31 密着取材
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九月某日(金曜日)朝4:00 王都、王立アルマース学園、女子寮四階
─────おはようございます。
「おはようございます」
─────今日は一日密着取材よろしくお願いします。
「はい。お願いします」
オパールレイン伯爵家、次女♂ クリスティーヌ・オパールレイン。本日はそんな彼女の一日に密着する。
朝四時。まだ陽の登っていない時間帯に彼女は起床する。
─────随分と早いですね。
「そうですね。ご飯の用意とか剣の訓練とかありますからね」
─────大変じゃないですか?
「慣れですね。昔から早い時間に起きていたので苦じゃないです」
彼女の寝ていたであろう場所にはうつ伏せで犬のような体制で眠るメイドがいた。
「あぁ…メアリーですか? いつものしかかって抱きついてくるんですよね。でも攻略法がありまして、今では簡単に抜け出せますよ」
屈託のない笑顔を見せる彼女は寝巻きからシンプルなドレスシャツとパンツスタイルに身を包んだ。
─────これから訓練ですか?
「ええ。そうですね。でもその前に少しやる事があるので」
そう言って台所へ向かい、お米を研ぎ始めた。
─────それは何を?
「朝食の準備ですね」
─────普通はメイドがやる事なのでは?
「朝は私の方が早く起きるのでついでですね。美味しいご飯にするのに給水が必要ですから、訓練中にお米に水を吸わせてます。ある一定量以上吸ったらそれ以上は吸わないですからね」
玄関の傘置きに刺さっていた木刀を持って外へでる。
─────エレベーターは使わないんですか?
「この時間なんで動く音が迷惑になるじゃないですか。それに階段使った方が早いし足腰の訓練にもなるじゃないですか」
驚く速さで音もなく階段を駆け降りるクリスティーヌ。
「前はベランダから飛び降りてたんですが、流石に止められまして。朝は階段から降りてます」
寮の裏口から出た彼女は、そのまま軽やかな足取りで雑木林の中へ入って行った。
─────いつもここで?
「はい。この見た目で木刀持ってたら怪しいじゃないですか」
黙々と素振りをするクリスティーヌ。
訓練を開始して三十分程経った頃、クリスティーヌの元に近づく人物がいた。
「よ…よう。クリス…お…おは…おはよう…」
「おはよう」
彼は声を掛けるタイミングを中々見つけられずにいた。
「早いな」
「そうかな?」
「そうだろ。今五時前だぞ? 太陽だってまだ出てないし」
「それをいったら、リアムだって早いじゃない」
「お…俺はたまたま起きてやる事ないから訓練しにしただけだ」
「それ毎日言ってるわね」
「そ…そそそ、そんな事言ったか?」
「ふふ…まだ寝ぼけてるんじゃない? 顔も真っ赤だし」
「いや、これは走ってきたからで…ってそんな事より、いつものやろうぜ」
「そうね。あと百回素振りしたら、打ち合いしましょうか」
「おう」
─────毎日これをしているのですか?
「毎日じゃないですよ。剣の訓練は月水金。格闘術の訓練は火木土でやってます」
─────そんなに鍛えてどうするんですか?
「そう…ですね。何ででしょうかね。ただ、助けを求めている人の前に颯爽と現れて助けたらカッコよくないですか? ヒーローみたいじゃないですか。昔は出来なかったので、ちょっと憧れでやっているって感じですね」
その後二人は素振りをした後、十数回打ち合いをしていた。結果はクリスティーヌの全勝で終わった。
「はぁー…やっぱ勝てねぇわ。どんだけやっても無理だわ」
「そんな事ないわよ。今日は何回かいい線いってたのあったし」
「勝てなきゃ意味ねぇよ…。っあー。しゃあねぇ。もっともっと頑張っていつか一本とってやるよ」
「ふふ…期待してるわよ。あ、私朝食の準備とかあるから、またね」
「おう!」
─────あの、少しよろしいでしょうか?
「え? 俺もインタビューされんの?」
─────ダメでしょうか?
「いやいいけどさ。何を聞きたいんだ?」
─────何でクリス様に好意を伝えないんですか?
「ばっ! お前…そんなの言える訳ねーじゃねーか」
─────でも、クリス様は『超』が付くほどの鈍感ですよ? はっきり伝えないと絶対に伝わりませんよ?
