86 ドラゴン
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いつ見ても圧巻だわ。
普通の貴族の家よりも広く大きい。端から端まで終わりが見えない。流石は公爵家。道路から臨く屋敷は遠くにあるはずなに全貌が見えないくらい大きい。
更に奥の方に見えるのはアンバーレイク家の研究施設とかなんだろう。一応この世界に配慮しているのか、それっぽい建物になっている。まぁ、中身はガチガチにSF感あるんだけどね。
……しかし大きいな。まだ正門前まで到着しないとは、一体どれだけ広いのよ。
漸く大きな正門のモチーフのようなものが見えた時、この世界に転生して初めて視界がブレる程の縦揺れを感じた。
一瞬何が起きたのか分からなかった。車は急停車したようだけど、揺れの方が激しくお母様や王妃様の下敷きになっていた。
これはこれでなんて思っている余裕はなく、息苦しい。
「ちょ…エテルナ様、レイチェル様、そう言う事は私の役目です。どいてください!」
「え…あ…あぁ…ごめんなさい…今どくわ…あら!」
「一体何だったのよ…いてて…あら!」
「私のクリスがペシャンコに」
「なつてない! なってないから」
「暫くこの状況でもいいかしら?」
「ふむ…緊急事態だからな」
どうしてどかずに抱きしめるのよ。クマちゃんのぬいぐるみじゃないのよ?
「申し訳ございません!」
扉が開けられ、レオーネさんが無事を確かめに来た。
「「ちっ…」」
あのさぁ…もう少し状況を鑑みませんか?
「何があったの?」
ソフィアがレオーネさんに状況を確かめる。
「それが…」
見た方が早いのだろう。毎朝メアリー牢獄からの脱出をやっているから、この程度の隙間簡単に抜け出せるわ。
「あっ!」「あはっ…」
それぞれ違った反応をするが構っている余裕はない。正直、異常事態だから何が起こったか確認するべきよね。
車から飛び出すと、二号車に乗っていた方からは全員既に降りていたようだが、みんな上を向いたまま絶句していた。
そちらの方を振り返ると映画でしか見たことのないような真っ青な怪獣…ドラゴンが暴れていた。
「ギャオーン! ギャオーン!」
耳を劈くほどの鳴き声が辺り一面に轟く。
「ねぇソフィア…。もしかしてお願いってアレの事?」
「そうよ…でも間に合わなかったわ……」
えぇ…アレを私にどうしろと…。
さっきの揺れはあのドラゴンがどこからか飛び出してきたから起こったのよね…。
さっきの縦揺れで車は衝突しひしゃげている。
アンバーレイク家の奥の方の壁は道路側まで崩れている。
土煙が舞い、石礫や瓦礫があちこちに降り注いでいた。
それと同時にアンバーレイク家の使用人達であろう人達の悲鳴や怒号が聞こえてきた。
「こんなところで呆けている場合じゃないわね」
「そうだねぇ…」「そうですわね」
王妃様がアレを見ても怯む事なく、車のルーフに一息で飛び乗ったかと思うと、それをジャンプ台代わりにして壁を軽々と乗り越えて行った。
よくあんなドレスを着て軽々と乗り越えられるわね。王妃様って一体………。
それに続くように、お母様、グレート様、シグマさん、メアリー、ギガさん、エリーの順で壁の向こう側へ消えて行った。
流石にエリーが飛び乗った後はルーフ部分が陥没し、車はくの字に折れ曲がっていた。
私も続こうとしたところで、レオナルドに腕を掴まれた。
「どこへ行こうというのです?」
「どこって、あそこに決まってるじゃないですか」
「危ないですよ」
「知ってますよ」
いつになく真剣な表情で私を止めようとするレオナルド。でもね、レオナルドのお母様だって真っ先に向かったのよ? ここでただ眺めていていいわけないでしょう?
それにああいうのに対処するのがうちの家門なんだから。………出来るのかな?
