72 番外編5 ジェームズとレイチェル④
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怪しい物音の無いまま、朝を迎えた。
こんだけぐっすり寝たんだ。少しは気も晴れただろう。
ぐーっと腕と足を伸ばして起きたレイチェルは、普段と違う部屋で戸惑っていたが、俺を見た途端狼狽え始めた。
「も、もしかしてやったのか?」
「やってないし、手も出してない。安心しろ」
「何故手を出さんのだ?」
「すまん。言ってる意味がわからないんだが?」
「むぅ…。なんでもない。というか、君はもしかしてずっと起きていたのか?」
「ん? まぁな。……いや、少しだけ目を瞑っていたよ」
「なんかすまないな」
「いいさ。慣れてる。それよりも腹減ってるだろ? 昨日ろくに食べずに酔い潰れたからな。何か食べに行こう」
実際、最初の酒以外ほとんど口にしてないだろう。空きっ腹に酒は体に良くないからな。
朝食をとり、レイチェルと二人で街をブラブラした後、自然と足は王城の門の前に向いていた。
警護の任を解除され、暇になったのに随分と律儀なもんだ。
正午を過ぎた頃、城の門の前に着くと、朝まで見えていた青空はいつの間にか、重苦しい鉛色の雲に覆われていた。いつ雨が降ってもおかしくない空模様だ。
雨が降らなければいいなと思いながら、城門の前まで歩いて行くと、ここからでも分かるくらい、いつも以上に城の方が騒がしかった。
何かあったのかと門の前で貧乏ゆすりをしていた門番に尋ねた。
「おい、騒がしいがどうしたんだ?」
「何だ貴様は! 今は一般人にかまっている暇はないんだ」
何回もここを通ってるんだがな。仕事の都合とはいえ、ここまで顔を覚えられてないとちょっと凹むな。
「あぁ、すまない。私だ。何があったんだ?」
「あんたもか? 誰だ………って、えええええええええっ! れ、れれれ、レイチェル隊長! こ、これはとんだご無礼を。申し訳ございません。普段とあまりに違いすぎるもので……、その。とても…綺麗です……。あ、あの、この後私と………」
「そういうのはいいから、何があったか教えてくれないか?」
「はっ! レオン様が行方不明になりましたっ!」
なんだと? そのレオンってのはもしかして王子か? でないとこんなに騒ぎにならないか…。
「な、なんだと…そんな……」
横を見ると、レイチェルが顔を真っ青にしている。立っているだけでもやっとのように見える。
「おい、大丈夫か?」
「あぁ。そんなことより、まずは王妃様の元へ行かねば…」
そうだな。ただ、この格好で行くと門前払いされる可能性があるな。
「まずは、会っても問題ない服装に着替えた方がいいが…」
「その必要はないよ」
門番が、また知らない奴が来たよって顔をしている。
振り返ると、今一番会いたくない奴に会ってしまった。
「そんな顔しないでよ、ジェームズクン?」
「どうしてあんなたがここにいるんだ」
「国家の一大事に動かないでどうする」
相変わらず余裕綽々な態度だ。ホント憎たらしい。
そんなボスことブライアンは、レイチェルを見ると、紳士の礼をとり、レイチェルの手をとってキスしやがった。俺だってまだしたことないのにこいつは…。
「いやぁ、すまない。美しい女性を見るとどうしても、ね」
「はわわわわわ…」
こういうことに免疫がないのだろう。顔を真っ赤にさせてあわあわとしている。
そしてそれを羨ましそうに眺める門番。お前は前を向いて仕事をしていろ。
「こんなところで立ち話もなんだ。案内しよう」
俺とレイチェルはブライアンに言われるがまま、後ろをついていった。
あんだけ騒がしかった城の中には誰一人として人がいなかった。いや、人はいるんだろう。遠くの方で喧噪が聞こえる。ただ、ブライアンの進む方向には誰もいないのだ。
そして、誰に会う事もなく、スムーズに王妃様の私室の前に到着した。
勿論、本来いるべきはずの護衛すら扉の前にはいなかった。
俺もレイチェルもただただ、面を食らうだけだった。
そんな事に全く疑問を持った様子のないブライアンは、コンコンと軽く扉を叩くと、返事もないうちに扉を開けて中へ入って行ってしまった。
俺とレイチェルは互いに顔を見合わせ、真顔のまま中へ入って行った。
「やぁ、エテルナ。大変だったね」
まさかの王妃様を呼び捨て。という事は…。
「お兄様……」
マジか…。それ以外の言葉が出てこない。
王妃様は憔悴仕切った顔で、椅子に項垂れながら座っていた。
さっきまで泣いていたのだろう。目元は真っ赤に泣き腫らしていた。
「エテルナ……、何があったのか話してくれるかい?」
「……はい」
王妃様が言うには、今日は息子のレオン様と王都の大聖堂へ向かう日だった事。
大聖堂で7歳になるレオン様の儀式を行う予定だったそうだが、いつもはレイチェル含め近衛騎士がいるはずなのに、前日に解任され知らない騎士達が付いて行く事になった事。国王に問いただしても『お前のため』としか言わなかった事。
大聖堂の儀式の間にレオン様が入った後、一向に出てくる気配がなかった事。
その後、教皇と一部の騎士、そしてレオン様が行方不明になったが、付いていった騎士は全員が慌てる様子がなく、ましてや捜索する事さえなかったという。
そして無理矢理に王妃様だけを城へ戻したのだそうだ。
それを聞いた国王は、慌てふた向き、城の人間全員に捜索を命じたのだそうだ。
