74 クリスは提案する
レオナルドとダンスレッスンした後、レオナルドのメンヘラ感ある物言いにちょっとビクついてしまった。
いつもなら大して気にしないんだけど、気持ちも女の子に寄せられているのか、恐怖を感じてしまった。
お陰でパンツが少し湿っぽい気がする。
明日もレオナルドとのダンスレッスンをするとなったら是非とも遠慮したいところだ。
そんなレオナルドはと言うと、仕事があるので戻らないといけないと言っていた。
そして、時間を作るのでまたダンスしましょうと言って去っていったのだった。
ぶっちゃけると、もうやりたくない。
ヴィサージュさん曰く、もう王妃教育で教える事はない。教えるとしたら、男と男の熱い友情くらいですと言っていたので、丁重にお断りをした。
しかし、やる事がないなと思っていたら、またぞろノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
ヴィサージュさんがすぐに返事をした。
入ってきたのは、薄い頭が特長のマックスさんだ。
「あれ、エテルナ様はこちらにいらしてませんでしたでしょうか?」
「先ほど出て行かれましたが、どうかしましたか?」
「いえ、仕事が立て込んでいまして…」
冬なのに、汗を薄っすらかいて疲れ切っているマックスさん。
「ところで、こちらでは何を…」
「クリス様へ王妃教育をしておりました。もう教える事は無いんですけどね」
「そんなに優秀だったのですか……………あ、そうだ」
渡りに船と言った顔をしたマックスさん。嫌な予感しかしない。
「なるほどなるほど。王妃教育とは次代の王妃様を育成する事。即ち、エテルナ様の仕事を覚える事も王妃教育なのでは?」
「あっ…」
忘れてたみたいな感じのリアクションをとるヴィサージュさん。そのまま忘れていれば良かったのに。
「どうか、我々の仕事を手伝ってはくれませぬか?」
私に拒否権なんてないんだろうなぁ。
というか、私国家運営に口を出すつもりないんだけど? どこまでやらせようって言うの?
「頑張ってください。応援してます」と言う言葉と共にあっさり身売りされた私は、侍従室と書かれた部屋へ通された。
入った瞬間、冬だと言うのにムワッとした熱気が一気に廊下へ吹き出した。それと同時にいくつかの書類が宙を舞っていた。
部屋の中にはうず高く積まれた書類が所狭しと置いてあった。
「あの…これは?」
「これは、各関係部署から上がってきた報告書や稟議書などで、これを精査して可否を決めるのですが、どうも人出が足らなくて…」
部屋の中には二人の男性しかいなかった。
「他にはいないんですか?」
「私を含めて三人です。向こうのタワシみたいな髪の方がセオドア。少し若いのがルドルフになります」
二人ともチラと見て、軽く会釈しただけだった。
「こちらはクリス嬢。レオナルド殿下の婚約者だそうで…」
言い終わる前に、二人とも顔色を変えて、一気に立ち上がり、頭が足につきそうなくらい頭を下げた。
「あ…あの…。大丈夫ですから、頭を上げてください」
「いいえっ! 未来の上司たるクリス様になんたるご無礼。誠に申し訳ございませんっ!」
「知らぬとはいえ、とんだご無礼を! ここに退職届がありますので、これで何卒!」
「おいバカ止めろ! いや、今の止めろは辞めろって事じゃなくて…あぁもう辞められたら仕事にならんだろ。しまえしまえ!」
随分と賑やかな職場だな。まぁ、ここにいれば暫くは安全に過ごせるかな?
「こんな事を聞くのは失礼だと思いますが、こんなに小さな子に仕事が出来るんですか?」
「クリス嬢はな、たった二週間で王妃教育を終えられた方だ。優秀じゃない訳がないだろう」
その言葉に二人が衝撃を受け、ひれ伏す。
「期待してます」「どうか助けてください」
事態は結構急を要するのかもしれない。
「では、あちらの塔から手を付けてください」
うず高く積み上げられた書類を塔と表現したぞこの人。相当参ってるんだろうな。
まぁ、社会人経験豊富な私が一肌脱ぎましょうかね。
その日の夕方。
これはやばいかもしれない。
書類がまとまってない。関係ないものが混ざっていたり、過去のものが重複していたりして効率が悪い。
それでも、二塔分の書類を片付けたのだが、私が決裁を下していいんだろうか?
もう定時を回っているのに、一向に帰る気配がない。
「あの…帰らないんですか?」
「逆に聞きますけど、帰れると思います?」
やっている最中にも他の部署から運び込まれる書類。それも空いてるところに勝手に置かれていくので、どんどん混ざっていく。
ここだけやってもダメね。これは、関係各所ひっくるめて改革しないといけないんじゃないかしら?
