60 BAR②
「もう少し軽いやつあるかい?」
そう言うと黒髪の店員は無愛想な顔で言う。
「こちらメニューになります。大体この辺はお酒に弱い方でも美味しくお飲みになれると思いますよ」
「こーら、アガサちゃん。そんな冷たい言い方しないの。ごめんなさいねぇ。この子まだ入ったばっかりでぇ」
「い…いや、いいんだ。事実だしな」
俺がカッコつけていたのはバレていたのか。
しかし、そんな俺を見てもただ微笑んでくれる彼女はまるで女神様のようだ。今すぐ入信したいんだが、何処に行けばいい?
少し現実逃避をしていたら、一つ席を詰めて俺の横に彼女は座った。
ふわりと凄くいい匂いがする。理性がぶっ飛びそう。
「これなんて飲みやすいと思うわよ」
俺に近づきメニューを細くて長い綺麗な指で指し示す。まるで芸術品のようだ。
……って違う。近い近い近いって! 何でそんなあっさり距離詰められるの? ねぇ教えてぇ?
さらりと触れた髪の毛が気持ちいい。もう頭クラクラしておかしくなりそう。
身体に電流が走り頭がショートしそうだ。
全く気にせず触れそうなくらいの位置にいる。え、何? 俺の事好きなの? 勘違いしちゃうよ?
もしかして俺がお持ち帰りされちゃう感じ? いやー俺もモテ期きたかぁこれぇ? かーっ!
「そ…そうだな。じゃあこのカシスオレンジで」
「はい」
ぶっきらぼうに了承する店員。
「いつもはこうじゃないのよぉ。どうしたのかしらねぇ」
どうしたのかって問いたいのは寧ろこっちの角刈りの方だ。何でそんなパッツパツのドレス着てんの? タンクトップみたいになってるじゃん。というかさぁ、ネックレスが首輪みたいになってるけど苦しくないんだろうか?
隣の彼女を見るとムラムラしてくるので、なるべく抑えようと黒髪の店員の方に視線を移す。
手慣れた手つきで何かを振っている。何かカッコいいけど何してんの?
そして持っていたものの蓋を開けて小さいグラスに注いでいく。濃いめのオレンジ色だ。
そしてすっと差し出す。
「どうぞ。カシスオレンジです。子供舌の方でもいけると思います」
「こーらアガサちゃん!」
プイッと横を向いてしまう店員。もうその性格は治らねぇんじゃねぇなかな?
まぁいい。彼女が俺をじっと見ているからとりあえず口にする。
「!?」
何だこれ…。うっまぁ…。
ゴクゴクと一気に飲んでしまった。飲みやすい。
「もう一杯貰えるかい?」
「かしこまりました」
「ふふ…。いい飲みっぷりじゃなぁい」
「そんなに美味しかった?」
悪魔と女神に挟まれながらそんな事を問われる。
だが実際本当に美味しかった。あの店員の態度抜きにしても美味い。
「どうぞ」
「あ…あぁ…」
先程と同様にぶっきらぼうに差し出される。
そして女神様からグラスを差し出されたので、キメ顔で乾杯をした。
今の俺って相当カッコよかったんじゃないだろうか? これは彼女も…って、普通に飲んでるな。もう少しアピールが必要か。
「私あなたのお話しもっと聞きたいなぁ…」
何でそんな表情でそんな事言っちゃうの? いくらでも話しちゃうよ。
動くたびにいい匂いがしておかしくなりそう!
だが、俺もタダで話すわけにもいかないな。
「じゃあさ、飲み比べしようか?」
「いいわよ」
「俺が勝ったら、今夜一晩お姉さんと過ごしたいな」
「ふふ……。いいわよ。私より先に潰れなければ…だけどね」
色っぽい顔でウインクする。
俺の心臓はもうバクンバクン音を立てて壊れそうだ。
でも一瞬冷静にもなれた。後ろでドタバタ暴れてグラスの割れる音がしたからだ。
嫌だねぇ。飲んで暴れるなんて最低だよ? 飲んで理性を失うなんて恥ずかしくないのかね?
