32 料理を覚えよう
*
寮での生活も随分と慣れて、自宅での暮らしとさほど変わらなくなってきた頃。
「ねぇ、クリスお願いがあるんだけど」
「マーガレットがお願いなんて珍しいわね。いいけど、何?」
「いやさ、クリスもカリーナも料理してるじゃない?」
「そうだね。もしかして、教えて欲しいの?」
コクンと頷くマーガレット。
「ほ…ほら、将来ソフィアお姉様と一緒に暮らすとしたらさ、どっちかが料理しないといけないじゃない?」
まぁ、そんな事になっても、料理人さんとか雇うと思うけどね。
「それで、ソフィアお姉様は、アレなワケじゃない?」
確かに、ソフィアに料理させると、何故か爆発するのよね。
「だから、私がソフィアお姉様に手料理を食べさせて、胃袋をガッツリ掴もうと思って」
「いいんじゃない? ところで前世では料理しなかったの?」
お菓子はそれなりに作れてるから、料理もできるもんだと思ってだんだけど……。
「クリスみたいにプロ級のは作れないけど、目玉焼きとか焼肉とか」
料理…? まぁ、目玉焼きは上手に作るの難しいもんね。
「じゃあ、試しに何か作ってみてもらっていいかしら?」
「えー、自信ないんだけど」
「まぁまぁ。そうね、卵があるからこれで何か作ってみて」
「………」
腕組み目を閉じ、上を向くマーガレット。
「え、そんな難しい話じゃ…」
「いや、ソフィアお姉様の一番好きな卵料理って何だったっけかなぁと思って」
あ、基準はそこなんだ。
「よくオムライス好きで食べてるからオムレツじゃない?」
「なるほど。つまり、完璧に仕上げる事が出来れば、結婚に一歩近づくと」
そんな、オムレツ美味しいからって、すぐ結婚しようなんて何処ぞの王子か魔王じゃないんだから。あ、でもソフィアならワンチャンあるのか。
「いいわ。やってみるわ」
そう言ってマーガレットはボウルに卵を割り入れ、菜箸で切るように溶いていく。途中で大さじ一程度の牛乳と塩胡椒をして、バターを溶かしたフライパンに入れていく。
なんだ。結構手慣れてるじゃない。溶けたバターのいい香りが部屋に充満している。
そして、炒り卵が完成した。
「おかしいわね。これオムレツ?」
「これは、炒り卵ね。もしくは、スクランブルエッグ。まぁ、これはこれで…」
一口味見で食べる。火を通しすぎたのか、少しゴムのような食感だ。
「これはダメね。これはマトリカリアにあげましょ」
マトリカリアさんとの仲が良いのか悪いのか。
「じゃあ次いきましょうか」
そのポジティブ精神は流石というべきだけど、ストックの卵が無くなりそう。
朝に卵ご飯食べてる人から非難が出ないといいけど。
そして、テーブルの上にところ狭しと置かれた卵料理。尚、オムレツは一つもない。
「おかしい」
そうだね。オムレツ作るって言ってたのにね。だし巻き卵や、キッシュにフリッタータ。惜しいところでスパニッシュオムレツ。
でもさ、ニラ玉、天津丼、茶碗蒸しはもうオムレツ関係ないわよね? 目玉焼きとかゆで卵とか、もうね態とやってるとしか思えない。
まぁ、それを黙って見ていた私もわるいんだけどさ。
一番最初のが一番近いというね。あれ、不思議だよね。試行錯誤してる時、一番最初に作ったものが一番理想系に近いやつ。そして、それを中々越えられない現象。
「一回お手本見せてもらっていい?」
「もっと早く言ってほしかったわ」
「ははは…。つい、ね」
残ってる卵はオムレツ一回分だ。
マーガレットの為にも、解説しながらやっていく。
「この濡れ布巾何?」
「火が通り過ぎないようにね。私は必要ないけど、最初のうちはあった方が作りやすいと思って」
「ほぅ」
「まぁやっていくわね」