一瞬迷ったけれど、私が行った方がいいような気がしたのよね。何でか分からないけど。
それにソフィアは両手を握りしめて縋るように見つめている。これに応えなきゃダメなきがする。
「だったらどうして! クリスがそんな危険を冒す必要はないんですよ?」
「心配してくれてありがとうございます。私一人増えたところで変わらないかもしれませんが、困っている人がいるのにただ黙ってここにいることは出来ません」
「何を言って……」
「大丈夫ですよ。無事に帰ってきますわ」
「では私も…」
「レオ、やめとけ」
「リアム…」
ウィリアムがレオナルドの腕を掴む。
「俺も行きたいけれど、多分力不足だ。それにレオが行っても足手まといだ」
「だったら尚の事クリスだって…」
「行かせてやれよ。大丈夫だ。何でか分かんねーけど、クリスなら何とかなりそうな気がするんだ。……それにクリスのかーちゃんに俺のばーちゃんもいる。あんなのに負けるわけねぇよ。だろ?」
ウィリアムが軽く顎で行ってこいと示す。
「こいつらは俺が守るからよ。行ってこい。行ってかっこいいところ見せてくれよ」
やだ…。ウィリアムったらこんなイケメンだったかしら。
心配そうに私を見るソフィアに頷くと、ぎこちない頷きを返してきた。
テオドールたんは小さくガッツポーズをした。かわいい。
アーサーはというと、どこから取り出したのかスケッチブックを取り出し何かを書き殴っていた。こいつは大丈夫そうだな。
「クリス…様…」
「あなたはリアムと一緒にここでみんなを守ってあげて。リアム一人じゃ大変でしょうし」
「分かった…ました…」
ディンゴちゃんも大丈夫そうね。言葉遣い以外は。
ただ一人心配性のレオナルドもウィリアムの気迫に負けて、掴んでいた手を離した。
「必ず……必ず無事に戻ってきてください」
「任せてください」
言い終わると同時に、私も壁の向こうへ飛んだのだった。
レオナルドに捕まったことでちょっと時間を食ってしまったな。
壁の向こう側であるアンバーレイク家の庭に二回転ほど転がって着地する。
起き上がると、目の前にいる青いドラゴンがより大きく見えた。巨大なビルのようだ。
街中に現れていたらもっと被害は大きかっただろう。
しかし、そこまで被害がないように見えるのはお母様達のお陰だろう。
王妃様、お母様、グレート様、そしてエリーがドラゴンの前に立ち、尻尾で弾き飛ばした石礫や瓦礫を全て防いでいた。
そして、メアリー達が逃げ遅れた人達の誘導や救助をしていた。
「こんなの聞いてないっす!」
「文句は後で聞いてあげますから、今は目の前の事に専念なさい」
「なんでそんな冷静でいられるんすかー」
「メイドたるものこういう時こそ冷静でなくてはいけないのよ」
「うぇぇ…」
先に来ていたであろうラムダさんとサヴァさんも一緒に誘導をしていた。
しっかし、サヴァさんは文句たらたらね。
「ちょ、クリス様どうして来てしまったんですか」
「え? あ…クリスどうして来たの!」
メアリーに見つかり、お母様に叱られた。
「ちょっと思うところがありまして」
「来てしまったのなら仕方ないけど、後で説教よ」
「はい」
「それで? 来たってことは何かあるのね?」
「はい」
お母様の方へ行こうとするが、雨のような石礫が凄まじい。お母様達がいない所に降り注いだ石礫や瓦礫は地面をうがいていた。あんなの当たったらたまたまだもんじゃないけど、あれを軽々と防いでいるのよね…。
何と言うか人間離れしているなぁ。
王妃様とお母様は布地の多いドレスを着ているのに、軽々と跳び、石礫を蹴り飛ばし弾いている。
グレート様は帯剣していた剣で降り注ぐ石礫を一閃で消しとばした。
一番すごいのはエリーかもしれない。全て拳一つで粉砕していた。
しかし、防戦一方だ。ドラゴンまで全く距離を詰められていない。
近くに突き刺さっていた棒鋼を手に取り、降り注ぐ石礫を振り払いながらお母様の元まで走る。
