72 エピローグ3 ブラックダイアモンド
* * *
「本当にジェームズクンは働き者だねぇ…」
とある執務室で椅子に深く座り、肘置きに肘を乗せ胸の前で指を交差している男は目を細めながら、柔らかく微笑む。しかし、一つも油断も隙もない。いつ誰に襲われても即座に対応出来るだろう。
無論、それを企むものがここまで来ることは実質不可能なのだが。
「好きでやっているんじゃないんですよ? 他にも優秀な者がいるでしょうに、なんで毎回私なんです?」
「それだけ、君を評価しているんだよ? もっと自信を持って誇ってもいいんだよ?」
本音とも建前とも判らない評価をする。この男は昔からそうだ。そうやってのらりくらり無理難題を吹っ掛けるんだ。勿論、出来ないものは容赦なく切り捨てるので、ここで彼と会話できる人間は限られている。
「それで、アンバーレイク公爵領はどうだったね?」
「えぇ、発展目覚ましいですが、王国に反旗を翻すとは到底思えません。公爵本人を見ての感想ですが…」
「それ以外は?」
「子供たちもその可能性は低そうですが、悪意を持ったものには利用されてしまう可能性もあるでしょうね。全てを見たわけではないのですが、あの技術は他国が喉から欲しがるでしょね。他国だけでなく他の領もですがね……」
「暴走する可能性は?」
「無いとは言い切れません」
「そうか。そしたら君たちが適切に対処してね」
簡単に言ってくれる。内心で悪態を吐きたいのをぐっと堪える。
今回は言うつもりはなかったが、この男の胃にダメージを与えるような報告もしておこう。
「一部、口を割った者がいますが、今回その中には北部。レッドベリルに近い領の者達が多いようです。現在、部下に潜入させていますので、近日中に、より詳細な報告が出来るかと」
「えぇ………」
眦を下げる程度しかダメージを与えられなかった様だ。
「レッドベリル……。旧東エメラルド帝国が絡んでると?」
「そこに接している領なので、そこまでは分かりません。ルビー帝国経由かもしれませんが、調べない事には分かりません」
「くっ…。じゃ、ジェームズクン!」
「お断りします。北部は私の管轄ではありません。それに、南部の私がウロウロしていたらおかしいでしょう?」
「ま、まぁ確かにね」
はぁ…。と深い溜め息をつく。
「分かったよ。あそこはアクアマリンウィールアイルクンに任せよう。元々北部は貧しいからね。こういうことが起こっても不思議じゃないんだよねぇ…」
さっきまでの様子と打って変わって調子を取り戻したのか、また余裕のある喋り方に戻ってしまった。
「まぁ、今回はそれに関しては別にいいんだよ。調べるのにも時間がかかるからね」
「………」
椅子を横に回し、交差した指を遊ばせる。
「君の息子。いや、娘と言った方がいいかな?」
「!」
「そう身構えないでよ。取って食おうってんじゃ無いんだから」
首だけをこっちに向けニヤリと笑う。
「何がお望みですか?」
「んー。そうだねぇ…。一応、我々は王国の暗部なわけじゃない? なのに第二王子の婚約者になってるじゃない? 随分と面白いことになってるなぁって思ってね」
「それに関しては、不可抗力です。一応、クリスには自力で解決しろとは言ってますが…」
「随分と突き放すねぇ…」
ニタニタと笑う。実に楽しそうだ。
「本当は、もう少し成長したら、例の作戦に使おうと思っていたんだよ? でも逆に都合がいいのかな? どう思う?」
「………」
「まぁ、使わなくて済むならそれに越したことはないよねぇ。別に使うにしても誰だっていいんだよ。忠誠心があれば、ね?」
「………」
再び、こっちに向き直り、さっきまでの厭らしい笑みではなく、嘘くさい笑みに変わっていた。
「随分と父親が板についてきたじゃないか。あれからもう十二年くらい経つのかな?」
「………」
「そんな怖い顔しないでよ。まぁいい報告期待してるよ、ジェームズクン?」
「かしこまりました…、ブラックダイアモンド大公閣下…」
「んー…。毎回その名前で言うけど、僕その名前大っ嫌いなんだよね。気軽にブライアンでいいんだよ?」
ブラックダイアモンド大公こと、前国王王弟令息。そして現カーボナード大公家当主、ブライアン・ボルツ・カーボナード大公は砕けた感じで命令する。勿論、それに従う気はない。
「失礼します」
そう言って、踵を返し、足早に部屋を後にする。
ここにいると、どうしても調子が狂ってしまう。
……いや、大公閣下の前にいる時はいつもそうだ。
自分がどうしたいのか全く分からなくなる気がする。反逆しようと思えばいつでも出来るが、そうしようとは全く思わない。何故か、粛々と従ってしまう自分に反吐が出る。今は少しでもあの人から離れたいと思った。
*
「ジェームズクンは、本当に堅いなぁ…。だから毎回いじめたくなっちゃうんだよねぇ。王族なんて替えは効くんだけど、国は違うからね。毎回、裏から手をまわすのは本当に骨が折れるよ」
ブライアンは独りごちる。
そして、誰もいなくなった部屋で執務机の一番下から一つの箱を取り出す。
箱の中にはクリスのフィギュアが入っていた。
それの足のあたりを摘み、目の前に掲げる。
「ふふ…。いつか会ってみたいねぇ…。ジェームズクンが頑なに会わそうとしないなんて、よっぽど実物は可愛いんだろうね」
いろんな角度からフィギュアを眺め堪能していると、男とも女とも若いとも老けてるとも判別のできない黒づくめの人物が、ブライアンに語りかける。
「随分と酔狂な趣味を始めたものですね?」
「バラスか……。ふふ…。気になっている人物の事を調べるのはいたって普通だと思うのだがね」
「本当にそれだけですかね? どうして下から覗いているんです?」
「こ、これはあれだ。そう、市場調査の一環で……。そう、どんな流行りなのかとか、どこまで精巧に造られているか調べる必要が……」
「ダウト。相変わらず演技が下手ですね。ジェームズさんを見習ったらどうです?」
「彼は、どれが素の自分かもう分からなくなってるんだよ。それより、お前は直接会ったんだろう? どうだったね?」
フィギュアを丁寧に机の上に置き、振り返りバラスと呼ばれる者の方へ向き直り、小首を傾げ、腹の前で手を組みかわし、問いかける。
何とか、威厳のある言葉使いをしようとするが、まだ砕けた感じになっている。
「えぇ、実物はとても可愛らしい方でした。主従を交換したいくらいには……」
「そうかそうか。それは良かった。では、例の噂を流しておいてくれ」
「そうやって自分のお気に入りに嫌がらせをするから嫌われるんですよ」
「何を言う。これは愛のムチだよ。ところで、お前の目から見てオパールレイン領はどうかな?」
「上手くやっていますね。一部、変な風習があること以外は…」
「そうか……。例の件が解決したら、隠居して移住したいなぁ」
ニコニコというよりデレデレに近い笑みを浮かべ、再びフィギュアの方に顔を向けるブライアン。
「そんなんだから、奥様に実家に帰られるんですよ?」
「おま…、それは言わない約束だろう?」
「一応、この件も奥様に報告させていただきます」
「ちょっ……」
振り返るが、既に部屋の中には自分以外の気配は無かった。
「………。まぁいいさ。私には関係の無いことだからね」
そう言って自分を慰めるように、フィギュアを机に腕組みして眺めるのだった。
「…ふふふ。いつか会ってみたいものだねぇ、今のクリストファー・オパールレインに」




