45 知らない人にはそう見えるらしい
*
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
皇帝であるルスランと竜の巫女と思しきクリスが互いに剣を構えると、何の躊躇いもなく駆け出し、両者一斉に剣を振り下ろした。
それと同時に、青いドレスを身に纏った半人化したドラゴンと赤いドレスを身に纏った人化したドラゴンが地面を凹ませると、一気に間合いを詰めて殴りかかった。
それはおよそ人間が出せる殺気ではなく、圧倒的な気迫と暴力の奔流に、誰もがその場から我れ先に逃げ出したくなった。
実際に耐えられず、その場で蹲るもの、泣き出すもの、発狂するもの、逃げ出すものと様々だったが、大多数の聴衆はその凄まじい光景を見逃すまいとその場に留まった。
目の前で消えては現れを繰り返し、建物の外壁がいきなり凹んだり、破砕したり、地面が縦に筋を描いたり、空を覆う雲を切り裂いたりしていた。
それは人間に出来る範疇を超えていた。
皇帝はとんでもないものに手を出してしまったのだと、改めて実感したのだった。
切り裂かれた雲の切れ間からは金色の光が漏れ出ていた。そして、宙を舞う青と赤のドレスの切れ端がその光に照らされ、神々しい景色を映し出していた。
だが、戦いは止まるどころか、激しさを増し、目の前の景色を衝撃波で歪ませる。空間に歪みが生じ、その直後そこにあったはずの景色が一瞬のうちに消えていた。空間の断絶は縦に横にと現れ、その度に凄まじい衝撃が面となって聴衆へ打ちつける。
人々はその勢いに耐えられず、押され、薙ぎ倒され、吹き飛ばされていった。
それでも、二人の戦いは魅力的に写り、這々の体になってもその結末を見ようとしがみついていた。
あたり一面は瓦礫の山と化していたが、それすらもすぐに塵埃となっていった。
土埃が舞ったかと思うと、線状に消し飛び、新たな土埃を巻き起こしていた。
両者とも、拳や蹴りのみで戦っていたが、それはあまりにも現実離れしたものだった。
歴戦の猛者や拳闘士ですら、その身に被弾し、僅かながら擦り傷や痣が出来たりするものだが、二人にはそういったものは見受けられなかった。
つまり、殆どの攻撃を躱し、受けたとしても衝撃波しか発生しなかったのだ。
一瞬、暴風が止んだかと思うと、二人がその場に立って、何やら話し合っていた。
二人のドレスは地面を擦る程に長かったのだが、今では、膝丈程の長さのボロ切れになっていた。
サマンサの方は、二の腕のあたりから肌が露出しており、ヴェイロンの方は、完全に肩が露出していた。
どちらも疲れた様子は無く、このまま惨劇のようなダンスがずっと続くのかと思われたその時、一人のメイドが間に割り込み、何かを訴えるかのように、声を張り上げていた。
その内容はこちらにまで聞こえることは無かったが、それを聞いた二人は「ふっ」と笑うと、そのまま後ろへ倒れてしまった。
どちらも限界だったのだろう。だが、それを表には出さずにずっと戦っていた。ドラゴンとはなんて凄い生き物なのだろうと誰もが思ったのだった。
そして、二人の争いを止めたあのメイドもやはり只者ではなく、あれもドラゴンに仕える巫女…いや、眷属なのだろうと人々は思ったのだった。そうして見ると、やけに短い丈のメイド服も神々しく見えるのだった。きっと、同じように尻尾を出すのに短い方がいろいろと楽なのだろうと結論づけたのだった。
*
「ちょっと二人ともやめてください」
「邪魔しないで! 今あなたの所有権を巡って戦ってるの!」
「そうよ。これからもずっと私のお世話してもらないと困るもの」
「そんな理由でこんなに暴れないでください」
ロザリーは全てを投げ出して逃げたいのを必死に堪え、自信にも被害が及ぶかもしれない事を覚悟して、二人の前に飛び出した。
二人はロザリーの姿を認めると、攻撃の構えをあっさりと解除した。
既に周りは瓦礫だらけの広場となっており、近くにあった建物は無くなっていた。
遠くには人だかりが見え、これ以上暴れれば、人的被害が発生するだろうと考えた。尤も、既に三桁に及ぶ人が怪我をしているのだが。
未だ、ルスランとクリスが戦っている以上、この二人を止められるのはロザリーしかいなかったのだ。損な役目だなと思ったが、どうやら賭けに勝ったらしい。
さて、どうやってこの二人の戦意を無くせばいいのか、皆目見当もつかなかった。
だが、二人がロザリーに好意を抱いているというのは、嫌々ながらも気づいていた。
であれば、自分の武器を使うしかない。
ロザリーは二人を交互に見て、口を開いた。
「ヴェイロン! 戦闘をやめないと、もうカレーを作ってあげませんよ!」
「!?」
「サマンサ様! 貴女もです。やめないともうパンツ見せてあげませんよ!」
「!?」
その言葉を聞いて、糸が切れた人形のように、緊張が解けたのか、疲れが出たのかは分からないが、ふっと笑ってそのまま倒れたのだった。
まさか、向こう側で見ていた聴衆が、こんなくだらない理由で戦うのをやめるとは、夢にも思ってまなかっただろう。
ロザリーは、どうやってこの二人を運ぼうか、またぞろ頭を悩ませたのだった。