「何に気づいたのかしら?」
「見ていて思ったのですが、自分の意志で暴れているようには思えないんです」
「どういう事?」
「無理矢理叩き起こされて右も左も分からない状態で放り出された赤ん坊のような感じに見えます」
「なるほどね…。つまり赤ちゃんが寝起きにグズってる状態って事ね。言い得て妙ね」
「はい。元々なのか目が真っ白です」
「ホントね」
「それが分かったところでどうするのぉ?」
聞いていたエリーが疑問を呈する。
「よくあるのは逆鱗を剥がすとか攻撃する…よね?」
いつの間にか横に来ていたギガさんがそんな事を言う。
「でも逆鱗って東洋の龍にしかないんじゃ…」
「こんなファンタジーな世界なんだもの。その辺曖昧じゃない?」
そんないい加減な…。
でも見る限り顎の下にそんなもの無いように見える。というか見えない。
「クリスちゃんの言葉を信じるとすれば、正気に戻せばいいんじゃないかしら?」
「強い衝撃を与えれば目覚めるか気絶するか…賭けだねぇ…」
どっちにしろこのままだと埒が明かない。
ビタンビタンと尻尾を地面に叩きつけ土煙が更に舞う。
「ギャオーン! ギャオーン!」
相も変わらず、泣きじゃくるような鳴き声だ。
「私達が道を開くから、クリスちゃんとエリーちゃん二人で横っ面を引っぱたいてもらってもいいかしら?」
「おい! それは危険だろう?」
こう言う時いつもの口調じゃなくて騎士みたいな口癖になるのね。
「いや…それで行こう。私らじゃあそこまで跳べんよ」
「跳べる高さまで堕とせばいい……」
「じゃーあ、その後にあの子の顔に蹴りを入れればいいのねぇ…」
「そうね」
さて…方針も決まったわね。後はどうやって近づくかよね。
「エテルナ様、避難の方完了しました」
「あら、早いわね。じゃあ、みんな一斉に突撃よ」
「えぇ! 死にたくないんですけどぉ」
「死にたくなかったら死に物狂いで防ぎなさいな。生きて帰ったらボーナスあげるわ」
「絶対ですよ絶対!」
こういう時サヴァさんみたいな反応が正しいんだろうなぁ。
「じゃあ行くわよ。覚悟を決めなさい」
そう言うと同時にみんなが走り出した。
相も変わらず降り注ぐ石礫を振り払い、ドラゴンへ近づいていく。
王妃様とグレートさんが右へ、お母様とシグマさんが左へ走り、足へ一撃を入れる。
「くっ……! なんて硬いんだい」「傷一つつかないなんてね…。でも少しは聞いてるみたいよ」「そうだねぇ」
「くらえぇえっ!」「ふんっ! ……レイチェル様、腕は落ちていないようで何よりです」「シグマもねっ!」
ドラゴンが蹌踉めき、後ろに傾きかける。
横っ腹めがけてメアリーとラムダさんとギガさんが一撃を入れる。
「食べても美味しくなさそうですね」
「労災おりますかね……」
「んふっ…。硬いっていいわねぇ……」
流石にダメージがあったのか、悶えながら前のめりに倒れかけるが、そこで一踏ん張りするドラゴン。
あともう少し。
「えぇ…私だけですかぁ!」
サヴァさんがお腹目掛けて、突進する。微々たる攻撃だが、首を下げた。
だが、この高さなら十分だ。
「行くわよエリー」
「えぇ。最高に気持ちいい一撃を入れてあげるわぁ…」
ドラゴンの動きが止まり、石礫も止み、視界も晴れた。
地面が爆ぜるほどの勢いで跳び、ほぼ同時に打ち込む。私が左側に蹴りを入れ、右からエリーが拳を打ち込んだ。
「…ごめんね…」
かわいそうだけど、正気に戻さない事には被害が増える一方だ。小声で謝りを入れる。
ドラゴンが真上を向いて蹌踉めき、口を大きく開いた。そのまま倒れるのだろうと思ったら、口から吐瀉物を吐き出し、私とエリーはモロで被ってしまった。
「うえっ…汚なっ…」
「やーん。こんなとこでこんなプレイされるなんてぇっ!」
エリーだけはクネクネしながら嬉しそうにしている。
石礫が止んだ頃に来たのだろう。後ろからソフィア達の声が聞こえた。