工程としては、マーガレットがやったのと一緒。ある程度固まってきたら、濡れ布巾の上にフライパンを乗せて、フライパンを冷ます。あとは、ヘラで形作って、弱火で折り目部分を焼いて固めていけば、中はトロトロのオムレツが出来るのよ。
こんなもんかしらね。
しかしまぁ、よくもこんなに作ったわね。
「ただいまー、あれ今日卵づくし?」
「あ、おかえりソフィア。そうなのよ。ちなみに今日はマーガレットが作ったのよ」
「えっ! 本当に?」
「はい。ソフィアお姉様に食べてもらいたくて、作りました」
「へー、やるじゃない。……これ、食べていいの?」
「そりゃあ食べる為に作ったんだもの」
「じゃあみんな呼んでくるわね」
その後、デイジーさんとヨメナさんが感激し、マトリカリアさんが、ツンツンしながらも褒めていた。
そして、みんな揃ったところで夕食とした。
「まず、一番最初にソフィアお姉様食べてください」
「え? そう? いいの。じゃあいただくわね……!?」
「どうです?」
「マーガレットやるじゃない。結構美味しいわよ」
「本当ですか?」
「もっと頑張ればクリスにも追いつけるんじゃないかしら?」
私のくだりは余計だと思うの。
「はい! 頑張ります」
暫くそのまま食べていると、ソフィアが優しい笑顔で呟いた。
「私、この天津丼好きだわ。なんかおうちの中華って感じで」
「あ、じゃあ明日も作りますね」
「はは…。でも、この茶碗蒸しはすがあいちゃってるわね」
「あー…」
ちょいちょいと袖を引っ張られた。
「何?」
「(明日も茶碗蒸し教えて)」
「(オムレツを作りたいんじゃないの?)」
「(そうだっけ?)」
まぁ、いいんだけどさ。
「このオムレツだけは、クリスが作ったやつね」
「あら、よく分かったわね」
「そりゃあ、分かるわよ。付き合い長いしね」
「!?」
またぞろ袖を引っ張られる。
「(これでいいかもって思ってた自分が恥ずかしいわ。明日から厳しく教えて)」
「(いいけど)」
小さくガッツポーズするマーガレット。やる気があるのは良い事だし、みんなで分担するべきよね。
「いいなぁ。私も料理しようかしら」
「ダメ」
「ちょ、そんな頭ごなしに否定しないでよ。クリスや他のみんなだってやってるんだから」
「ダメ」
「いや、だから私もみんなの手伝いを」
「そういうのはいいから、別の事でお願い」
「いや、私も」
「ダメ。何度言われても、これは譲れない」
「なんでよ」
無自覚って怖いわよね。暫くここに住めなくなるかもしれないってのにさ。
ステラさん達がなんとか、説得して渋々諦めているようだけど、またいつ言い出すか分からないわね。
あと、ソフィアにはキッチンに入らないようにしないといけないわね。
それから、数日。
「すっごい。めちゃくちゃ上達したじゃない」
「へへ…。ライバルがいたからね」
ライバルってのはカリーナちゃんで、二人で一緒に料理の勉強をしていた。
たった数日で、ここまで出来るなんて、才能あるんじゃないかしら?
「これ、お店出せるんじゃない?」
「ありがとう。クリスにそこまで言われたら、もう大丈夫ね」
冗談抜きでレベルが上がっているのよ。好きな人のために頑張れるのはいい事だけど、ここまで来ると恐怖だわ。
この魚料理の上に乗ってる揚げた素麺みたいのとか、見た事ない野菜とか完全にそういうお店で出すようの料理の飾り付けよね。というか、ここまで教えていないんだけどな。
そして、翌日。
マーガレットが満を持してソフィアに料理を振る舞った。
一応、ソフィアの横には、イータさん、シフォンさん、マトリカリアさんが厳正な抽選の結果、審査員として参加している。
しかも、フォーマルなドレス姿での参加だ。態々ウチで食べているのに、バッグまで持ってきて……邪魔じゃない?
