第1話 デスマーチは終わる
第1話 デスマーチは終わる
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美里薫 36歳
1年ほど前から異常に疲れやすくなりタバコを止めてみた。
ほどなくして腰痛が頻発し始める。
半年前からは食欲が減退し、前回の健康診断で89キロあった体重が60キロにまで落ちていた…これは異常だなと思い近所のクリニックで受診したところ、早急に大きな病院で精密検査をしてほしいと紹介状をもらった。
大きな病院で精密検査を受け、そしてつい先ほど検査の結果が告知された。
「膵臓癌です」
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「末期です」
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「余命2か月です」
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家族や親族が居ない為、本人へのド直球な余命宣告を受けた。
マジウケる。
草だ、草生えた、大草原だ、もう笑うしかない。
「膵臓癌は偶に自覚症状なく、ギリギリまで見つからない人いるんですよね」
淡々と説明された、今後の事とか色々と説明を受けたがもう頭に入っていかなかった。
「今後いちおう治療を行うか終末病棟へ入られるか等の対応も可能です、詳細は事務から説明致しますので待合室でお待ちください、以上です」
おい…少しは気を使え医者!
余命2ヶ月……か、実感は湧かないし、意外とこの世に未練も後悔もない。
そう言えばこの数年は仕事ばかりで趣味と言えるものもなく、休みの日はだいたい家の中に籠ってネット動画を見たりマンガ読むぐらいだった。
両親も3年前に他界し、学生時代の友人は年を追う毎に仕事や結婚で環境が変わったりして疎遠になっている。
30歳を過ぎた頃には300人規模の2流零細企業で働く、1人部署のサラリーマンSEである。
とは言え300人規模の会社でも1人でSEなんて、やることが多すぎて彼女を作る時間も気力もなくなっていた。
中規模で古臭い体質の同族企業、一族と役員のお気に入りだけが幅を利かせる建設関連の中受業者で、この時代に今だIT関連の予算がまともに組んでもらえず、使用しているシステムは骨董品。
そもそも入社当初は一般職だったはずが、パソコンができる人いる?レベルの話から始まってSEの勉強を自費でやらされ今に至る。日本企業のIT意識は破綻している。
そんな環境でシステムの維持、更新、管理、アップデート、社員のPC不正使用の監視や無能な政治家が行う思い付き政策の施行に対する仕様変更の対応、等々々々々々々と仕事の数々をたった一人でこなす孤独な作業。
増員の申請をしても、上司は仕事の重要性も内容も理解出来ず、数字で利益を出していない部署、特に問題が起こらず運用できているという無知な思い込みで「SEとか暇でしょ」と受け入れない老害上司に一蹴される、孤軍奮闘のデスマーチ生活であった。
SE業務なんて何も起こらない様に出来ているからこそ正しいのに、俺はなんやかんやで一人で全てを押し付けられ、必死にギリギリ耐えていた。
まぁ何度か補充員は入ったけどその度に数日で辞めてしまう様な部署ではある。
当然の様に日々、精神がゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリと削られる日々、その一人デスマーチの行き着く先が3年2ヶ月の孤独な・・・ではなく余命2か月の死刑宣告ときた。
色々考えた末、もうすぐ死ぬと思えば義理やら責任感やらはどうでもよくなり即日会社へ辞表を提出。
入社して以来、親の葬儀以外で使用した事がない有給休暇は、保有限度いっぱい溜まっている。
老害上司には「今まで雇ってやった恩はどうした!死ぬその瞬間まで会社へ御奉公して後進を育てきってから死ね!」と本気で言われてしまった。
この2年間で労基から2度の業務改善指導が入っている我が社は、今の台詞を録音していたぞと告げ、法的手段を口にした途端に手のひらクルー。
有休消化もあるため即日でお別れできてしまった。
翌日には人事課から連絡が入り、ちゃんと退職金まで出る事になったらしい。口止め料だろうか?どのみち余命2ヶ月だ、振り込まれるまでに生きているかは些か疑問が残る。
