73 番外編5 ジェームズとレイチェル⑤
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オパールレイン領に着く頃には、すっかり土砂降りになっていた。
この土砂降りのせいで到着が少し遅くなってしまった。
マントを羽織ってるだけなので、腕から先と、足は完全に濡れていた。
しかも、この雨のせいで土はぬかるみ、馬車の跡は途中から無くなっていたので、屋敷に向かったのか港に向かったのか判別が出来なかった。
この人数で部隊を半分にするのは躊躇われたので、三分の一を港へ向かわせた。
この悪天候では、船を出せば命を危険に晒す。一旦どこかに隠れてやり過ごすはずだ。であれば、協力者と思しきオパールレイン家の屋敷に身を寄せているのではないと思ったのだ。
到着してみれば、思った通り、数台の馬車が屋敷の玄関前に止まっていた。
馬が繋がれたままということは、着いてまだ間もないのだろう。
屋敷の外に馬を繋ぎ、四方から潜入を試みる。
俺たちはいいが、レイチェル達は大丈夫なんだろうか?
「レイチェル。門を超えられるか?」
「そのくらい、訓練でいくらでもやっている。鎧を着ていない分、いつもより身軽だぞ」
「そうか。それは頼もしいな」
それでは、八つの部隊に分割し、それぞれ二箇所ずつ潜入することにする。
堂々と門から入るわけにはいかないからな。
しかし、この時既に手遅れだったことに気づいたのは屋敷に入ってすぐだった。
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「やられたな…」
屋敷に入ると明かりは無く、いつの間にか鳴り響いていた雷が窓越しに屋敷を気まぐれに照らすだけだ。
屋敷のエントランスホールには、件の騎士の亡骸がそこら中に倒れている。
ロクに反撃も出来なかったのか、間抜けな顔で死んでいる。
奥の部屋へ通じる道の途中には、何人かの使用人が争ったような跡と共に倒れている。あの騎士達よりよっぽど腕が立ったのだろうが、死んでしまっては元も子もない。
二階に上がると、やっぱりそこにも使用人の亡骸が倒れていた。
使用人と言っているが、全員が腕の立つ裏側の人間だ。オパールレイン家の密偵が弱いはずがない。
それをこうも全員を切り捨てるとなると、相当な手練れだと予想される。
これは対峙したらただでは済まないなと、気を引き締めて歩みを進める。
そういえば、レイチェルがやたら静かだなと思ったので、レイチェルの方を見ると、険しい顔をしていた。
役職を奪われたとしても、一応仲間の騎士という認識だったのだろう。そして、他の人間の亡骸も沢山見ている。
いくら騎士団の隊長とはいえ、メンタルにきているんじゃないだろうか。
「大丈夫か? 気分が悪そうだが…」
「あ、あぁ。そうだな。あまりいい気分ではないな」
まぁ、王族警護だったなら見る機会も殆ど無いんだろう。あそこは有事の際なんて無いに等しいからな。
「無理しなくていいぞ」
「いや、大丈夫だ」
大丈夫そうには見えないけどな。
「無理そうなら言えよ?」
「すまないな」
そのまま二階の廊下を進んでいくと、段々と死体の数が増え、壁や廊下に傷や血の跡が増えていく。
そしてある部屋の前でそれが途切れていた。
この部屋に何かあるのだろう。扉の前で仁王立ちで絶命している執事服の男には申し訳ないが、ここを通らせてもらおう。
そのまま、男の亡骸を横へ倒し、襲われてもいいように武器を構えて扉を開いた。
扉を開けると、そこには探していたはずのオパールレイン夫妻の亡骸が横たわっていた。
部屋の中には夥しい量の血の跡がある。
その部屋の隅にはここまで辿り着いたであろう賊の亡骸が数体バラバラになっていた。
ここに散らばる賊を倒したのはこの二人なんだろうが、この二人を倒したであろう賊の姿が無かった。
割れて雨が吹き込む窓に一本太い血の跡が続いていた。
そして、数の合わない腕が一本落ちていた。
この状況を見るに、既に遅きに失したのだろう。
今から港に向かって間に合うだろうか?