「いやまぁそうだけどさ」
顔を真っ赤にして頬を掻きながら下を向くウィリアム。
─────多分ですけど、そのまんまですと一生勝てないでしょうね。
「そう…だな」
彼はがっくりと肩を落とし、そのまま振り返る事なく寮へと戻っていった。登り始めた朝日が彼の後ろ姿を赤く照らしていた。
朝6:00
寮の脱衣所からクリスティーヌがシャワーを浴びた後なのか、濡れた髪の毛をタオルで拭きながら出てきた。
─────くっ…。シャワーシーンを逃してしまいました。
「あなた心の声が漏れてるわよ。ちゃんと役に徹さないなとダメじゃない」
─────すいません。気をつけます。
「ん…」
─────ところでドライヤーは使わないのですか?
「使いたいんだけど、まだみんな寝てるからね」
髪の毛をタオルで巻きつけるクリスティーヌ。その時、部屋の奥からメイド服に身を包んだ女性が数人リビングへ入ってきた。
「クリス様おはようございます。今日も早いですね」
「おはようございます」
「うちのお嬢様も見習ってくれると嬉しいんですけどね」
「ははは…」
奥から来たのはメイドのヨメナとステラとプレオ。少し遅れてビシューとロココが挨拶と共に入ってきた。
「クリス様、また髪の毛乾かしてないんですか?」
「いや、ドライヤーの音がうるさいじゃない?」
「そんなの気にしなくていいんですよ。折角のクリス様の髪の毛が痛んで羊みたいになったらどうするんです」
ビシューと呼ばれるメイドに無理やり座らされドライヤーで髪の毛を乾かされるクリスティーヌ。すかさずロココと呼ばれるメイドが髪の毛と肌の手入れをして、髪の毛をセットする。今日の髪型はハーフアップだ。アクセントに少し大きめのリボンが付いている。
「今日も素敵ですクリス様」
「今日も愛らしいですクリス様」
「あ…ありがと」
椅子から立ち上がったところで、ルームメイトの一人カリーナが起きてきた。
「おはようクリス」
「おはようカリーナちゃん」
─────どうしてカリーナへは『ちゃん』付けしているんですか?
「なんでだろ? かわいいなって思った子にはだいたいちゃん付けしている気がするけど。改めて聞かれると不思議よね」
─────では、無意識で付けていると。
「そうね」
─────つまり正妻候補ということで。
「ちょっとイータ何言ってんのよ」
─────あの、そこは黙って頷くところですよ。というか、勝手に名前を出さないでください。今日はインタビュアーに徹しているんですから。
「わ…分かったわよ…」
不満そうな顔のカリーナはクリスと共に台所へ向かう。
─────先ほど水に浸けていたお米はどちらに?
「あぁ。戻ってきて直ぐに脱水して、炊飯器にセットしたわよ」
─────炊飯器。
「そう。ソフィアのところで用意したやつだからかなりハイエンドな機種よ。まぁ言うても十万しないくらいだと思うけど」
─────はい、いつもお世話になってます。
朝のキッチンは戦場だ。
何せ朝から大食い女子が何人もいるからだ。
クリスティーヌは慣れた手つきで厚焼き玉子を次から次へと焼いていく。
カリーナは味噌汁を作り、ヨメナは干物を焼いている。
─────これは何の干物ですか?
「これですか? これはホッケですね」
─────私ホッケ大好きです。
「それは良かったです。ちゃんと大根おろしとレモンも添えますね」
─────ヨメナさん愛してる。
「はは…大袈裟ですよ」
「ちょっと、邪魔なんだけど」
─────すいません。
カウンターキッチンの向こう側ではビシューとロココが食事の準備をしている。
その時キッチンから独特な香りが漂う。
─────今日はなんの漬物ですか?
「今日はナスとキュウリよ」
糠から取り出した野菜を洗い、切ってお皿に盛り付けていくカリーナ。
─────おかずはこれだけで足りますか?
「あとは納豆とかふりかけとかあるから大丈夫でしょ。それにみんなおかずよりご飯いっぱい食べるから」
「おはよー」
あらかた料理が出来上がった頃にサマンサとお付きのメイド三人がクリスの部屋から出てきた。
─────毎日ハシゴから大変じゃないですか?
「だって最短ルートだし」
─────そういえば、サマンサ様の制服随分と改造されているようですが。
「あぁこれ? 前クリスが言ってた軍服ワンピースってのから着想を得て作ったのよ。生徒会は全員こんな感じよ」
─────許可とか取られてます?