とは言え薄給で膨大な責任と過剰労働を断れない人間に押し付け、時代の進化には目を向ける事の出来なかった無能な経営陣の巣食う会社である、俺がいなくなる重みと自ら学びを放棄した結果が生み出す地獄をしっかりと味わってほしい。
置き土産に引継ぎ用にまとめたサーバー資料の表紙に『server maintenance chord:********** と password:**********』と書いた付箋を張り付け付箋の裏には「バルス!」と記載。
ちゃんとSEやている人間ならコードを見れば絶対引っかからんだろうトラップだが、定期メンテナンス時の全サーバー再起動時に間違って全サーバー初期化の事故が起こらなきゃいいね。
ついでに新たなデスマーチの犠牲者が生まれないように、ネット掲示板やら転職サイトには自分が味わった地獄絵図を詳細に書き込んでおいた。会社の人間が見れば瞬時に犯人の特定は可能だが、どうせ死ぬのだから問題ない。
あんな求人を見たら、まともな人材は応募なんかしてこないだろう。
外注さんなんか頼んだら俺の年俸の何十倍も請求される事を想像するとちょっと笑えて来る。
次に行ったのは終活だ。
病院の事務所では末期患者用に色々な資料をくれる。
天涯孤独の絶対死ぬ人間の場合、入院患者の死亡率を提げる為に入院していて欲しくないらしい。
市役所の民生課等で終末患者や孤独老人等が相談出来る窓口があったり、死後の荷物を整理をする業者さんやらもいるという。
サブスク関連は解約が難しいため早めに解約するように書いてある。本人以外では、たとえ本人が死んでいても第三者は簡単に解約出来ないサービスも多いらしいのだ。
そういった場合は死亡後に法的な口座凍結まで毎月引き落としがかかるらしい。
12年間世話になった賃貸アパートだったのだが、孤独死で迷惑をかけたくもないので思い切って今月いっぱいで解約を決め直ぐに不動産屋で手続きを行う。
人生の最後の期間、体の動く間は国内の旅行を行い体が重くなった時にはyoutubeで憧れていたキャンプ生活をして過ごし、眺めの良い自然の中で最期を終えようと決めた。
次に荷物整理に取り掛かる。
服や本、文房具や食品、小物や洗剤等々、実際初めて見ると想像しているよりも遥かに多く物がある。
余命宣告を受けると判るが、家の中にはもう使う事がないと確定した物が溢れている。
俺の場合は余命2ヶ月と判っているので選別する基準の一つになり、つまり2ヶ月間使わない物と持ち運べない物は廃棄確定である。
7月に入ったばかりの今、秋冬物は100%不要そして、家電製品や家具類も引き取り業者へ纏めて2tトラックに乗る分を纏めて9000円で引き取ると言う業者へ廃棄を依頼。
家電製品の一部は別料金が取られたのが腹立たしい。
電気、ガス、水道の解約も行い部屋を旅立つ準備が完了である。
手元に残したのは、お気に入りのアロハとジーパン2着にTシャツ2枚、数日分の下着と靴下に靴はkeenのメンズユニークツーOT、そして最後のテント生活用として防寒用の迷彩のフード付きジャンパー。
iPadとiphoneとAppleWatch、充電器と周辺部品。初給料で買った財布とキーホルダに普段使いしていた大きい手提げにも変わるCHROMEのバックパックだ。
貯金通帳を確認したところ使う暇がなかった為なのか結構な金額が入っており、2ヶ月どころか慎ましやかに暮らせば数年は余裕で暮らせる金額があった。
1週間後、家財整理がすべて完了し、退去日はまだ先であったが思い出深いアパートを退去した。
ホームレス生活の初日は、以前より興味があった本格的フィンランドサウナ付が併設されたお洒落タウンのお洒落カプセルホテルに宿泊を決めていた。
移動中にネットに繋がらない場所でも読めるようにiPadには購入済み書籍と音楽をダウンロードし、ついでに面白そうな電子書籍も数冊購入、更に旅のお供に懐メロとやアニソンも色々購入する。
その晩は食欲も無かった為、コンビニでコーヒーとサンドイッチを購入し軽く済ませる。
お洒落カプセルホテルのお洒落サウナを堪能するとその日は久々に深い眠りについた。
翌日の朝食は、宿泊したホテル近くのガーデンプレイスに隣接した高級ホテルのレストランでモーニングビュッフェと洒落こむ。
なんと高級なホテルのビュッフェでは目の前でオムレツを作ってくれたりハムを切り分けてくれたりするのだ。
しかもオムレツは焼き具合や具材なども選べる、野菜は冷凍ミックスベジタブルではないのだ!
