23 アンさん
入学して二日目にして応接室に入ってしまった。
「とりあえず、そこ座って座って」
案内されるままソファへ座る…。うっわ…ふわっふわ…。ずっと座っていられるわ。ダメになりそう。
コポコポとお湯の湧く音が聞こえる。お茶でも淹れてくれるんだろうか? そんなに長くいるつもりないんだけどな。というか、そんな勝手に色々やって良いんだろうか? 一年目の教師ですよね?
まぁ、アンさんだからって事で納得する事にする。どうせ、何かあって怒られるのはアンさんだしね。
そして、暫くしたらふんわりと香ばしい匂いがした。
これはコーヒーね。
それは、当たった様でだんだんと匂いが強くなる。そして、私の前にカップが置かれる。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「いいえー。ミルクと砂糖は?」
「あ、要らないです」
「へー…クリスきゅんはブラック派なのね。おっとなー」
入れない方が好きなだけですわよ。とりあえず一口飲む。
「!」
「どうかしら?」
にっがぁ~…。かなり深煎りねこれ。酸味はなく、コクと苦味が強い。でも後味がさっぱりしている。なんとなくエキゾチックな風味だ。
ちなみに淹れた当の本人は飲んで舌を出していた。
「にっがぁ~…。やっぱりこの豆苦いわよね」
そう言って角砂糖を何個も入れていた。人に出すのに苦手な品種で出さないでほしいな。まぁ、私は結構この味好きだけどさ。
「あぁそうそうこれもどうぞ」
白い小箱をテーブルの上に置いて蓋を開けた。
「たい焼きですか」
「あら、知ってるの? これ王都でもかなり有名店でねー、並ばないと買えないのよ」
「へぇー、そんな凄いものを」
「まぁ、コネがあるのよ」
箱の中には五つのたい焼きがあった。何を食べるかで試されているんだろうか?
「あ、分かんないわよね。こっちから、つぶ餡、こし餡、うぐいす、クリーム、お好みたい焼きよ」
まぁ、ここはシンプルにつぶ餡よね。
「ではいただきます」
私がつぶ餡のたい焼きを取ると、アンさんはこし餡のたい焼きを取って微笑んだ。
「あんこを選んでくれて嬉しいわ」
その笑顔は、普段の下卑た感じはなく、今までで一番妖艶に見えた。
「ほら、食べて食べて。ここのは本当に美味しいから」
「はい」
一口食べてる。
「!?」
「へぇ…クリスきゅんは頭から食べるのね」
今、ものすごく獲物を狙う獣みたいな目をした気がする。
「えぇまぁ…というか、なんですかこれ! すっごく美味しいですよ」
「でしょう」
皮が薄くあんこぎっしり。でも甘さが控えめなのでくどくない。コーヒーに合うわね。
「気に入ってくれて良かったわ」
「でも、態々たい焼きをご馳走してくれる為だけに呼んだ訳じゃないですよね?」
「ふふ…さーすが私のクリスきゅん。冴えてるー」
どうしてこの人は一々ふざけないと気が済まないのだろう。
「うちの兄妹の名前なんだけどね、一番上の兄が双子でツブとコシって言うの」
唐突に何でそんな事を話し出したんだろう。というか、ツブとコシって…あんこじゃん。
「それで、その下にウグイ、クリ、コノミ、そして私アンでおしまい。笑っちゃうでしょ? うちの父のネーミングセンスの酷さったらありゃしないでしょ」
「確かに…あ、いや…」
一瞬ソフィアの顔が浮かんだけど、ソフィアのネーミングセンスはもっと酷かったから、まだマシだなと思った。
「いいのよ。でも、クリスきゅんは頭からアンを食べた訳で。これもう私との◯ックスと一緒じゃない?」
私が食べたのはツブ餡なんですが。
「もしかして、それが言いたいがためにこれを?」
目が泳いでる。ホントこの人は…。
「ま、まずは…そうね。これからあなた達には王家の影として、学園在籍時には研修を兼ねて、王都での裏の任務をこなしてもらう訳だけど…」
気まずくて、急に真面目な話にすり替えたわね。まぁ、本題に入ってくれたからいいけどさ。
そういえば、前にお兄様の任務を手伝った時があったわね。あの時にアーサーを救出した訳だけど、今思うと助けない方が良かったかなと思うことが何度も…。
「まぁ、それぞれ適性を見極めないといけないから、最初のうちは結構いろんな事をするから大変だと思うのよ」
「そうですね」
「だから、なるべく体力は温存しておいた方がいいわよ。若いからといって夜に何回も一人で耽ってちゃダメよ?」
「しませんよ」
「そこは手伝ってとか、見ていてくださいってお願いするところじゃない? 目の前に大人のお姉さんがいるんだから」
「そうだとしても、多分アンさんには絶対に頼まないと思います」
「何で?」
「何でってなんとなくですよ。先進めてください」
「もう…。まぁ、何で私がこんな話しているかって事なんだけど…。そうね。私の本名を先に伝えた方がいいかしらね」
そういえば不思議に思っていたのよね。アンさんって男爵家なのに、ミドルネームあるんだよね。何か関係があるのかな?