「当たり前じゃない。みんな喜んで首を縦に振ったわよ」
─────…………………………。
テーブルの上には次々と料理が並べられていく。
サマンサは早速座り、新聞を読んでいた。
新聞の見出しには『アルマース学園、男子の女装率50%をついに超える』と書かれていた。
「おはー」「はおー」
未だ眠気覚めやらぬ顔で酷い寝癖を付けたままソフィアとマーガレット。そしてマーガレット付きのメイド、マトリカリアとデイジーが起きてきた。時刻は七時を回ろうとしている。
─────朝はいつもこんな感じですか?
「えぇ。なかなか起きなくて困りますね。早く起きるときもあるんですが、稀ですね」
─────もう一人起きてこないようですが?
「あぁ。あの方は下手に起こすと関節技をきめられるのでそのままです。命に関わりますので」
─────よくクリス様は平気ですね。
「動物の甘噛みみたいなものじゃないですか?」
─────言い得て妙ですね。
メアリー不在のまま、朝食を取り始める。
─────その量で足りますか?
「寧ろ多いくらいですよ」
─────朝からあんなに動いてこの量ですか。随分と低燃費ですね。
「よく言われます」
全員が食べ終わって、食器を片付け出した頃にメアリーが起きてきた。今日はいつもより二時間も早い起床だ。
「あっ! 私の分は!?」
「起きて早々それなの? ちゃんと用意してるわよ」
「なんで起こしてくれないんですか?」
「メアリーは寝ぼけて関節技きめるでしょ? 他の人が怪我したら危ないから」
「クリス様が起こしてくれてもいいんですよ?」
「普通逆じゃない?」
─────全くもって同感である。
朝8:00
─────今から登校ですね。
「寮から徒歩五分ですからね。楽でいいですね」
「おはよう」「おはようございます」─────
次々と声をかけられる彼女は今では学園のアイドルだ。
─────随分と人気ですね。
「そう…ですね」
絞り出すように呟いた彼女の顔は険しい。
─────あまり嬉しくなさそうですね。
「まぁ純粋な好意ならいいんですけどね」
現在、彼女は学園での好感度ランキング第二位となっている。また、ファンクラブも作られており、その人数は学園の内外問わず増え続けている。
「おはようございます。クリス」
「レオ様おはようございます」
教室へ入ると、彼女の婚約者レオナルドが声をかける。
「今日も美しいですね」
「ありがとうございます」
社交辞令で返すクリスティーヌ。
「やぁクリス嬢。今日もかわいいね」
「あ…ありがとうございます……」
「ふふ…赤くなってかわいいね」
「ちょっとクリス! どうしてシェルミー嬢と話す時と私の時とで態度が違うんですか!」
「そんなことないですよ」
その後続々とクラスメイトが入ってきた。
「レオナルド殿下おはようございますわ」
「ジル嬢おはようございます」
「レオナルド殿下おはようございます」
「イヴ嬢もおはようございます」
「ねぇレオナルド。そろそろ授業始まるんだけど」
「そんな事知っていますよソフィア」
「じゃあ、そこ私の席なんだけど、自分のところ戻ってよ」
「はぁ…分かりましたよ」
「全く何で私の席に座ってんのよ。変に生暖かいし」
「席を温めておいたんですよ」
「そういうのは冬にやってもらいたいわね」
「ねぇそろそろ授業始まるわよ」
「そうですね」「そうね」
暫くして教師が入ってきて授業が始まった。
昼12:10
学園での昼食は併設されているカフェテリアでとることができる。
─────いろいろあって目移りしてしまいますね。
「その日の気分で食べられるのでいいですよね。種類も豊富でリーズナブルですし。ここもソフィアのところで作り直したそうです」
─────ソフィア様さまさまですね。ところで、話は変わりますが、クリス様はレオナルド殿下の事あまり好きじゃないですよね?
「ぶふっ!」
食べていたうどんを盛大に吹き出すクリスティーヌ。
「ちょ…なんて事を…」
─────そんな風に見えますので。
「そんな事ないですよ。ただまぁ、そうですね。婚約者っていうよりは手のかかる弟って感じにしか見えないですね」
─────弟。
「もう少ししっかりしてもらえるといいんですけどね」
─────ちなみに他の方。例えばウィリアムやソフィアはどうですか?
「どっちも弟や妹って感じですね」
─────これは重症ですね。
「はい?」
─────この後も授業ですよね?
「五限の数学は眠くなりますよね」
─────分かります。
夕方18:30
─────おかえりなさいませ。
「ただいま」
─────今日はお一人ですか?
「そうですね。さっきまで先生方と講義をしてました」
─────講義。
「先生方に私が抗議するというおかしな事になってまして。あ、今日はソフィアも別のクラスで科学を教えてますね」
─────クリス様は何を担当しているんですか?