しかし、虚弱な俺には死角しかない!
プレーンオムレツのレア一択である。
しかしオムレツのレアってなんぞと心の中で笑っていたのだが出て来たオムレツは納得のできである、レアなのだ、火が通っているけれどレア、溶け出すか出さないかのギリギリのラインを見極めたふわっトロ、生れてはじめて本物のオムレツを食べることが出来た、しかもオムレツだけで4回もお代わりしてしまう。
さらにこのホテルのビュッフェの恐ろしさはこれだけではない、みそ汁が3種類、他にクラムチャウダー、コンソメ、コーンスープとスープだけで6種類、これがどれも美味しい。
米類に至っては白飯、五穀米、中華がゆ、粽、おにぎり、お稲荷さんと至れり尽くせり。
粽、おにぎり、お稲荷さんはすべて一口サイズで色々な味が試せるようになっている、美里は特に山葵稲荷の味に感動してしまう。
サラダやフルーツも知らない種類が並び、さすがは豪華お洒落ホテルである。
しかし美里の人生に大きなインパクトを与えたのはパンコーナーである。
パンコーナーのパンはホテルで焼き立てと言うパンが12種類、焼き立ての臭いは凄まじかったのだが、驚愕するのはそんなシンプルな物ではない。
ジャムやバターが並ぶ中に置かれたフルーツとナッツが練り込まれた仄かな酸味をもつ甘いクリームチーズである、これを焼き立てのバケットをスライスした物にタップリつけて口に含んだ時、一瞬生きる意味をソコに見出す程であった。
税込みで10000円以上もする朝食なんぞ生まれて初めてであったが、自分の知らない場所にこんな素晴らしい世界があったのかと感激をしつつ、今までいかに詰まらない人生を送っていたのかと再認識してしまう。
実は余命宣告を受けてからは、それ迄以上に食欲が湧かず、ほとんど食事は取らずにコーヒーばかり飲んでやり過ごしていたのだが今日は朝から食欲が漲ぎっていた、これはサウナのお陰なのだろうか、それとも最高のモーニングビュッフェが齎した事なのか?
まぁ蝋燭が燃え尽きる前の一瞬の漲りだったかもしれないのだが。
朝食後はホテル周辺のお洒落タウンを散策しつつ、目についた有名なブランド店を見てまわったり、アウトドアグッズの店でテント生活を仮定した道具を見て歩く。
キャンプ動画は好きでよく見ていたのだが、ちゃんとした店でアウトドアグッズを見るのは初めてである、要領なんかもよくわからないがワクワクしてしまう。
運が良いのか悪いのか、口の上手い店員のセールストークで衝動的に格好のいい1~2人用の骨組み不要な空気で膨らむモスグリーンのエアーテント一とターフ、迷彩の封筒型寝袋にエアーマット、小型LEDランプと太陽光充電バッテリー。アウトドア椅子とミニテーブル、コンパクトな調理セットに食器等々のアウトドアセット、ついでにアウトドア用の携行食等を購入してしまう。今迄のバッグにはとても入らない為、80L容量のスノーカモの登山用のPALS_webbingの付いたタクティカルバックパックとお揃い柄でアドベンチャー帽子を購入。
値段は考えずいきなり大荷物を買ってしまった。
コンロや焚き火セット等はキャンプ場によって使用の可不可が変わる為、実際に行く時に改めて買いに来ることにした。
余命が決まっていると金を使う事に罪悪感が無い。
その後は今まで敷居が高く、入る事がなかった様なお洒落カフェで一休み、体力がかなり落ちていたのであろう、ちょっとした買い物でも体がしんどいのだ。
小一時間休んだところで再び昼過ぎまで散策、小腹が空いた所でホームメイドのハンバーガー店へ入る、ハッピーなセットが無い高そうなハンバーガー店である。
もう何を食べていいのかわからないのでお店のメニューのトップに印刷されていたお店一押しのむちゃ高い征夷大将軍バーガーのセットと地元産のクラフトビールを堪能する。
一個2500円もするハンバーガーである、どんなものが出てくるのかと思えば・・・正に征夷大将軍、源頼朝?足利尊氏?徳川家康?誰がイメージだか判らないが先ずデカイ!バンズがどっしりとしてバンズその物の風味が強い!もしやこれが本物の小麦の味と言う物ではないのだろうか?!