「あの凡愚が…。簡単に人の意見に流されて取り返しのつかない事をしたな」
珍しくブライアンが怒りを露わにしている。ただ、静かに、感情を出来るだけ抑え、低い声で呟いた。
「エテルナ、後は私に任せてくれないか?」
「お兄様……。はい……」
「それでは、何人か人を寄こそう」
ドアの開いた気配が全くなかったが、いつの間にか三人、部屋の中に入っているのに気づいた。
「うちのメイドをつけるから、何かあれば彼女達に伝えてくれ。では、失礼するよ」
そう言って踵を返したブライアンにメイド三人は深く頭を垂れていた。
部屋の外に出ると、ブライアンは軽く頭を下げ、そのままチラッとこっちを見ると、クルッと回転し、一気に俺を見据えた。見据える時、軽く跳ねるように視線の位置を調整するのは癖なんだろうな。メガネを掛けて紅茶の入ったティーカップを持たせたら似合いそうだなと、ふいに思った。
「君が昨日報告していれば、もう少しマシな手が打てたと思うんだが、どうだろうか?」
「そんな事言われても、ただの政争争いだろとしか思わなかったからな」
「まぁ、今は君を責めても仕方ない。事は一刻を争うからね。かわいい私の甥っ子だ。何としても見つけ出すのだ」
「そうですね…」
恐らくこれはレオン様を狙った誘拐だろう。しかも身代金目的じゃない。レオン様自身が目的の。
となれば、すぐにでも場所を移したいはずだ。
「居なくなったのは確か、十時過ぎでしたよね」
「そう言っていたな」
大体二時間半経っている。王都から直ぐにでも離れるとしてどこに向かうだろうか。国内の反対勢力の貴族の領地か、或いは……。
ブライアンをチラと見ると、余裕の表情を崩していない。俺が答えを言い当てるのを待っているんだろう。
レイチェルを見ると、レイチェルはレイチェルで顎に手をやって考えている。
考えている姿も絵になるな。なんて考えていると、ブライアンが軽く咳払いをした。はいはい。分かってますよ。
反対勢力は大体が北東部と東部に多いが、どれも王都からは離れすぎている。
到着するには大体一週間以上かかる。
今から騎士団を掻き集めて向かわせればあっという間に追いつくだろうし、ブライアンの部下なら既に向かっているだろう。
それに、きっと馬車での移動だからそんなに早くは移動できない。
頭の中で地図を思い出す。
何か見落としている気がする。
王都は南西よりの場所に位置している。南西には、この国唯一の港がある。
「!」
「何か気づいたようだな」
陸路では時間がかかりすぎるが、港から海に出れば簡単に逃げられてしまう。それも何処へ逃げたかなんて分からなくなる。
ここから三時間くらいあれば確かに着くだろう。
「もしかして、オパールレイン領……。しかし、そんなはずは…」
オパールレイン家は、ブライアンの家門、ブラックダイアモンド家に仕え、この国の南部を護る家だったはず。ありえない。ありえないのだが、ここ最近会った記憶がない。他の三家はつい最近、情報の交換で会っていたが…。
「恐らく、君の考えで会っているよ」
「そういえば、今の教皇はオパールレイン領出身のカッパーヘッドという男だったはず…。でも就任したのはつい最近だったはずだが…」
レイチェルが補足するように教皇の情報を告げた。
その教皇もそうだし、間抜けな貴族も事を急いていたらしい。しかし、逆に情報が少なかったせいか、こっちが振り回されているのが現状だ。
「とにかく、オパールレイン領へ向かいます。馬を借りれますかね?」
「門の前に手配しているよ。部下も待っているはずだ。急ぎたまえ」
随分と手際が良すぎる気もする。正直黒幕なんじゃないかと疑っているが、態々王子誘拐を企てるだろうか? そんなことをするメリットが無さすぎる。
「私は、少しやることがあるから、先に向かってくれ。後から行くよ」
「了解」
「待ってくれ! 私も行く」
「レイチェルが?」
「元々と言えば、私が護衛するはずだった任務だ。無理にでも付いていればこんな事には……」
「お前のせいじゃないよ」
「いいじゃないか。もし、戦闘になったらジェームズクンじゃ無理だろう? ここは腕の立つものを一人でも多く連れて行ったほうがいい」
なるほど。そういう考えもできるか。しかし、俺たちは裏の世界の人間だ。表の人間を引きづりこんでいいのだろうか。
「ジェームズ頼む。エテルナ様をこれ以上悲しませたくないんだ」
「分かったよ。ここで話し合っても仕方ない。行くぞ」
「あぁ」
そうして俺とレイチェルは、振り返ることなくその場を後にし、城門へと向かったのだった。
城門へ到着すると、いつの間にか俺の部下たちが揃っていた。
「待ってましたよ隊長」「いつでも向かえます」「デート残念でしたね」
聞くところによると、俺が指示を出したことになっていた。ブライアンめ…。
まぁ、それはいいのだが、何故か、レイチェルの部下たちもその場にいたのだった。
「行くんですよねー」「話は聞いています」「そんな顔しないで、いつもみたいに指示を出して下さい」
「お前たち……」
一瞬俯いて、顔を上げたレイチェルはいつもの凛々しい顔になっていた。
「行くぞお前達! レオン様を連れ戻すのだ!」
俺の部下もその言葉に答えるように雄叫びを上げる。お前達の隊長は俺だぞ?
空はいつの間にか落ちてきそうなほど重い鉛色をしていた。ポツポツと雨が一滴一滴頬や頭に当たる。
嫌な記憶が蘇る。いつだってこんな天気の時はロクな結末にならないんだ。




