09 公爵は何故か恐怖心を抱く
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三人とも一切興味が無い。それどころか、社交性を身につけようともせず、次男、三男に関しては未だに学園に通っていない。ホント、どうしてこうなった。
シドなんて、学園に通っていた期間を無駄だったと後悔する様なことをいっていたし…。あそこは社交性や人間関係を構築する場所なんだがなぁ。
次女のメリーはまだ幼い。そしてかわいい。まだ穢れてない私の天使。息子三人の様にはなって欲しくはない。
こうなったら、ソフィアに婿を取ってもらうしかない。そう思ったんだが…。
ソフィアの執心していたらしい彼は、女の子の格好をしていた。
いや、別にそういう趣味が悪いとは思わない。かわいいソフィアの婿となる男だ。流石に最低限の容姿くらいは整っていてほしい。それに何より、中身だ。性格が悪かったり、ソフィアを蔑ろにしたり暴力を振るう奴は論外だ。物理的に潰してやる所存だ。だからこそ、可憐な見た目のクリストファー…、いや、クリスティーヌ嬢ならば大事に扱ってくれるんじゃないかと思ったんだが、ソフィアのお眼鏡には叶わなかったらしい。まぁ、普通はあんな格好をしている男性を好きになるはずはないか…。
しかし、連れ出して何の話をするのだろうか、父親としてちょっと…、少し、いやかなり気にはなるが、まずはこの計画を成功させる必要があるな。
わが領は一応、海に面しているが、その殆どが断崖絶壁。また、波も荒く安全に港を造る事ができない。もしかしたら、今の我が領の資金力と技術力なら出来そうな気もするが、時間が掛かるのがネックだった。鉄道なら、そこまで時間はかからないし、王国唯一と言っていい貿易港を擁するオパールレイン領へは海外への貿易の力添えをして欲しいというのが本音だ。
その為、オパールレイン領の港へ物資を運ぶのに鉄道を通したいのが、私の個人的な理由だ。
かわいいソフィアの思惑と合致しているから、無理にでも話を進めたいのだが、訪れた伯爵はどうも頼りない。隣にいる娘さんの方がよっぽどしっかりしている。
まぁ、風の噂で聞いたものだが、『社交界永久出禁』・『歩く地雷原』・『破壊神』等数々の異名を持つサマンサ嬢ならば当然かもしれないがね。
青い顔をして緊張している伯爵の気を少しでも紛らわしてあげようと軽口を叩く。
「いやぁ、しかし驚きましたな。クリストファー君がまさか、あのような格好で来るなんて。ここに居ないのでてっきり手紙を読んで、怖じ気づいて逃げたのかと思いましたよ。ははは、は……」
その瞬間、心臓を鷲掴みされたような息苦しい感じと、ナイフで刺されたような冷たく凍てつくような感覚が自身を襲った。
目の前でさっきまで狼狽えていた男や、和かに笑顔を向けていた令嬢。そして後ろに側仕えたメイドから感情の抜けた視線を向けられた気がした。
それも一瞬のことだったので、本当の事かは分からなかった。
しかし、たった今私は殺されたような気分に陥った。一体何だったのだろうか?
いや、目の前にいるこの人たちは何なのだろうか? 場を和ませようと、深く考えずに発した言葉だったが、何かの逆鱗に触れたのだろうか? そうでなければ、部屋の温度がこんなにも凍てつくほどにはならないはずだ。
「どうしました、閣下? 何か顔色が悪いようですが…」
「い、いやぁ、伯爵ほどではないよ。ははは…」
「おっと、これは一本取られましたな。ははは」
さっきまであんな調子だったのに、いつの間にか元に戻っている。夢でも見ているのだろうか。しかし、この男なかなかに侮れない。もし、これが演技だとしたら大したものだと思う。
ふと、頭の中にあった違和感を思い出す。
そういえば、前オパールレイン伯爵にこんな歳の跡取り息子なんていただろうか?
それに、もう十何年と見ていないが、前オパールレイン伯爵夫妻は何処へ行ったのだろうか? 今も昔もオパールレイン家門は社交界に滅多に顔を出さない故、情報は少ない。
もしかして、気づいてはいけない事に片足を突っ込んでしまったのだろうか?
恐怖心が身体中を支配する。脂汗が頬を伝う。呼吸が苦しくなるが、何とか気取られないよう気をつける。
きっと、気のせいだと思う。だから深く考えないように、目先の事にだけ集中しようと高鳴る心臓を抑えるように言葉を絞り出した。
「い、いえ、娘の事が途端に心配になりましてね」
「あぁ、そういうことですか。でも大丈夫ですよ。クリスに限ってそういうことは起こりませんから」
「もし、そうなったら私が叱るから大丈夫よ」
「ひっ…」
情けない声が出てしまった。大の男が少女に恐れおののくなどあってはならないのに。あの少女には逆らってはいけない気がした。笑顔で人を殺せそうな雰囲気があった。いつの間にか立場が逆転している。そう錯覚させられるこの状況から逃げ出したいとそればっかり考えるようになってしまった。
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おかしいな…。契約内容の確認をしていたのだが、いつの間にか立場が逆転している。
設置する駅の場所や、路線のルートなんかも。
「それと、アンバーレイク公爵閣下、私ごとで恐縮なのですが、公爵領内にも私達姉妹のお店の支店を出店させて欲しいのですが…、いかがでしょう?」
「あ、あぁ、構わないよ」
さっきから、伯爵ではなく、娘のサマンサ嬢が場を仕切り、いろいろと提案してくる。それに対して私は了承の意しか返せないでいる。
粛々と契約内容の確認が進んでいく。
自分たちに有利に進めようと思っていたのだが、いつの間にか条件は対等になっていた。
最後に両者で捺印したのだが、終わった途端にサマンサ嬢がニッコリと笑顔で両手を合わせて謝辞を述べている。
「何も問題なく終わって良かったですわ。ですわね、お父様?」
「そうだね」
まぁ、終わってみればこれで良かったのかもしれないな。下手にこっちが有利に進めていたらきっと上手くいかなかったかもしれない。ソフィアにも怒られてしまうかもしれない。
巧い事軌道修正してくれたサマンサ嬢には感謝しないといけないな。
サッと手を出し握手を求める。
サマンサ嬢がそれに応え、堂々と握手を返してくれた。
伯爵はというと、「えぇ…」という情けない声を出して戸惑っていた。
「伯爵。私が言うのも何だが、もう少し社交を学ばれた方が宜しいかと」
「そうですわ、お父様。私がいなかったらどうなってたと思います?」
サマンサ嬢と目が合い、一緒に笑ってしまう。
いやぁ、敵にしなくて良かった。きっと、選択を間違えていたら、今頃私は冷たくなっていたかもしれない。
そう思うと、温もりを求めたくなった。
「そういえば、ソフィアは話とやらは終わったのだろうか? ちょっと確認をしてきますな」
伯爵達三人を応接室に残し、ソフィアの私室へ足を向ける。
別に逃げ出したわけじゃないぞ。ただ、少しでも離れたくなったのと、ソフィアを抱きしめたくなったからだ。
部屋を出てから、数歩ほどはゆっくり歩いたが、段々と足早になっていく。
この時、私は一体どんな顔をしていたのだろうか。