抽選から漏れた私達はその成り行きを見守っている。
「では、最初に前菜を…」
前菜として出されたのは、サラダのプレートだ。
「こちら、マーガレットの気まぐれサラダとローストポーク、ナスのアラビアータ、和梨のマスカルポーネ和えでございます」
シェフの気まぐれサラダみたいな言い方をしているが、要はその日採れた野菜で作ったサラダだ。
サラダは、レタス等の葉物野菜にスライスした玉ねぎとトマトが添えてある。ソースはカブを使ったほんのり苦味と甘味の調和が取れたものだ。
ローストポークにはハチミツと粒マスタードを混ぜ合わせたもの。
アラビアータは、唐辛子オイルを使ったトマトソースに炒めたナスを和えたもの。
あとは、角切りした和梨をマスカルポーネとハチミツを混ぜ合わせたもの。
「前菜だけでこのボリューム…。もう少しお肉が欲しいわ」
そもそも前菜なんだから最初からそんなにローストポーク出すわけないでしょ?
「このドレッシング美味しい…。何を使ってるのかしら?」
「前菜から満足度が高いです!」
「マーガレットがこんな洒落たものを作れるなんて」
メイドさん達からの評価もそこそこ高い。みんな一気にペロリと食べてしまった。
「お次は、スープでございます。菊芋のポタージュになります」
少し変わった風味と甘みのあるポタージュだ。
「! 初めての味だわ」
「優しい甘さがありますね」
「これも美味しい!」
「マーガレットにこんな丁寧な仕事出来るなんて」
今回も同様にそこそこ高い評価だったようだ。というか、さっきからマトリカリアさんだけ、他三人より驚きすぎている気がする。そんなんだと、この後ショックで心肺停止になるんじゃないかしら?
「では、本日のメインになります。秋鮭のムニエル。〜揺蕩う秋の恋心を添えて〜でございます」
この時期旬の秋鮭。前までは何故か採れなかった鮭だけど、最近はよく流通するようになった。そんな秋鮭をムニエルにしたものだけど、皿の上は絵画のよう。横から見たら、生花のよう。
ムニエルにかかるソースとムニエルの上に乗る食材のマリアージュが完璧だわ。あの揚げた素麺みたいなカダイフをこんな使い方するなんて。そして、飾り付けた色とりどりの野菜が見事な秋を表現しているわ。
まさか、マーガレットにこんな事が出来るなんてマトリカリアさんじゃないけど、私も驚きよ。
「もうこれお店行かなくてもいいんじゃないかしら? というか、口の中が幸せだわ」
「いやいや、これお店に行っても中々出てきませんよ? 貴族専用のお店でも出るかどうか」
「美味しい以外の表現が思いつかない」
「くっ…。マーガレットにこんな事出来るなんて……完敗よ……」
どうやら余程美味しかったらしい。見ているメイドさん達が悔しそうな顔をしている。
「では、最後にデザートです」
デザートはプレートに三種類のスイーツが乗っている。これもまた見事な盛り付け方だわ。ただポンと置くだけでなく一枚の絵画のよう…。
「こちらから、和栗のムース、りんごのティラミス、巨峰のジェラードになります」
そして出されたコーヒーの香りがここまで漂っている。
「これほどまでにもっと食べたいと思ったことは無いわ」
まぁ、ソフィアには量が足りなかったかもね。
「写真撮るのを忘れてましたわ」
「あ、私も」
写真は一応昨日撮ってあるから大丈夫よ。
「それにしてもよくこんな丁寧な仕事したわね」
「本当ですね。愛がなせるワザですね」
「うわぁ…もうない」
「………………私への当てつけかしら?」
まぁ何はともあれ評価は高かったんじゃないかしら?
