87 エピローグ
*
「エテルナ様、こちらが今回の報告書になります」
「ありがと」
シグマから受け取った紙束を丁寧に確認し、ニンマリと笑むエテルナ。
「楽しかったわね」
「楽しんでたのはエテルナ様とサヴァだけでしたがね」
嫌味を少し含んで口にするシグマ。
実際、アンバーレイク領での視察の際、シグマとラムダはエテルナの好奇心に振り回されていた。一緒に護衛として付いていったサヴァは一緒くたになって騒いでいた。
LRTにバス、タクシーに乗り市内観光。行った先々で王族にあるまじき食べ歩きの限りを尽くし、果ては建設中の地下鉄の線路上を歩きたいと言い出す始末。
治安のいい街ではあるのだが、見たことないものばかりの街中で何があるのか分からず、常に神経を尖らせていた為、いつも以上に疲労を感じたのだった。
よくあのドラゴンと呼ばれるものと戦った翌日にあんなに元気に動き回れるものだとシグマは内心呆れと同時に感心していた。
ドラゴンの出現に街の人達で気づいているもはいなかった。あんな事があったのに、変わらず日常が流れていく事に少なからず恐れもした。
屋敷の一部が崩れ大変であるはずだが、翌日エテルナのわがままに付き合ってくれたソフィア嬢を始め、アンバーレイク公爵夫妻には感謝するばかりだ。
「アンバーレイク領での件は箝口令を敷いていますし、場所もアンバーレイク家の敷地内ですので、あそこであったことは漏れないでしょう。幸い犠牲者もいませんし」
「そうね。お陰でいろいろとアンバーレイクに恩を売れたし、技術を導入できたものね。無償で」
「二、三段階飛び越している気もしますが…」
アンバーレイク家で起こった出来事を黙認する代わりに、技術や援助の約束を取り付けたエテルナ。いくつかの技術は王家に譲渡させることも出来た。
明らかに先進的すぎるものだが、国内の格差を是正することが出来るだろうと考えたのだ。そして、虎視眈々と侵略を企てる隣国への対抗策も講じられるだろう。
そもそも貧富の差が激しいのだ。隣国と手を組み反旗を翻す可能性の芽を少しでも摘みたいが、摘んでばっかりもいられない。
いろいろな事が重なり地方貴族が反乱を起こしかけたりしていたが、水面下で未然に防いできた。そんな原因もこれで少しは落ち着くだろう。
「それにしてもとんでもないものを作っていたわね」
「えぇ…。彼らは知らないと言ってましたが…」
「そういう事にしておきましょう。それより…」
「申し訳ありません。あの時のどさくさで例の女神様を見失いました」
「そう…それは残念だわ」
冷たい声音で呟くエテルナ。
「ラムダとサヴァにも確認しましたが、煙のように消えたようです」
「煙……ね。まぁいいわ。引き続き探してちょうだい」
「既に手配済みです」
「仕事早くて助かるわ」
「えぇ。私の結婚にも関わりますので」
「…………………………」
苦笑いするしかないエテルナ。
「しかし、例の女神様に執着しすぎではございませんか?」
「当たり前でしょう! クリスちゃんを完全に女の子にするにはこれしかないのよ」
クリスに執着しすぎではないかと内心危惧するシグマ。
「その顔はどうしてそこまでって思ってるわね?」
「いや、そんな事は……まぁ……はい。……そうですね」
「あなたは居なかったから分からないでしょうけど、クリスちゃんは本当に優秀よ」
「他の人達からもそのように聞いております」
「私の後継はクリスちゃん以外には考えられないわ。いや、クリスちゃん以外には務まらないわ」
「そんなにですか?」
「正直、全てにおいて私を上回るわ…。もう既に私より出来る事も多いしね。もうクリスちゃんのいない生活なんて考えられないわ」
なるほどとシグマは思案する。だからこそ、クリスを時期王妃として据えたいがために、正しい性別にしたいという事なんだろう。
だが、そこで一つ疑問が出てくる。
「ギャ……大公閣下はそれをお許しになるでしょうか?」
「そこが問題なのよねぇ…」
ブラックダイアモンド大公ことブライアン・ボルツ・カーボナート男爵はエテルナの兄であり、この国の裏側を取り仕切る人物だ。
尤も、その名前も爵位も偽りではあるのだが。
ブライアンがいい顔をしない理由はオパールレイン家がこの国の王家を守護する暗部を司る家門の一つだからだ。
そんな家の者が表舞台に立つことを許さないし認めないだろう。
クリスの実務能力と見た目を大変気に入っているのはエテルナだけでなくブライアンも同じだ。態々見た目通りにする必要はないと妨害してくる可能性もある。
