37 番外編31 クリス
目を開けるとそこは知らない天井だった。
ゆっくり起き上がると、周りは見た事の無いものだらけだった。
……いや、段々と思い出してきた。
どうやら前世の記憶とやらを持っているようだ。
そのせいかは分からないが少し口調が変わった気もする。
しかし、前世か…。
前世といっても九歳くらいまでの記憶しかない。やたたと女装させたがる母親と姉から逃げ回っていた事と、専属メイドが、仕事が出来ないのにやたらと構ってくることくらいだろうか。
俺は起き上がり部屋を見回す。
あんだけ嫌がっていた女装用の衣装やメイク道具なんかがそこら中に置かれていた。
「はぁ…」
ため息を吐いて歯を磨きに洗面台へ行く。長年のルーチンワークによって自然と体が動く。
洗面台に移った顔を見る。何回も見ているはずなのに初めて見る感覚に陥る。
なかなかどうして綺麗な顔をしているじゃないか。アラサーの顔とはとても思えないのは、普段のスキンケアの影響があるのだろう。
顔を洗い、歯を磨いて部屋に戻る。
「これはもういらないな」
昨日までの俺ならば、捨てるなんてありえないと言うだろうが、前世の記憶。クリストファー・オパールレインの記憶がある身としては到底受け入れがたい。
まぁ、捨てないまでも売れるものは売ってしまおう。
あれもこれもいらないなと思う一方で整然と並べられたフィギュアだけはどうしても処分する気にはなれなかった。
壁に掛かった時計を見て、慌ててスーツに着替える。
ネクタイを難なく結べたことについ笑ってしまう。
そしてテーブルに置いてあった財布を開けて、中に入った免許証を見る。
自然と吹き出してしまいそうになる。
そう…。俺の名前は栗栖照。まさかこの世界でもクリスをやることになるとはな……。
それから数日。
未だクリストファーだった頃の記憶が混ざっているせいか、少し日常に支障をきたす。まぁ、致命的な事ではなく仕草的なものだ。
そのせいか、会社の女性社員から変わったと言われるようになった。好意的なものもあれば距離を置かれるのもある。まぁ、仕方のない事だ。
だが、もともとスペックが高かったのだろう。ヒラだったのに気がつけば部長にまで上り詰めていた。
ただ仕事をしていただけなんだがなぁ…。
そうそう。一応結婚もして子供もいる。
以前、会社の仕事の関係で会った井出敦子という女性と何回か会ううちにいつの間にか結婚して三人も娘を育てることになるとは思わなかった。
彼女は中々に変わった性格だったが、まぁ俺はあんまり気にしたことはない。
良く言って天真爛漫。悪く言えば中途半端の放任主義の自己中といったところか。
そんな感じで順風満帆な生活を送っていた。
前世の記憶は九歳までしか覚えていないが、それが良かったのかもしれない。
今日は休日で家には自分と娘しかいない。
娘なんて父親が嫌いなものだと思っていたが、そんな気配は今のところ一度もない。これは幸せな方なんじゃないだろうか?
「ティナー、就職はどうなったんだ?」
「んー。受かったよー。製薬会社」
「凄いじゃないか。あそこ結構入るの大変なんじゃないか?」
「まぁそれは私が優秀だから」
「はは…。それはそうだな」
長女のティナは今年大学三年。そんなにガツガツと就職活動しているようには見えなかったが、まぁ仕事が決まった事はいい事だ。
そんなティナは今日もリビングのソファに座ってゲームをしている。優雅なものだと思う。
「そういえばティアとティノはどうしたんだ?」
「ティアは部活で、ティノは友達ん家じゃない?」
「そうか。ちなみに母さんはどこ行ったか知ってるか?」
「あー。お母さんはいつもふらっとどっかいっちゃうから分かんないや」
「そうか」
今日はやけに静かだと思ったんだよな。
敦子がいつもいないのは……まぁいつものことだな。そのうちお腹をすかせて帰ってくるだろう。
「すんすん…。いい匂いがするー」
「あぁ…母さんの実家が送ってきたりんごがいっぱいあるからな。りんごのパウンドケーキを焼いてるんだ」
「え! ホント! 私それ大好きなんだよねー」
「知ってる。だから焼いたんだ」
「お父さんって結構女子力高いよね」
「なんだよ女子力って」
「や、ほら、普通の男の人って休日にケーキとか焼かないじゃん?」
「そうなのか?」
「そうよ。まぁそういうところが好きなんだけどねー」
そういえば、料理やらお菓子やら自然と身についていたな。
敦子が料理が苦手というのもあったのだろうが、確かに得意ではあるな。
たまに知人とかに振る舞うと、なぜお店を開かないのかとよく言われる。
まぁ、ただのリップサービスだと思っていたのだがな。
まぁ、定年退職したら考えてもいいかなとは思う。
「そうか。あ、あとアップルパイ用にリンゴも煮たし、この後ジャムも作るんだが、他に何か希望とかあるか?」
「そうだねー。とりあえずアップルパイあるならいいかな。あ、でも一、二個くらいは生で食べたいな。でもお父さんの作る焼き菓子も捨てがたいんだよねー。どうしよー」
嬉しいことを言ってくれる。
「でも、まだ三箱もあるから、希望があったら言ってくれ。何でも作るからさ」
「うん。じゃあレシピ見て考えとくねー」
パウンドケーキが焼き上がるまで少し時間があるので、ティナがいつも熱心に何のゲームをしているのか気になった。
「ところで何のゲームをしているんだ?」
「あ、これ? これお母さんの会社で作ってたゲームでねー。特にこのクリストファー様が私の推しなの。めっちゃかっこよくてー。もう何周もこのルートばっかりやってるの」
そう言って見せてくれたゲームのパッケージには、なぜか既視感のあるキャラクターが描かれていた。