「私は今日は経済学を…」
─────お疲れ様です。
「いえいえ」
その時丁度カリーナが帰ってきたようだ。
「おかえり」
「ただいま」
─────新婚さんのようですね。
「なっ!」
「?」
一瞬にして真っ赤になるカリーナと首を傾げるクリスティーヌ。
そんなクリスティーヌを見て頬をひっぱるカリーナ。
「ひょ! ふぁにふんのふぉ」
「いや…なんかイラってきて」
「カリーナちゃんまでソフィアっぽくなったら嫌なんだけど」
「分かったわ」
パッと手を離し、両手を後ろに組んでモジモジとし出すカリーナ。
「あ…あの…………」
その時タイミング悪くソフィアが帰ってきた。
「あーもう疲れたー」
「おかえり」「お…おかえり」
「ただいまー」
「ソフィアの方はどうだったの?」
「ん? 私の方は普通よ。あ、でもイエモン先生が目からウロコって感激してたわね」
「そうなんだ。ってカリーナちゃんどうしたの?」
「なんでもない!」
「?」
夕方19:30
金曜日はいつもより遅い夕食だ。
その為、金曜日はメイド達による料理だ。
夕食後、クリスの自室へカリーナが訪れる。
「はい。今日の分よ」
「ありがと。確認するわ」
「ん」
ソファに座り渡された書類を確認するクリス。
─────それは何ですか?
「これはうちの商会の新製品の企画書ですね」
─────企画書。
「それと、暗号で書かれてますが、今日の任務の内容です」
─────任務。
「まぁうちはそういう家なので仕方ないですけどね」
─────いつからこのお仕事を?
「気づいたらやっていた感じですね。最初は剣の訓練とか趣味でやってましたけど、いつの間にか本格的に指導されるようになって。その後にうちのメイドのミルキーさんって方に格闘術も教えていただきました」
─────他には何か出来ますか?
「アサシンみたいな事は一通り教わりましたね。服の中のどこに武器を隠すのか知らなかったですからね」
─────ちなみに本日の任務は?
「今日は簡単ですよ。最近話題の手癖の悪い空き巣を捕まえに行くだけですから」
─────さらっととんでもない内容だと思うのですが?
「でもお兄様とかお姉様だと、違法薬物の売人と元締を捕まえに行ったりとかしてましたから。それに比べたら」
─────私が言うのもなんですが大変ですね。
「そうなのよね。不規則だから肌の手入れが…」
─────肌の手入れだけですか?
「何が言いたいんですか?」
─────いえ、なんでもないです。
その後皆が寝静まった二十三時。
クリスティーヌ以下メイド三名が、ベランダより飛び立っていった。
深夜1:00
─────お疲れ様です。
「え? この時間まで起きていたの?」
─────はい。一応一日密着取材なので。
「だったら一緒に来れば良かったじゃない」
─────私は諜報メインなので。
「あっそ」
─────お風呂はどうしますか?
「今入ったら起こさない?」
─────結構それ言ってますけど、ここの建物の防音性高いので、お風呂派入るくらい大丈夫ですよ?
「そう? じゃあ入ってくるわ」
そうして深夜二時に彼女は眠りについたのだった。
「ついたのだった。じゃなくて部屋戻りなさいよ。もう終わったでしょ?」
─────おやすみなさい。
「あくまで今日はそのスタイルでいくのね。はいはいおやすみ。明日も早いんだからね」
今度こそクリスティーヌは眠りについたのだった。
「ねぇイータ。今日ずっとそれやってるけど」
「あぁこれですか? 編集して三十分くらいに纏めようと思うんです」
「ふーん」
「というかカリーナ様こそ何で起きているんです?」
「別にクリスがちゃんと帰ってくるか心配して起きていたわけじゃないわよ」
「全部言いましたね」
「うるさいうるさい。もう寝るわよ」
「はいはい。分かりましたよ。おやすみなさいませ」
小さな寝息を立てて眠る主人を見る。
私の主人が報われる時は来るのだろうか?
最初は嫌でやっていた女装も、いつの間にか好きな人の為にやっている。
寧ろ今では、どこからどう見てもかわいい女の子にしか見えない。
趣味が普通になっているのは、あの人と同じだけど、報われずに止めるような事が無いといいなと思いながら、主人と同じベッドに入る。
あの編集で好意を伝えられないだろうか? そう思案しながら眠りについた。




