71 番外編5 ジェームズとレイチェル③
*
そんなレイチェルがある日、俺を見つけるなり飛びついてきた。
「ちょっ!」
王城の通路で。そこまで人は多くないが、みんなこっちを見ている。
いくら俺が鍛えているからといっても、全身鎧を着た女性に飛びつかれたら、そりゃあ倒れるさ。
筋骨隆々な騎士団の男連中と比べたら、俺なんてもやしかアルファルファみたなもんだ。いつも日の当たらないところで仕事しているから肌も白いしな。
しかも、レイチェルが人目も憚らずに嗚咽混じりで泣いているのだから興味を惹かれないわけがない。
全く。こんな衆人環視の中心にいるのは公私ともにアウトなんだが、どうしようか。
今すぐにでもレイチェルを連れてこの場を離れたいが、重くて動かせない。
尤も、ここで『レイチェルが重い』なんて言ったら、俺は縦に真っ二つにされるだろうな。
「れ、レイチェル…、何があったか知らないが、ここは人が多い。話を聞くから、まずはその重い鎧をどかしてくれないか?」
「あ、あぁ、そうだな。すまない。私としたことが…」
抱きついた相手があの王妃様の近衛騎士団長レイチェルだと気付くと、顔を真っ青にして蜘蛛の子を散らすように消えていった。
普段の彼女はそんなに恐ろしいのだろうか? そんなことないと思うのだがね。
少し離れた人気のない通路まで移動し話を聞く。
「少し落ち着いたか?」
「あぁ…」
全然落ち着いてないな。もうこの世の終わりみたいな顔している。
「何があったか話してみろ」
「……ごにょごにょ…」
ダメだ。全然聞き取れない。こんな彼女は初めてだ。どうするかな。
「おい、飲みに行こう」
「え?」
「そこで全部ブチまけろ。全部聞いてやるし、俺が全部持つから。どうせ、そんなんじゃ仕事にならないだろ」
「で、でも…」
「たまには息抜きしろ……。あーもうわかったよ。そこで待ってろ、俺が代わりに言っといてやるから」
歩き出すと、グイッと服を掴まれた。その衝撃で尻餅をついてしまう。
「いったっ! お前…」
「わ、私が言ってくる。それに、飲みに行くなら着替えないといけないし…」
まぁ、そうだな。そんな鎧着てガチャガチャされてちゃ余計注目を集めてしまうからな。
「分かった。それじゃ、一時間後に門の前で待ち合わせな? オーケー?」
「お、オーケー………」
俺も仕事を別のヤツに引き継がないといけないからな。ブライアンへの報告はしなくてもいいだろ。あいつムカつくしな。
仕事を仲間に引き継いで門の前へ行くと、予定の時間までまだ三十分以上はあるはずなのだが、既にレイチェルがいた。
「早いな。引き継ぎは大丈夫なのか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。それより、君も早いな」
「ん? まぁ、な」
しかし、普段鎧姿しか見ていかかったから、こうして違う格好をしていると不思議な感じがするな。とても女性らしい。
シンプルな白いブラウスにロング丈の藍色のスカート。スカートの種類なんて知らないからどんな名前なのか知らないが、意外と似合っている。それと、胸元に細めの藍色のリボンをつけている。意外と女性らしい。
ふむ。こうして見るとなかなか。いや、かなり美人だ。普段を知らない人が見たらどこぞのご令嬢がお忍びで街に出てきたと言われても信じてしまうだろう。
「へ、変じゃないだろうか?」
「あぁ、似合ってる」
「そ、そうか」
「あぁ、そういう格好もするんだなと思って、意外に思ってるよ」
「うっ……。そ、そうだよな…」
「ん?」
「これ、借り物なんだ。私は鎧以外、まともな服を持ってなくてな…」
「じゃ、まず服でも買いに行くか?」
「え! いや…、あの…」
グーとどこからか音がなった。
「飯先にするか」
「そ、そうだな」
しかし、女性と食事なんてどこに行けばいいのかね。それに相談ともなれば、洒落たとこじゃない方がレイチェルも話しやすいだろう。
*
「だがらぁ! わだじぃ ごんなにがんばっだのにいいいいっ! なんでぇええっ! どぼじてぇっ!」
こいつに酒を飲ましたのは失敗だった。
まさかこんなに酒に弱いとは思わなかった。
食前酒くらいの感覚で弱めの果実酒をチョイスしたんだが、まさか速攻で顔が真っ赤になるとは思わなかった。
そんなに強かったのかと自分も飲んでみたが、ほぼジュースじゃないか。
それからはもう、堰を切ったように次々と不満を漏らしていった。
まぁ、出るわ出るわ不満が。
まぁ、要約すると、今まで王妃様の近衛騎士を任されていたのに、大臣やら官僚やら王妃様に取り入りたい連中がレイチェル含め近衛騎士団を排除したかったらしい。
今までは王妃様がそんな意見を一蹴していたんだが、今回に限ってはアホの国王がそいつらの意見を承認してしまったんだな。
そんな奴等の息のかかった連中を新たな護衛騎士に選んだんだそうだ。
しかもその騎士達だが、どこから連れてきたのか王族警護と関係ない奴等らしい。
レイチェル曰く一度も見たことない奴等だそうだ。それに、王妃様の護衛は今までずっと女性が付いていたのに、今回就任したのは全員男性だそうだ。
