26 このまま普通に眠らせてもらえるわけもなく
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就寝用のネグリジェに着替え、用意された客室のベッドにポスッと寝転ぶ。
時間は九時前。まだまだ、寝る時間ではないのだが、もう何もする気が無い。旅先でカードゲームは定番だと思って持ってきたけど、カバンの中にしまったまま。歯も磨いたし、お風呂も入った。髪の毛も乾かした。
「なんか、どっとすごく疲れたわ。三歳くらい老けた気がするわ」
一人愚痴るように呟く。
例えるならば、疲れを癒すために温泉旅館行ったのに、温泉に入り過ぎて、疲れてぐったりするアレに近い感じがする。徒労感はこっちのが何倍もあるのだけど。
はぁ……。温泉あったら入りたいなぁ……。
あまりにも場違いなほど発展した街並みと、それに反比例した地獄のような料理。
カルチャーショックが強すぎて、今夜は魘されるかもしれない。
ごろんと横になり部屋の中を見回すと、メアリーが就寝の準備をしている。
何故か一緒に寝ようとしているらしい。どこに行ってもブレないそのスタイルに安心感を覚える。
そんな時にコンコンと扉からノックの音がする。
メアリーがドアを開け対応する。
ノックの主はソフィアだった。
「来ちゃった……」
枕を抱え、頰を赤らめもじもじしている。
一体どんな心境の変化だろう。枕を持ってきたというのは、一緒に寝たいということだろうか? そんなことして公爵に怒られませんかね?
「クリスのネグリジェ姿も可愛くて似合ってるわ」
「お、おう…。ありがと……」
変な返しをしてしまったが、私の女装姿を褒めるなんて一体全体どうしたことだろう? 熱でもあるんだろうか? 部屋で安静にしてた方が良くない?
「あの、お二人で何かご用件がお有りなのでしょうか?」
「え? 二人?」
メアリーのその言葉に、私が伸びをしながら、ドアの奥を覗くように見る。
ソフィアも訝しながら後ろを振り返る。
「ムックお兄様……。一体ここに何のようですか?」
ソフィアの兄ムックも来ていたらしい。
ただ、彼の場合は眠る格好ではなく、これから何か研究でもするのか白衣姿だった。両手には何かの入った箱をガチャガチャと音をさせながら抱えていた。
「ほほ……。いや、髪の毛一本では足りないなと思って、残りの素材を提供してもらおうと思った次第ですぞ!」
髪の毛? そんなのあげてないんだけど……。
「ほう? なるほどなるほど。つまり、私とクリス様の新婚初夜をぶち壊しにきたということですね」
「新婚も何も婚約していないではないですか。ほほっ……。それにぶち壊しにきたわけではなく……、痛い痛い。止めてほしいですぞ!」
持っていた枕を思いっきりムックに叩きつけるソフィア。
そんな様子をポカーンと眺めることしかできない私とメアリー。
「分かったわ……。ムックお兄様? 私、今調合中の殺鼠剤があるんですが、お兄様にはそれを召し上がって、味の感想を聞かせてくれますか? 嫌でも夜通し付き合ってもらいますわね」
入り込んだ鼠を駆除するかのように、恐ろしい提案をするソフィア。
「ま、待つのだ。これには深い深い理由があって…」
「そんなの私の知った事ではないですわ」
無表情で底冷えのするような冷たい声で言い放ったソフィアは、箱を抱えて身動きの取れないムックの頭や顔に枕を何回も何回も叩きつけていた。
やがて、枕が原型をとどめなくなる頃には、叩かれていたムックが膝をついて座り込んでいた。
力を失ったのか、箱が傾き中身がその場に散乱した。理科の実験で使うような器具から特殊なお店に行かないと使われないような謎の器具もある。一体あれで私に何をしようとしたのだろうか?
「ごめんなさいクリス。私の愚兄のせいでせっかくの夜が台無しになってしまったわ。今夜はこのゴミを処分しないといけないから、また今度一緒に寝ましょう」
私が返事を返すまえに、踵を返したソフィアがぐったりしているムックの首根っこを掴んで何処かへと引き摺って行った。後には、散乱した枕の中身が廊下を舞っていた。
あの箱の中身はそのままでいいんだろうか。誰か片付けに来るのかな? 結構な量があるのだけど。
「一体何だったんでしょうね?」
「さぁ……」
考えたくないので、思考放棄する。もう今日は疲れたから早めに寝ることにしよう。そう思ったら、まだ開きっぱなしのドアから別の声がする。
「ちょっと、ここで何か戦闘でもあったの? 羽毛がすごいんだけど?」
ネグリジェ姿で枕を抱えたお姉様が訝しみながら自然に入ってきた。
「あの、サマンサ様? 枕を抱えてどうしたんですか? 枕投げの予定は今日は入っておりませんが…」
「枕投げなんてしないわよ。もう。……いや、あのね、旅先で枕が変わると寝られないじゃない?」
人によってはそうですね。だからどうしたという話だが…。
「だから、私の抱き枕と一緒に寝ようと思って」
ちょっと何言ってるかわかわない。本当に今日はよくわからない事が立て続けに起こる。
そもそも、お姉様の抱き枕になった事なんて数えるほどしかありませんよ? 片手で足りるくらい?
「サマンサ様、クリス様は本日は大変お疲れですので、日を改めて……」
「明日には帰るじゃないのよ。いいじゃない、たまには! 私が許可するわ。メアリーも一緒に寝るのを許可してあげるわ」
勝手に何を言ってるんだこの人は。疲れてるから反論する気も起きないけれど。
「ならば仕方ありませんね。左側は私でいいですね」
「いいわよ」
よくないわよ! と、思いつつもいつの間にか両サイドをがっちり塞がれてしまったので、諦めてこのまま眠ることにした。