そう思っていたら、どこからか子供の……、いや赤ん坊の泣き声が聞こえた。
レイチェルと顔を見合わせ、黙って部屋を出ると、死体の途切れた通路の奥から聞こえる。
「もしかして、この奥にレオン様が!」
「可能性としてはあるな」
俺とレイチェルは足早にその声の方へ向かったのだった。
*
向かった先には別口から侵入した俺の部下とレイチェルの部下が数人待っていた。
「中は確認したのか?」
「いえ、まだです」
「そうか…」
俺はレイチェルの方を一度見てから扉を開けた。
開けるとそこにレオン王子の姿は無く、代わりに二、三歳くらいの子供と、生まれて何ヶ月か経ったであろう赤ん坊がいた。
二人ともベッドの上で眠っている。
「ここではなかったのか…」
呆然と寝ている子供を見下ろしていると、扉から誰かが入ってくる気配がした。
悠然と歩いてくるやつなんて一人しかいない。
振り返ると、なんとも言えない顔をしたブライアンがいた。
「どうやら、遅かったようだね」
「そのようです」
今回は完全に俺の負けだ。
最近、いろいろな心境の変化があった。それによって仕事の勘が鈍ったのかもしれない。
でも、隣で寝ている子供を愛おしそうに見つめるレイチェルを見ると、それでもいいかなと思ってしまった。
そんな時、廊下の方から走ってくる音が聞こえた。
その音の主は、この部屋に入ると、ブライアンに素早く頭を下げ、報告を始めた。
「失礼します! 港へ向かった隊からの報告ですが、一隻の船が荒天の海を出港したとのことです。また、その他の船は全て破壊されており、複数の人間の遺体を確認しました」
俺は天井を見上げ呻いた。
「そうか。報告ご苦労」
ブライアンの言葉と共に後ろに下がる部下。
こんな嵐の中無事に逃げることが出来るのだろうか? そこまでして王子を連れて行かなければならなかったのだろうか。疑問が残る。もしかしたら、陽動だった可能性もある。あとは、他のエリアを捜索中の仲間に賭けるしかない。
「レオン様……」
レイチェルは力なくその場に頽れてしまった。
結局エテルナ様の希望には応えられなかったのだ。それも一番最悪の結果で。
しかし、一つ不思議なのは、オパールレイン家がどっち側だったのかということだ。
裏切っていたのかもしれないし、最初に気づいて動いていたところを全滅させられた可能性もあるが、誰一人生き残っていない現状では判断がつかない。
いや、子供が二人生き残っていたか。
この子たちはどうなるんだろうな。そう思って再度子供達を見た。
「オパールレインの者たちに関しては残念としか言いようがない」
その残念はどっちの意味なんだろうか?
俺もレイチェルもブライアンの方を見る。
二人の視線を確認したブライアンは続けるように話す。
「その子たちはオパールレイン家の血を引く生き残りだ。そこで、どうだろう? その子達が家を、私の仕事を出来るようになるまで君たち二人が親になってはどうだろうか?」
こいつは一体何を言っているんだ? 親? この俺が? 家族の存在を知らず、親の顔さえ知らないこの俺に親になれと。とんだ冗談だ。頭がどうかなっちまったんじゃないか?