「どうでしたか? ソフィアお姉様!」
早速素に戻るマーガレット。
「凄く美味しかったわ」
「良かったです!」
「でも、これだけじゃないんでしょ?」
「えぇ。今回はライバルとの対決ですから」
そうなのだ。マーガレットがここまで頑張れたのにはもう一人ライバルであるカリーナちゃんの存在がある。
「多分、量が足りないと思いまして」
審査員の三人はあらかた満足しているが、ソフィアはまだ全然食べられそうだ。
「どうする? 審査員の三人は交代する?」
「それでは審査になりませんわ」
「私はまだ余裕で食べられます」
「私もやられっぱなしではいられませんので」
大丈夫そうだ。
「じゃあ、カリーナちゃん準備はいい?」
「え…えぇ…」
すっごく緊張している。そもそも料理対決になるなんてカリーナちゃん思っていなかったようで、いまも銅像の如く固まったままだ。緊張の余り、今やっと口を開いたくらいだ。
足と腕が同時に出ている。大丈夫かなぁ……。
しかしそれも杞憂だったようで、一気に表情が変わった。
「ではまず、先付けです」
小鉢に鳥のささみときゅうりの和え物が入っている。
先程と違って小鉢にちょんと乗っているだけなので、四人ともポカンとしている。
「美味しいけど、もう少し欲しいわね」
「居酒屋のお通しみたいな感じですね」
「これ結構好きですねー」
「これはこれでさっぱりしていていいわね」
「こちら前菜になります」
続いて出されたのは、中くらいのお皿にいくつかの料理が乗っていた。
「干し柿とクリームチーズのミルフィーユ、アンバーレイク牛のタタキ、季節のキノコのお浸し、季節のお野菜と揚げ出し豆腐のみぞれ煮です」
「誰かさんが言った通りお酒が欲しくなるわね」
「持ってきましょうか?」
「これも美味しいですー」
「アミューズみたいな感じね。気づいたら無くなってたわ」
こっちもそれなりに評判がいいようだ。
その後、お刺身に天ぷら、焼き物と食べやすいサイズで出されていった。
お刺身は戻り鰹とアマダイとカンパチ。天ぷらは野菜のみで塩で食べるスタイルだ。最後に出てきたのは焼き魚を食べやすく切ったものだ。まぁ、みんな骨とか取るの苦手そうだしね。
「塩加減が完璧……」
「今まで醤油で食べてましたが、塩派になりそうです」
「あー、勝ってよかったぁ…幸せー……」
「食べきれないって思ったけど、量が少ないからいけるわね」
もうこれ完全に旅館の食事よね?
ソフィアも同じことを考えていたようだ。
「これで、ここに温泉でもあったら完璧ね」
「お酒がすすみますねー」
「足りない……足りない……」
「シンプルながら食材の味をここまで出すなんて……」
イータさんだけ、部屋から持ってきた日本酒を飲んでいる。審査できるんか?
「最後にご飯と椀ものとお漬物です」
カリーナちゃんお手製のお漬物を出すのはずるいと思うの。
というか、あんだけ食べたのに、ソフィアは四杯もおかわりするのね…。シフォンさんも二杯お代わりしている…。
若干みんな引いてるじゃない。
「えっと…最後に水菓子です」
わらび餅と二種の水羊羹それと、果物が2つあるわね。
わらび餅は説明不要だと思うけど、羊羹は抹茶と柚子だ。透明な寒天に細切りの柚子が入ってる。果物は梨とぶどうだ。
「水羊羹って小豆だけじゃないんだ…。この黄色いのって柚子?」
「もう料理に関してはどこにお嫁に出しても問題ありませんね」
「これで終わりかぁ……」
「ダイエットしないと……」
さて、いつの間にか始まっていた料理対決だけど、いい感じで食べ終わったようだ。こっちで見ているメイドさん達が全員お腹の音を鳴らしっぱなしで発狂しそうになっている。
というか、マーガレットのシェフ服とカリーナちゃんの割烹着はいったいどこから手に入れたんですかね? まぁ、似合ってるからいいんだけどさ。
「じゃあ、どっちの方が美味しかった?」
「私には決められないわ」
「私はカリーナ様ですかね。お酒によく合います」
「私はちょっと決めかねますね。どっちも満足です」
「私はマーガレットの方が好みだったわ」
勝敗決まらないじゃない。
「でもまぁ、これが今後食べられるっていうんならいいと思うのよ。とっても上達したわね。ご苦労様」
その言葉で緊張の糸が切れたのか、やんわり微笑むと、二人して硬く握手した。
「あなたがいてくれたからここまで上り詰めつことが出来たわ」
「私も非常に勉強になりました」
「ねぇ、そっちの和食の作り方あとで教えてくれない?」
「はい。私としても洋食をもっと覚えたいです」
まぁ、みんな料理出来るようになったのはいいんだけどさ、なんかレベル上がりすぎな気もするのよね。
なんて言うか、若手の男性俳優とかアイドルが休日に作る料理みたいなインスタ映えしそうな料理とかになっている。なんなら、朝のニュースの時にちょっとコーナー作ってもらえそうなレベルだもの。
私の作る料理が一気にしょぼく感じるんだけど、気のせいよね?