そして今回の一件は勿論耳に入っていることだろう。
「まぁとにかく、パーティで公表したのだから今更難癖なんてつけられないでしょう?」
「あの方は論理武装してくるので苦手なんですよね」
「まぁそしたら弱みを突けばなんとかなるから」
「弱み…ですか」
「そうよー。意外と子供っぽいのよ。だから大丈夫。まぁ強いて言えばレオちゃんが諦めなければいくらでもなんとかなるのよ。だから引き続き捜索をお願いね」
「かしこまりました」
これで話は終わりだろうと思って部屋を出て行こうとしたところで新たにエテルナが話を切り出した。
「ところでレオちゃんの様子はどうかしら?」
「はい…。あれからずっと部屋で塞ぎ込んでいます」
「そう………。ねぇ? どう見ても女の子にしか見えないのにお◯ん◯んあったら得したと思わない?」
「エテルナ様のご趣味は理解しているおつもりですが、それをレオナルド様にまで強いるのはどうかと思います」
「別に強いてないわよ。レオちゃんと私が好きになった子がたまたま男の娘だっただけよ」
腰に手を当てエテルナはドヤ顔で言い切ったのだった。
*
「そんな…。クリスが……クリスが…男だったなんて………」
そう言って気落ちしたまま暗い部屋で、ソファにへたり込んだまま俯くレオナルド。
あれから数日、何も食べずに部屋に籠りうわ言のように呟いている。
もう何回同じ事を言っただろうか。そんな時、唐突に部屋の扉が開けられた。
眩しい光が部屋に入り込んでくるが、そっちを見る気力すらない。
しかし、入ってきた人物にとってはそんな事はどうでもいい事だ。
ズカズカと音を立てながら入り込んできたウィリアムはレオナルドの前まで歩き、俯いて虚ろなレオナルドの胸元を掴んで引き上げた。
「おいレオ! お前のクリスを好きな気持ちって言うのはそんなもんなのか?」
顔を近づけ怒鳴りつけるウィリアム。
「……え?」
焦点の定まってない目でウィリアムの方を見るレオナルド。
「俺は男だろうが女だろうが関係ねぇ。クリスが好きだ。お前がいらないっていうんなら、俺がもらう」
「何を…言って…」
「俺はお前がクリスを好きだって言うのを知っていたから、婚約者だっていうから諦めてたんだ。なのに当のお前がそんなんでどうするんだよ!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴るウィリアム。
「だって…私の愛したクリスは…」
「それがどうした。男だからなんなんだよ」
「それは………」
うじうじと言い淀むレオナルドに業を煮やしたウィリアムは、掴んでいたレオナルドをソファへと突き放した。
「うちには優秀な弟が二人いるからな。後継だってあいつらでいいと思ってる。俺はクリスに認めてもらえるよう努力する。お前が降りるってんなら勝手にしろ」
「……………」
「レオ……お前があそこに行かないって言うんなら俺も学園入学まで行かない」
「どうして?」
「あいつに選んでもらえるよう鍛えるからな。一年ちょっとじゃ全然足りないけど、クリスを守れるよう……いや。隣に堂々と立てるようになりたいんだ」
ハニカミながら夢を語るウィリアムを眩しいものを見るような目で見る。そして濁っていた瞳は色を取り戻したのを見てウィリアムは軽く頷いて手を差し出した。
差し出された手を取り立ち上がったレオナルドは、さっきとは打って変わってはっきりと喋り出す。
「ホント…あなたはバカですね。いいでしょう。私も気持ちを整理しないといけませんね」
「やっとか。遅すぎるぞ」
「そんなこと言わないでください。未だに混乱しているんですから……」
「まぁ…そうだよな」
「はぁ…。私がバカでした。大バカですね。あんなに好きだったのに、あれしきのことで迷うなんて、どうかしていました」
キリッとした目でウィリアムを見据えるレオナルド。
「それでこそレオナルドだ。で、どうするんだ?」
「もう少し待っていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わんぞ。ここまで待ったんだ」
「付き合ってもらって申し訳ないですね。必ず答えを出します」
「そうか…。だが、これからはライバルだ。それを忘れるなよ」
「えぇ。これで対等ですね。望むところです」
そんな様子をエテルナと専属のメイド四人が四者四様の表情で覗き見していたのだった。