で、レイチェル含む近衛騎士達は全員、その役割を外されたんだそうだ。
このタイミングでの変更は何か陰謀めいたものを感じたので、席の横を通ったやたらスカート丈の短いウエイトレスの格好をした仲間にそれとなく指示を出した。
さて、たった一杯でよっぱらったこの騎士団長様をどうしようかね。
「おい! 聞いてるかぁああっ? わだじだっで、フリフリィフワフワァな服、ぎだいにぎまってるじゃなかぁああ! 仕事なんだからぁ、じょぼがないじゃないがぁあっ! それをあの狸親父ぃ、なーにが『男っ気がないと服を着る発想がないんですねぇ』だぁっ!」
「あー、はいはい。わかったわかった。お前が正しいよ。仕事だもんな。鎧着てないといけないもんな」
「わがっでぐれるがぁあ? わだじぃ、ぐやじーいー…」
これいつまで続くんだろうな。悪酔いしてるんだが、酔い潰れないでくだを巻くめんどくさいタイプの酔っ払いだ。
更にレイチェルが言うには、レイチェルや他の女性騎士の存在が王妃様や王子の教育や環境に悪影響がある、と。
もうアホかと思うね。どうしても排除したいからってのは分かるが、もう少しまともな理由を考えるべきだと思う。
話を聞いてると、気に入らないから追い出す。代わりに自分の影響のある人物を送り込むという。まぁ、分かりやすいゲスだわ。
しかしなぁ、こればっかりは俺でもどうにもならんな。
その相手が不正やら犯罪をしているならともかく、現時点では、反対勢力を排除したにすぎないからな。俺の管轄外だわ。
力になってやりたいのは山々なんだが、どうしたもんかね。
椅子に背もたれがないから、腕を組んで上を向いて考えていると、先ほどのウエイトレスがテーブルにスッと紙を置いていった。
ずっとここの席を見ていない限り、今の動きは分からないだろう。それに賑やかな店だ。テーブルに間違ってモノが置かれても仕方のないことだ。
置かれた紙を開いて見てみる。
『調査完了』とだけ書かれていた。
もう少し、他の人が見ても分からないように書けとあれほど言ったんだがなぁ。
まぁいい。とりあえず、報告を受けようか。
「悪い、レイチェル。ちょっとトイレ行ってくるな」
「わだじをおいていがないでぇっ」
めんどくせぇ。
「大丈夫だから。すぐ戻るから、な? ほら、揚げた芋でも食べてなよ。美味いぞ?」
「うぅ…もしゃもしゃ」
これで数分くらいは大丈夫だろう。
トイレに行くふりをして、店の裏手に出る。
フードを目深に被った男から報告を受ける。
「なるほどねぇ。よくこの短時間で調べたな。シナバーレッド公爵に、オーピメントイエロー侯爵、カルカンサイトブルー侯爵と……他にもいくつかあるが、帝国の属国アマルガム共和国に隣接してるとこばっかりじゃないか。でも他にもいくつか散らばってるところがあるな」
「はい。ですが、どれも反体制派の貴族ばかりです」
「繋がりは確認できたのか?」
「現時点では見当たりません。そもそも、辛酸を舐めていた連中が主導権を握りたいと画策しただけの気もしますが…。お世辞にも頭のいい人達ではありませんよ」
「だよねぇ。どう考えてものせられてるだけな気もするけど、多分この中の一つが主導権を握ってそうだな」
「あとはこちらで調べますよ。隊長の折角のデートを邪魔しちゃ悪いですからね」
「おい!」
文句を言おうと思ったら、既に姿を消していた。
あれがデートに見えるんなら病院にいったほうがいいぞ。
レイチェルはただ、アホの貴族の政争に巻き込まれただけかな? 何はともあれ、あの酔っ払いをあのまま放置するのは危ないな。
俺は早々にレイチェルの元へ戻ったのだが……。
「寝てるな…」
酔って、泣いて、叫んで、疲れて眠ってる。
椅子に座って頬杖を付きながらレイチェルの寝顔を見ながら、残った料理と酒を片付けていった。
会計を済ませ、席に戻り、レイチェルを起こそうとするが、全然起きない。
これは困った。送るにしても彼女の家を知らない。
王城の寮住まいなのか、近くのアパート住みなのか分からない。
とはいえ、こんなところに置いていくわけにもいかないし、どうしたものか…。
頬を軽く叩いたり、抓ったりするが、全く起きる気配がない。
俺の家に連れていくわけにもいかない。あそこはただ寝るだけの場所で、埃っぽいカビの生えたベッドが置いてあるだけだ。そんなところに女性を寝かせるわけにはいかない。
俺は諦めて、近場のホテルへと彼女を運んだのだった。
一緒に寝るわけにもいかないからな。
レイチェルをベッドに寝かしたら、入り口の扉の横に座るように目を閉じた。
ここなら、扉からも窓からも賊が侵入しても対処しやすかった。
まぁ、襲いにくる奴がいるとも思えないが、用心に越したことはない。
こんな仕事をやっていると、敵ばっかり増えて困る。ま、そんな敵もみんな冷たい地面の下だがな。
目を開けると、レイチェルの髪色と同じ淡い金色の月が輝いていた。
月明かりに照らされて眠るレイチェルの横顔を見て、初めて月明かりがいい仕事をしたなと思った。