でも今日はもう遅いから明日から始めましょう。
おんなじ姿勢だったから、首や肩、腰にふくらはぎと疲れが溜まってる。
「だらだらやっても能率が悪いですし、ちゃんと休まないとダメですよ? メリハリをつけないと、ミスも連発しやすくなりますし、何よりずっと残ってると心証が悪くなりますからね」
「でも、終わらないと他に影響が…」
「こんなの終わるわけないでしょう。まともに纏められてないこんな資料でどう判断しろと…」
「だよな」「やっぱ分かっちゃうか」「俺も前からそう思ってた」
三者三様に反応しているけど、分かっているなら変えないと。まぁ、普通に仕事してると、後回しになって、そう簡単に変えられるわけないのよね。
でもまぁ、外様の私が言えば、反感は買うけど変えられるかもしれないわね。
「私にいい考えがあるの」
こんなブラックな職場は早々に改善するに限るわ。
しかし、王妃様もよくこの状態を放置していたな。
「王妃様はこの状況をどう思ってるんです?」
「聞いた事ないけど、夜遅くまでやっているなぁ」
「なるほど。それは良くないですね」
まずは王妃様の意識改革もしないといけないわね。
無理矢理に三人を帰し、王妃様を待つ。
三人とも明日の事ばっかり言って中々帰ろうとしないんだもの。喋るだけで解決するなら、そんな楽な事はないのにね。
この世界で残業代なんてまともに出る訳ないんだから、無理して残る必要なんてないと思うのよね。
そんな事を暫く考えていると、社畜みたいな顔をした王妃様がやってきた。
「王妃様」
「あら、クリスちゃん。こんなところでどうしたの? 道に迷ったのかしら?」
「いえ、今日からこちらでお仕事を手伝っていたのですが…」
「あらぁ…助かるわぁ。でも、見たから分かると思うけど、とてもクリスちゃんにはお願いできないわぁ」
「ですから、改革を提案いたします」
「改革?」
「えぇ。まだ、全部を把握できていませんが、ざっと見たところ、書類の作り方がなっていません。また、計算も間違ってる。古い情報と新しい情報が混在している。解決済みの案件が紛れ込んでいるなどなど、いくらでも問題点を挙げられますが……」
「耳が痛いわ…」
正直、まだ一割も話せてないのだが、話が進まないので割愛する。
「そこで思ったのですが、各部署毎に少し権限を委譲してはどうですか?」
「え?」
「各部署には役職者がいますが、その方がいてもいなくてもいい状態になっているのはおかしいです」
それぞれの部署の人が、その部署で纏めないでそのまま案件を持ってきているのよね。よく今まで回っていたなと感心する。
まぁ、実際には回ってないんだろうけどね。今日下の方から引っ張り出したのは、一昨年の案件だったし。
「まず、その部署の長が纏めてから持って来るだけで変わりますよ?」
「あぁ…そう…よね」
王妃様も思う所があったんだろう。
「よくこの短時間でそこまで見抜いたわね」
まぁ元会社員ですし、その頃の仕事のやり方を提案してるだけなんですよね。普通に常識だと思ったけど、こっちの世界じゃそこまで普及してないのね。
出来る人に押し付けると、その人の負担が大変になるし、その人が潰れたり逃げたりしたら、誰も対応出来なくなっちゃうからね。あとは潰れるのを待つだけよ。
なるべく優秀な人には残ってもらうようにしないといけないと思うのよね。待遇とか給料とかね。
まぁ、口だけの手柄だけ奪ってくタイプの上司がいないだけマシよね。
「とりあえず、一週間で成果をあげてみせますが、どうします?」
「クリスちゃんって何者なの? …あ、いや…今はそんな事言ってる場合じゃないわね。いいわ、その提案乗ってあげる。どうすればいいのかしら?」
この時の私は、物凄く不適な笑顔をしていたかもしれない。
自分でも不思議だけど楽しくなってしまったんだもの。
久しく忘れていたけど、あの時の私って結構バリバリ働いてたのよね。
女装用の衣装やコスメを買うのに結構頑張ってたわ。まぁ、プライベート優先するのに、結構無理しちゃったんだけどね。でも、それなりの役職になったから、職場環境の改善とか色々出来たのよね。
思い出したら懐かしくなってきちゃった。
あの時と違うのは邪魔する頭でっかちがいないから、スムーズに事が運びそうね。
「では、まずは……」
*
私の提案に目を輝かせて受け入れ、時には否定し、対案を出す王妃様との打ち合わせが楽しくなってしまって、気づけば日を跨ぐ手前まで話し込んでしまった。
まぁ後半は仕事の話じゃないんだけど、寧ろそっちが盛り上がってこんな時間になってしまった。
こんな時間だとメアリーは既に寝ているか、或いは起きていた場合には怒られるかもしれないと考えながら客室へ入ると、意外な事にメアリーはいなかった。
どこかに隠れているかもしれないと、お風呂やベッドの下、天井にクローゼットの中を探すが見当たらない。
そもそも、この部屋に滞在してた痕跡がない。
まぁ猫みたいな生き物だから、そのうちひょっこり戻って来るでしょう。
あのメアリーが黙って何処かに行くと言う事は今まで無かったので、何処かにメモかなにか置いてないかなと探すが見当たらなかった。
「メアリー…」
呼びかけるが応答はなかった。
そして一週間経ってもメアリーは戻ってこなかったのだった。