そして肉だ、食感と旨味たっぷりの和牛の肉は口に含めば溢れ出る肉汁と炭火で焼かれた香り、正に拘りの渦!しっかりとした触感が有るのにも関わらず口の中でフワリと消え、脳髄がもう一口を欲する狂気の麻薬である、この個性の強いバンズと肉を調和させるソースが麻薬の正体なのか?!
美里薫、余命2ヶ月は圧倒的な満足を得た!
夕方、ホテルに戻る途中、もう一度ハンバーガーが食べたくなり、目についた有名ハンバーガーチェーン『バーガークイーン』へ足を向けた。
この食欲は久々に歩き回った為なのか、サウナで整った為なのか?病気等は無かったかの様に美里の体がハンバーガーを求めてしまう、まるで運命に引き寄せられたかのように・・・
現在『バーガークイーン』ではネットゲームとのコラボフェア中だったらしく、入り口にはデカデカと悪魔やモンスターのイラストが書かれた立て看板とポスターが展示されている。
ゲームの内容が少々気になり、コラボゲームを検索すると、どうやら海外で有名な『Diablos』と言うMMORPGの第4弾、『不死者の襲来 Arrival of the immortals』と言う新シリーズの物らしく、コラボセットのオマケには、オリジナルウェットティッシュと小さな袋に入ったゲームキャラのフィギアがついてくる。
フィギアは全6種あり中身はランダムの様だ、袋に記載された説明書きを見るとすべてカラーリングされたフィギアで出来の良さげな物らしく、内容は新シリーズのボスキャラっぽいのが3種類とシリーズ通して人気のキャラ3種類のどれかが入っているらしいが、やったことがないゲームなので良くはわからない。
折角なのでコラボ中のむちゃ高いハンバーガーセットを晩飯&夜食用に購入を決め、選ぶのが面倒で結局3種類あったコラボセットを全部買ってしまった、食べれないと思いつつ豪遊がなんか楽しい。
この数年の食事といえば通勤路にあるラーメン屋かコンビニ弁当ばかりになっていた。人生をもっと要領よくやれていれば、普段の生活だって何かしら楽しめたのかもしれない。
自分の人生は何が悪かったのだろうか?
深く考えずに決めた会社が悪かったのか?
もっと勉強していい大学を出ていればよかったのか?
SEなんて仕事を任せられた時、畑違いと断らなかったのが悪かったのか?
学生時代パリピみたいに無理やりにでも道化になって、幸せな自分を演じて騒いでいたらよかったのか?