「あの、仰ってる意味がよく分からないのですが…」
レイチェルも考えあぐねているようだ。
「何、簡単なことだろう。君たち二人は好き合っているじゃないか」
「いや、まぁ…」「む…それは、そうだが……」
「素直じゃないねぇ。では、はっきり言おう。オパールレイン家の当主夫妻が亡くなり、使用人たちも亡くなった。君たち二人には新たなオパールレイン家の当主夫妻を演じてほしい。勿論、君たち二人の部下を全員使用人として雇用すればいい。まぁ、私としてはそのまま本当に家族になってもらった方がいいんだがね」
「何故俺なんです?」
「丁度都合がいいことに、君の髪の色と瞳は彼らと同じ色をしているからね。そうそう同じ人間はいないよ。それにレイチェル嬢の部隊は愚王に解任させられてしまったじゃないか。行くとこもないんだろう?」
「ですが、エテルナ様は…」
「ふむ…。確かにフォローが必要だ。君が伯爵夫人となって、エテルナの元に通ってくれれば、彼女も少しは落ち着くかもしれないな」
「それならば、メイドでいいじゃないですか。私が護衛兼メイドをします」
「それでもいいんだけどね。でもね、君には向かないよ」
「なぜですっ!」
「我々の事を知ってしまったからね。君にも私達の仕事を手伝ってもらいたいからね」
「では、いったい誰がエテルナ様を護るというのです」
「僭越ながら、私がその役目を引き受けましょう」
唐突に隅から声が聞こえた。暗闇からスッと現れたのはレイチェルの部下のシグマだった。
「そうだね。彼女に護衛兼連絡員となってもらおうか。それに彼女ならエテルナをちゃんと叱ってくれそうだしね。他にも何人かお願いしよう」
「シグマいいのか?」
「いいんですよ。あそこを知り尽くしているのは私以外にいますか?」
「いないな……」
なんだろう。巧くブライアンに乗せられている気がする。全て謀ったかのように。
こうなることが予定調和だったかのようだ。
もしかして、レオン様の失踪もオパールレイン家の全滅もブライアンが仕組んだことなんじゃないかと勘ぐってしまう。
「ジェームズクン。オパールレイン家の人間が亡くなっているということに気づいているのは私たちだけなんだよ。つまり、まだ他の貴族や国民には気付かれていないんだよ。襲った輩にも、オパールレイン家が健在だと示す必要があるんだよ」
「俺は貴族の真似事なんて出来ませんよ?」
「大丈夫だ。ちゃんと教えるよ。いや、嫌でも覚えてもらおう。これは君への新しい任務だよ」
「任務?」
「そうだ。唯一の港を持つこの領地を、今後こういったことが起きないよう見張っていてくれればいい」
「……。わかりましたよ。ただ領地経営なんて上手くできるか分かりませんよ」
「私も自信がない…」
「………まぁ、そこは頑張ってくれたまえ」
最後は随分と投げやりになったな。
俺が貴族になるとはね。それもレイチェルと一緒に。この気持ちはなんだろうね。言葉には言い表せない感情が胸の奥で蠢いている気がする。
「レオン様に関してはこっちで調査を続けるし、エテルナも私がフォローするから、君たちは家族になったらいい」
その言葉に俺とレイチェルはただ頷くことしか出来なかった。
そして、俺とレイチェルの部下達もなんとも言えない表情をしていたのだった。
窓の外を見ると、いつの間にか雨は止んでいて雲の切れ間から光が差し込んでいた。
レイチェルとシグマが赤子と子供を抱いて、部屋を出て行った。
部屋の中には俺とブライアンの二人だけだ。
「本当はどこまで知っているんです?」
「いや、何もわからんよ。ただ、君たち二人がいつの間にかいい関係になっているなと思ってね、言い方は悪いがいい機会だと思ったんだよ」
人が死んでるのにいい機会とか、やっぱ頭おかしいな。
「家名にレインが付くだろう? 君の大嫌いな雨だ」
「………」
「雨上がりにはいつだって虹が上がるもんだ。ほら、あそこに虹が見えるだろう。まさに前途多難な君の未来のようだね。あんなにもいろんな色がある。君の未来はどうなんだろうね?」
人の人生を勝手に前途多難だと決めつけないで惜しい。
「オパールはいろんな色に輝けるんだ。それこそ君の好きな虹色にだってね。まさに君にピッタリな家名じゃないか」
そう言われると悪い気はしない。
「頑張って守りたまえよ」
何をとは聞けなかった。そんなもん言われなくても分かってる。
だから、せめて今だけは不格好でも笑っていようと思う。
「ぶすっとしているより、そうして笑っている方がいいぞ。笑う門には福来るって言うしな。笑ってれば大抵なんとかなるもんだ」
そんなよく分からない事をブライアンは言って、俺の肩をポンと叩いて部屋を出て行った。
再度窓から見た虹は今まで見た中で一番キラキラしていた。