「私の本名は、アン・ボルツ・カーボナード・ブラックダイアモンド。大公家の末娘よ」
「えっ!」
今なんて? 大公家? この人が? 飲んでいたコーヒーで噎せてしまった
「大公家だから、王家と同じでミドルネームが二つ。まぁ、由来は祖先の趣味ね。で、あのいけ好かないジジイ。あ、私の父親ね。あの人も偽名なのよ。本名はギャラン・ボルツ・カーボナード・ブラックダイアモンド。あ、ブライアンってのは昔、祖先が作ったエクリプスって組織で活動してた時に使ってた名前らしいのよ。なぜかえらく気に入って今も使っているけどね。それで、母がエメロード。父の妹がエテルナ王妃。弟がここの学長のレグナム。あともう一人妹のアスパイアってのが……」
「待って待って、ちょっと待って。え? 思考が追いつかないんだけど?」
あまりにも急に重要な事をポンポン言うもの。全く心構えしてなかったからか、すごいびっくりしている。
態々男爵家を名乗っているのはそういう事なんだろうけど、だったら、ミドルネームも外した方がバレないんじゃないかな? 或いは分かる人にだけ分かるような符合みたいなものなのかな?
でもまぁ、王家に連なる血筋の人なのね。何となく、アンさんとエテルナ様が似ている訳だわ。悪い意味で。
「まぁ、元締めの娘な訳だけど、王都周辺の管理とか私が今度から担うのよ。よろしくね」
サラッととんでもない事のオンパレードだわ。
「それで、任務のある時は、連絡をしたいんだけど、私が直接伝えに行った方がいいわよね?」
「連絡員とかいますよね?」
「いるけど、直接クリスきゅんと乳繰り合いたいじゃない?」
「いいえ。別に」
「チッ」
ちょ、露骨に不満そうな顔して舌打ちしたんですけどこの人。
「仕方ないわね。直接伝えた方が漏れがなくていいと思うんだけどなあ~?」
伝える気がない人が言っても説得力ゼロですよ?
「そもそも何で教師やっているんです?」
「それはね、私の夢の為よ」
「夢?」
「そう。ちっちゃい子供の為の学校。そして、そこで私は子供達に囲まれて幸せになるの」
うちの領にはとっくに、幼稚園から小学校と中学校があるけどね。アンさんも同じ事をしたいんだろうけど、どうにも下心が見え見えなのよね。まぁ、公平に教育を提供するのはいい事だと思うけどね。
「てっきり何かの任務の為かと思いましたよ」
「まぁ、それもあるわね」
どこまで本当か分からないわ。
「一応、去年教育実習生を一月やって、そのまま採用試験も受かったから、ちゃんとした教師よ」
「う…疑ってませんよ」
「ホントにぃ?」
すいません。完全に疑ってました。だって、今までの事を知っていたら、絶対にドッキリだって思うもの。
「ま、一応これから任務とかあって大変だと思うけどよろしくねって事で、ね」
なるほどね。大公家の娘なら、こうやって好き勝手出来るのね。多分一人一人こうやって面談みたいな事をしているんだろう。
「話は分かりました。あと、ごちそうさまです」
「まぁ、気負わずにね。無理な事はちゃんと無理って言うのよ」
「はい分かりました。では、失礼します」
なんだかんだ言ってちゃんと監督しているのね。もしかしてどこかの芸人さんみたいに照れ隠しでめちゃくちゃやっているのだろうか? それを聞くのはなんか怖いから多分聞く事はないだろうけどね。