そんな取返しがつかない選択肢の数々が頭を掠めたが、36歳で余命2ヵ月が確定している今、既に大した意味はない。
その最後の時間をさして苦しまずに死ねると言うんだからありがたいもんだと独り言ちる。
こういう気楽な時間を経験したのってどれくらいぶりだろうかとハンバーガーが出来上がるまでの時間、ふと振り返っていた。
朝は早く出勤、朝飯は通勤途中の自動販売機で缶コーヒーのみ、昼はコンビニ弁当、夜は遅く退社し帰り際には背油たっぷりの野菜マシマシニンニクマシマシラーメンか、昼と同じ様にコンビニ弁当&アルコール度9%の廃人量産チューハイのがぶ飲み。
休日は死体のように眠り、目が覚めてもベットの中からは動けずスマホで動画干渉。
外出するとしても近所のコンビニ程度で気づけば夜になり、何も出来なかった休日にまた無駄な休日を過ごしたと悔やみ、廃人量産チューハイをたらふく飲んで死体のように眠る。
連休なんか貰えなかったし頻繁に発生する給料の出ない休日出勤。
夜中まで働いても残業給は1日2時間まで、月の合計は30時間までという法律完全無視の謎ルール。何かを錯覚…いや会社や国の暗黙のルールに洗脳されていたんだろうか。
お前たち無知な底辺層は奴隷なのだと。
『今までちゃんと生きて来たって言えたんだろうか?』などという疑問を、死を前にして初めて考えだしたのは皮肉なものだ。
そんな事を考える事自体、美里は生きる屍であるのだろう。
余命が確定したことで、初めて人間としての感覚を取り戻せたのは皮肉以外の何物でもないだろう。
しかし、今となればそんな細かい事はどうでもいいのだ、今この時間、この瞬間に感じている解放感を堪能しようと思う。
「東京の中枢は丸の内~♪日比谷公園♪両議院~♪」
美里は某大正浪漫アニメのヒロインが歌うジョージア行進曲を原曲にした東京節を口ずさみ今夜の塒を目指す。
美里はアニメ好きでiphoneの中にはアニソンや関連する楽曲がいっぱい入っている。最近は戦車を駆るアニメの影響で軍歌や行進曲も好きになりアニメ関連以外もiphoneの中にいっぱい入っていし、カラオケの十八番の一つは月月火水木金金である。
この日も昨晩利用したカプセルホテルでのサウナが最高すぎて本日も宿泊する為に既に予約をしていた。
ホテルへ帰る途中、美里の目の前にお洒落タウンの真ん中にはにつかわぬ林が目飛び込む。
正面には木製の古びた赤い鳥居、地元の神社の入り口であった。
ふと、もうすぐあの世に行く事を思い出し、予め挨拶代わりの参拝でもして神様に手を合わせようと思い立ち、鳥居の前で一礼し境内へと伺う。
鳥居を潜る瞬間にゾワリと鳥肌が立ち、嫌な感覚ではないのだが物凄く吃驚した、そして心は不思議と高揚していた。
神社そのものは神主のいない手水舎と社があるだけの小さな神社で、境内は非常に明るく掃除も行き届いている小奇麗な場所であった。
祭神はよくわからないが神社は『天神様』『八幡様』『お稲荷様』といった種類があったと思い出す。
受験の時に今は亡き母親が「太宰府の天神様の一番高い御守りをamazonで買ってきたよ!!これで大学合格間違いなし!」って持たせてくれたのを思い出した。
その時に調べてみると本当にamazonで売ってたのも吃驚したものだ。
その時見た情報で天神系は雷の神様で大宰府天満宮は菅原道真公が祭られていて、受験合格の御利益ありと書いてあった気がする。
個人的には菅原道真公は幽閉され餓死させられた仕返しに京都中にサンダーブレイクをブチ込んだヤベー奴ではないかと記憶していたが、なるほど確かに雷神だ。
桑原桑原・・・
そういえば天神様にも種類があるのだろうか?菅原道真公しか知らないが、アイドルに例えるならTNJ48のセンター菅原道真公といった感じなのだろうか。うん、神社でこんな事を考えるとは不敬極まりない。
因みに第一志望の大学は落ちた。
この神社の鳥居には『上目黒八幡』と書いてあったから『天神様』とは別ユニットになるんだろうか?