「さっすが私のクリス。まさか倒しちゃうなんて」
「待ってください。あなたのではなく、私のクリスです。間違えないでください」
「うっさいわね。いいじゃない」
「落ち着けよ。しっかし、よく倒せたなこんなの」
「ふんふん」
テオドールたんは興奮して首を縦に振りまくっている。
「ちょっと! 何で来ちゃったのよ」
「クリスちゃんがそれ言うぅ?」
エリーから冷静なツッコミが入るが、知ったこっちゃない。
「いえ、落ち着いたので近づけるだろうと判断しました」
後で保護者に叱ってもらおう。私も叱られる予定だから。
喝采を浴びるのはいいけど、ある程度の距離から近づかないのはドラゴンの吐瀉物塗れだからだろう。
流石にどろどろになるのは嫌なんでしょう。匂いもちょっとあるしね。
『うっ』という感じの引きつった笑みで一定のラインで止まり、どうしようかと決めあぐねている。
そして何故がソフィアが携帯を取り出し撮影する。
「何やってんの?」
「同人誌で見るより興奮するなと思って」
変態め。はぁはぁ言いながら写真撮るんじゃないわよ、全く。ホントぶれないわね。
まぁ、もう一人変態のアーサーが、必死にスケッチブックに何かを描いている。
その瞬間、ドラゴンから眩しいほどの光が溢れたかと思うと、一瞬で青白い煙がボンっと吹き出した。
煙が晴れると、そこには可愛らしい小さなドラゴンが浮いていた。
「きゅー……」
そのまま自然落下するドラゴン。
うまく飛べないのか、このままの速度だと地面に落ちた時に痛いかもしれない。
自然とドラゴンに手を伸ばし抱きかかえていた。
「きゅきゅ〜」
重っ! そりゃああんな大きいのがこのサイズに凝縮してたらそりゃ重いか。
でもまぁ重さ的には子供と同じくらいの体重かな。……そう考えると質量保存の法則無視してるわね。
抱きかかえたドラゴンを見ると、青いおめめがくりくりしていて可愛い。さっきまでの凶暴そうな見た目と違って非常に愛くるしいデザインをしている。
そんなドラゴンもさっきまでのことは全然覚えていないのだろう。
「きゅ〜きゅ〜」
辺りを見回して首を傾げている。
「あの……クリス……」
「はい?」
「その子ドラゴン? と和気藹々としているところ悪いんだけど、自分の状態を確認した方がいいんじゃないかしら?」
今ドロドロになっているって事でしょ? 今更何を確認しろと……………………。
あら嫌だ。裸じゃない。
…………え? 裸? 何で? どういう事?
はっと顔を上げるとエリーも裸になっていた。
黒々とした肌が液体でヌラヌラとテカっている。
もしかして、この液体ってそういう感じのもの?
しかしそんな事よりも一番気になるのは……。
「そんな……クリスが………」
レオナルドが呆然とうわ言のように呟く。ある一点を凝視して…。
「……嘘だと言ってください……」
「レオ様……」
「……クリスが……クリスが……男だったなんて………」
まぁ、すっぽんぽんですからね。そりゃあ見えちゃいますよね。今はドラゴンを両腕で抱えているから、隠すことも出来ないし。
「あらぁん…。いつのまに真っ裸にぃ? これじゃあ私の隅々まで見られちゃうわぁ」
クネクネしながら身をよじるエリー。液体が辺りに飛ぶ。
しかし、誰もそんなエリーに突っ込むことは無く、ただ私とレオナルドのやりとりを見ていた。
そんな時、ファサッと何か布のようなものを掛けられた。
「全く…。レディが素肌を晒しているってのに、誰もが指をくわえて眺めてるんじゃないよ」
グレート様が布で私の裸体を覆い隠してくれた。
「まぁ、言いたいことはいろいろあるだろうが、後にしな。今はやることがあるだろう」
「そう……ですね……」
俯き暗い顔をするレオナルドの背中を軽く叩き、無言で慰めるウィリアム。
この日以降、学園に入学するまでレオナルドは私の前に現れなかった。