「(だから! 抑えなさいよ!)」
「(いい加減にしなさいよあんた!)」
「(くぅっ…! 私は悔しいです!)」
「(なんでこっちに来たのよ………)」
隣にいる彼女も苦笑いだ。全く…。
暫くして落ち着いたのか、少し静かになった辺りで彼女とお酒を飲み始める。
しかしなんだね。俺は甘いお酒は子供が飲むもんだと思っていたが、なかなかどうしてこんなに美味しいのかね。
メニューの端から順番に頼んでは飲んでいく。どれもこれも甘くて美味しい。そしてすごく飲みやすい。
彼女よりもペースが早い気もするが、そんなのもう構わない。だってなんか楽しいんだもん。
彼女が色々聞いてくるから、俺も気分良くってつい色々話しちゃってね。
なんか言っちゃいけないような事も話しちゃった気がするけど分かんないや。
聞き上手の彼女にあれこれ話していたら、「そうだね」「辛かったね」「大変だね」とかもう親身になって聞いてくれるんだもん。俺この子好きだわぁ…。
決めた。俺足洗ってこの子と幸せな家庭を築いて暮らしていくんだ!
そうだな。王都の端っこに家借りて子供二人くらいがいいかなぁ…。
色々と将来設計を考えていく……。
でも今だけはもう少しこのまま微睡みに身を寄せていたい…………………。
「………………」
ハッとして飛び起きる。
しまった。ついつい飲みやすくて飲み過ぎてしまった。
…………ってどこだここ?
上の方にある小窓から漏れ出ている光の眩しさで目を覚ましたんだな。
何であの窓には鉄柵がついてるんだ?
というか無機質な部屋だな。
振り返ると一面鉄柵に阻まれている箇所がある。
「りゅう………ちじょ?」
おかしいな。俺は女神とお酒を飲んでいただけなんだがな?
そんな時、鉄柵の向こう側から歩いてくる音が聞こえた。
近づき確認すると、衛兵と思しき男が俺を見て近づいていきた。
「起きたか」
「あ…はい。何で俺は?」
「それは自分がよく分かっているんじゃないか?」
胸に手を当て考える。
…………なるほど。つまりあれは俺の見た夢って事か?
「昨日スパイダーズウェブって店で飲んでたはずなんだが…」
「お前もか…。そんな名前の店王都のどこにもないぞ」
「は?」
何を言って………。
後ろに数歩よろめいた俺は、思い出せる限り昨日の事を思い出そうとした。
………確かにそうだよな。現実にあんないい女いないよな。
そんな時、両隣から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「頼む! 助けてくれ! 殺される!」
「大丈夫だ。ここにいるやつに手を出しに来るやつなんていないから」
「いいやそんなの信じられない! 頼む! 何でも話す! 話すから助けてくれぇえええぇぇっ!」
右隣から泣き叫ぶ声が聞こえる。
「嫌だ嫌だ。女なんて信じない! 痛いのは嫌だ!」
「おいお前までどうしたんだ」
「鞭は嫌だぁ……三角木馬なんて座りたくねぇよぉ……まだ痛てぇよぉ……」
左からも苦悶に満ちた声が聞こえた。
………そうか。俺も一歩間違えていたらああなっていた可能性があったのか。
でもあの時会ったのがあの女神様だからこそ踏みとどまれたんだな。
………やり直すチャンスなんだよな。
今度会う時は真っ当になった時だな。やり直そう……。そう思った俺は衛兵に声をかけた。
「なぁ、衛兵さんよ」
「何だ?」
「打ち明けたいことがあるんだ」
「分かった。じゃあ担当のところに連れていくから」
「はい」
衛兵に連れられ留置所を後にする。後ろでは二人の男の断末魔がずっと続いていた。
俺もああなっていたかもしれないと思い身震いした。
きっと女神様が最後の最後で踏みとどまらせてくれたのかもしれない。
「しっかし、蜘蛛の巣にねずみとりに蟻地獄。そんな名前のバーがある訳ないのにな。薬でもやってるんじゃないかね?」
前を歩く衛兵が何やらボヤいていたが俺にとってはどうでもいいことだった。