八幡様って頻繁に見るけどどんな神様なんだろう・・・・ホテルに帰ったらネットでゆっくり調べてみよう。
この神社の御社はかなり古い建物なのが見て取れ、印象でいえば学生時代の修学旅行でいった京都にあった有名な寺並みに古く荘厳さも感じられる。
神社へ参拝等は初詣くらいにしか行かない現代っ子だが、こう趣のある場所には独特の空気感もあり全国の神社巡りをする人達の気持ちも判らなくは無いなと思う。
そういえば神社では、神様にお願いを叶えてもらうために祈るのではなくて、近況報告や日頃の感謝を伝え、ついでにこれからもよろしくお願いしますね的なお祈りをする所だとかなんとか聞いた事がある。
まあこれからも何もないんだけれどね、死んじゃうからね。余命2ヶ月だからね。
拝殿と呼んで良いのか、唯一の御社の前に置かれた賽銭箱へ5円玉を投げ込み、二礼二拍、目を閉じ祈る。
『ささやき ・ いのり ・ えいしょう ・ ねんじろ』という言葉が一瞬頭によぎったが2ヶ月後には自動的に灰になるのだから今は置いておこう。
今はデスマーチから解放されてもうすぐ死ぬし嫁も彼女も友達も家族もいないけど今楽しいっす、生まれ変わったら次は長生きしてデスマーチをするのではなくてデスマーチをさせる側になりたいっす、あんな糞ブラック企業の無能で糞中途半端な糞中間管理職止まりな糞上司みたいな糞小物じゃなくて超ホワイトな巨大企業の頂点に立つCEOにだがな!と祈った。
もう途中から愚痴である、神前で暴言である。
最後に目を開け一礼、少し間をおいて「ホワイトなのにデスマさせるC.E.Oってなんやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
多少恨まれても世界を席巻するビルゲイツやイーロンマスクくらいの超大物になりたいわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
あほかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
IT業界の帝王になりたかったわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
と思わず叫んでしまった。
林の中の神社とはいえ小さな敷地、神主さんはいなくても大きい声を出せば近所の人に怒られるかもしれないと周囲を見渡す。うん誰もいない、観測者がいなければ恥ずかしいこと等何もない。
「その食べ物をひとつくれろ」
観測者おった!いつのまにか着物を着た小柄な少女が足元にしゃがんで美里の顔を見つめている。羞恥で顔が火照ってしまう。
「その食べ物をひとつくれろ、たくさんあるのだろ?食べきれんのだろ?」
少女は美里と目が合うと直ぐに、柏手を打つために脇に置いていた荷物の中から、先ほど買い込んだバーガークイーンの袋に視線を移す。
着物の知識は皆無だが、素人目にも非常に品がよく仕立てられているのがわかる。
白に限りなく近い紅色、梅の花の繊細な柄が非常に美しく、形は大正時代の女学生風にもみえ、薄紫の袴がまた美しく映える。
身長は140cm程だろうか、ちょっと瘦せすぎかと思う体幹、色素が無いのではないかと思わせる程に色白の肌、その髪型は前髪ぱっつんだが吸い込まれそうなほど黒く美しく長い、年相応にか可愛らしく何処か高貴な印象を醸し出していた。
年の頃は10~12歳くらい?いや、昔の人は今より小柄だから、もしかすると17~18歳くらい?などと不思議と頭の中に思い描く。
一瞬だけ合わせた瞳は人生で出会った誰よりも澄んで見えた。
昔の人?と何故か自分の思いに疑問を持ったがあえて考える事を流す。
