 長くなりますゆえ、膝を崩していただいても結構!
風来人の月牙が紡ぎ。このワタシ、旅芸人の杏華が歌いますは『怪物退治』──いいえ、『ケモノ対策』の物語。
題しまして『月牙風来伝』!
かつての我らが歩んだ道を、共に見届けて下さいませ。
◇鳥獣被害 / 獣害
日本の歴史と鳥獣被害は切り離せない。江戸時代には、イノシシの被害によるケガチ(猪飢渇)で大勢の餓死者が出ている事が知られている。