目鼻立ちは美しいが化粧は見られない。ただ可愛いと思うよりも、何かとても神秘的に感じる。
「よい匂いです、ハイカラさんな食べ物です、是非食べてみたいのです!」
少女はもう一度、美里を見返し、満面の笑みでおねだりを始めた。
少女のおねだりに不思議と不快感はなく、更に言えば過剰に買いこんでしまっていたので食べきれない為に差し上げる事は吝かでもない。
バーガークイーンの袋の前にしゃがみこみ匂いを嗅ぐ姿は暴力的に可愛らしい。
好きなものを食べれる分食べていいよと伝え、ハンバーガーの袋を一緒に袋をのぞき込む。
コラボハンバーガーはゲーム内の主要キャラクターの特徴をコンセプトにしたものらしく、プレイした経験のないゲームで良く解らず一緒に入っていたチラシを見ながらハンバーガーそれぞれの味を説明してあげた。
色々説明した結果、少女はコラボバーガーの目玉商品である和牛100%ディアブロ・トリプル・クワトロチーズワッパーを選択した。
「おおきいいの!おおきいの!かぐわしいの!ほんにかぐわしいの!」包みを開ける前から何度も匂いをかいては美里の顔を見返す、そして満面の笑みで頭の上に神前へ捧げるかのようにかかげる。
食べていいよと促すと、待ちきれなかったかの様に包みを開け、少女の顔ほどもあるハンバーガーへかぶりつく。
「すごい量の肉じゃのう!これは醍醐かや!久しいの!この香しさはたまらんのう!おおきゅうて口に入り切らんのう!」
小さな少女の顔を隠しきるほどに大きなハンバーガーに小さな口を大きく開けて食む。
ムシャりムシャリとしっかりと食む。
この上なく幸せだと表現された表情で、しっかりと咀嚼すると幸福そのものを飲み込んだかのように嚥下する。
「あぁ....本当に美味しいのう!本当に美味しいのう!」
恍惚とした表情で心から嬉しそうにハンバーガーを食む。一口食べては美味しい美味しいと繰り返す。
心なしか目に涙を浮かべている。欠食児童なのだろうか?否、こんな身なりが整えられているうえに高級そうな着物を着ている子供が貧しい家の子の筈もない。
完全和食派の良家でハンバーガーを初めて食べたのだろうか?
美食を極める陶芸家の家でジャンクフードが禁忌となっているのだろうか?
少女には大きすぎるハンバーガーにかぶりつく度に口の周りはおろか、頬にまでチーズと真っ赤なソースで可愛い化粧を施している。
ウェットティッシュで顔をふいてやり、ワッパーセットで選択したノンカロリーコーラを手わたそうとすると、
「飲み物かの?どうやってのむのじゃ?」
と不思議そうに見つめてくる、なんかすごい甘えん坊なのか?とも思いつつ人生の最後についぞ作る事のなかった自分の子供がいたらと想像し、少し幸せな気持ちになる。
ノンカロリーコーラにストローを挿してやり、ここから吸うんだと教えてやると自分ではもたず、顔を突き出しストローに吸い付く。なんだか本当に10歳くらいの甘えん坊なのか?というか今まさにこの絵面は事案じゃねえのか?と少し焦ってしまったが。不思議とこの少女といる事に不安も後ろめたさも湧かなかった。
「パッチパチするのぅ!甘くてパッチパチで美味しいのう」
これまた嬉しそうで何よりである。
ハンバーガーを一つ食べ終わると物足りなかったのかセットのポテトともう一つディアブロ・ヴァルカン・ホットワッパーと名前がついた激辛バーガーをも「こりゃあからい!こりゃあからい!」といいつつ嬉しそうに平らげる。小さな体でどこに入るのやら。しかし満足いただけて何よりだ。
欠食児童ではなくフードファイター系美少女らしい。
もしかしたら何年かしたら、大食い界隈でTVを賑わせるのかもしれない、しらんけど。
だって余命2か月だし...
なんといつの間にか、この少女一人ですべてのハンバーガーとセットを食べつくしてしまった。
「こんな美味しいのは久しいの!おなかが一杯は嬉しいの!皆喜んでおるの!あぁ本当に美味しかったのぅ」
一瞬だが『皆』という言葉に違和感を持ったが何故か聞き流してしまう。
少女は目に涙を浮かべ心の底から幸せそうである。少女の大食いには吃驚したが、どのみち食べきれないのだし、これほど喜んでくれている事に嬉しさが勝る。
「美里薫よ、主の供物はまっこと御馳走であったのぅ!美味しかったのう!まっこと嬉しいのう!ありがたいの!おなかがいっぱいは幸せよのう!あぁおなかいっぱいは、まっこと幸せなのだ!皆も感謝しておる!」
あれ?なまえおしえたっけ?とまた違和感を感じた。
少女は、そっと美里の頭を撫で心からの感謝を伝えた。
ちょっとソースが撫でる手についたままだったが……
ここでまた一つの違和感に気づく。
小さな林に囲まれた小さな境内、しかしここは都会のど真ん中で周囲には高い建物もあったはず。
それらが一切見あたらない。
更に日が落ち暗い時間帯、境内は明るいが街灯などない、街灯があると錯覚していたのだ。空を見上げると鳥居から拝殿へ続く石畳に沿って宙に浮く不思議な石灯篭が『ものすごく明るい火』で周囲を照らしているのだ。
事態が呑み込めず唖然としていた時
「お前様の事は我より推挙しておこう、良い様に計らわれる安心せよ、娑婆の残りの時間をよーく楽しむがよい。」
美里はあまりに不思議な光景と奇妙な言葉に思考停止し息をのむ、思い出したかのように息を吐きだし、一度瞬きをした。
瞼が開いたその瞬間、美里が立っている場所はベンチが2つあるだけの小さな公園であった。
美里は公園の真ん中で『一人で』佇んでいたのだ。
この不可思議な状況に、先ほどの美少女はどういった者だったのかを察し、流石余命2か月ともなると色々あるもんだなと意味不明な結論を導き出す。当然ハンバーガーは無くなっていた。
公園の入り口近くに石碑が置かれていた事に気づき、美里は彫り込まれた文面を読む。
この場所には戦前、実際に神社が在り、かの東京大空襲により焼失したそうだ。御祭神は同じ様に空襲で焼け落ちた周囲の神社と共に近所の大きい神社へ移転併合され今はそれら転居組の祭神は大きな神社の配神として本殿脇にに建てたれた御社に無事祭られている事、そして当時この神社跡には防空壕が掘られていたのだがB29の落とした焼夷弾が襲い避難していた多くの人々がその中で焼け死んだと書かれていた。
美里は何だか涙が出てくる。
あの子はその時に焼け死んだ娘なのだろうか?それとも引っ越しなされた祭神様の類なのか知る由もない。
しかし今、確かに経験し、ハンバーガーショップの紙袋はオマケとウェットティッシュを残し空なのだ。
もし戦争で日々食べるに窮し空腹でお腹を鳴らし亡くなった女の子なら、もっと食べさせてあげたかった。
ほかに思い残した事は無かったのだろうか?死んだらもう食べれないことを実感していた美里ならばこそ心底そう思う。
美里は石碑に手を合わせ公園を後にする。
もう一度バーガークイーンへ入りコラボセットで一番ボリュームが少なくヘルシーそうなディアブロ・テラハーブワッパーセットを購入しホテルへの帰路へ着いた。
何だか妙に疲れたが昨日と同じカプセルホテルへ帰りつくとサウナを堪能してホテルのベッドで寝そべりディアブロ・テラハーブワッパーセットを満喫した。
めっちゃパクチー…タイ人でもこんなにパクチー食べないだろうと思うくらいパクチーもうこれパクチーバーガーでいいだろうと思うほどである。
しかしパクチーが嫌いではない美里には死角はない!
しかしこのハンバーガー、咀嚼すると意外にもパクチー以外の様々なハーブや香辛料の味が口に広がり、肉汁が加わる事で東南アジア系の爽やかなカレーへと印象が変わる。
「これめちゃ美味い...咀嚼するにつれ味がどんどんカレーになるとか、考えた奴天才やな」
と言いつつも、このパクチー感はヒット商品にはならないと確信していた。
だってパクチーが過ぎる!
明日は他のコラボセットを食べよう、きっと何か面白いコンセプトが用意されている筈だと、翌日もハンバーガーを食べると決意した。
ベットに入り不思議で楽しい一日だったと考え、ふと石碑の内容を思い出す。
戦争で焼け死ぬ。大量の焼夷弾の絨毯爆撃、そこいらじゅうに爆弾が落ちてくる最中も必死に逃げ惑い、防空壕に隠れて怯えて震えて身を竦め爆風を凌いでも飛び散るゲル化ガソリン、引火したら全てを燃やし尽くすまで消えない炎…あぁ、そう思うと自分の死に方なんか幸せ過ぎるなと考え、不思議な気持ちでその夜は死んだように眠る。
いや、実際にその夜、その息を引き取ったのだ。
美里 薫 享年(36歳)




