5話 種明かし
「ミミ、……いないの?」
「すぐお呼び致します」
エリザベートが目覚めた時そばにいたのは、ミザリーの弟子ヨルニひとり。ミザリーは状況説明で席を外しており、ロザンヌは隣の間に控えている。
どうやらミザリーを前線に出し、その後ろでロザンヌがバックアップを取っているようだ。
コンコン、ヨルニが扉をノックすれば、コン、向こうからからひとつノックが返る。
「エリザベート様がお目覚めになられました」
「至急その旨ミザリーへ伝えます」
ヨルニとロザンヌは扉越しに言葉を交わした。
ヨルニをエリザベートの側に置き、ミザリーとロザンヌは門番よろしく、誰にも踏み込ませないのは勿論のこと中の様子さえ見えないようにしていた。
「ひめさま目覚めは如何ですかな?」
「ミミ、……ありがとう。……なんとなくだるい、わね」
「まあ、疲れが出たのでしょうな。まだぼーっとしておられるが、腹が許すならなにか召し上がってくだされ。その方が傷の治りがいい──と医者ならだれもが言うだろうよ」
「……そうね、そうするわ。ロザンヌ、何かお願い」
ロザンヌは既に用意していたのだろう。
「畏まりました」と言ったそばから食事を運んできた。
「昨日もあまり口にされませんでしたので、体に優しいものをご用意致しましたが、他に食べたいものがあれば何なりと」
しっかり煮込んだスープの香りが鼻腔をくすぐると、負けずに誘惑するのはスプーンでなければ口まで運べないと思わせるくらいふるふるのフレンチトースト。デザートにしても、フルーツの盛り合わせと一緒に花畑のような色とりどりのジュレやシャーベットまで。 いつから用意していたのだろうと思うような品数が並びエリザベートは目を見張った。
さすがに全部は食べきれなかったが、エリザベートにしてはかなり食べた方だと思う。
「ロザンヌの言う通り、昨日からほぼ水しか口にしてなかったから、お腹すいてたのよ」
食べ過ぎたことが恥ずかしいのか、子どものように口をすぼめ、言い訳を口にするエリザベートはだいぶ血色が良くなっていた。
「ほっほっほ、ひめさまはそれぐらいでいい。元気でいて下され。さすればこのお婆も長生きできますわい」
「なに言い出すかと思ったら、うちで一番元気なのはミミじゃない」
エリザベートの軽口を笑いながら、とても楽しそうに物騒な事を口にしたミザリー。
「さて家のひめさまを害した者に据えてやる灸は何がよろしいかな? 数種類の薬を用意してきましたぞ」
「ふふ、ミミったら。でももう決めてあるの。ね、ロザンヌ」
軽く躱すあたり、いつものやり取りのようだ。
「ええ。粗方は。ミザリーには今後もお嬢様の健康診断と称し城へ通っていただき、公爵家との連絡役になって頂きたいのです」
「なんだそんな役しかないのか? 薬を盛るのがダメなら、もっとこう、テヤーと伸したりもできるぞ」
「ええ、ミミが強いことは知ってるわ。だけどミミの力はここぞという時に使わせてもらうわ。楽しみにしてて」
「畏まりました。ひめさま」
ミザリーが仰々しく膝を突くと弟子もそれに倣う。
「この命はひめさまに捧げてある。何なりと」
「全く大袈裟ねえ」
「大袈裟なものかい! 恩をかけた方は忘れちまうが、かけられた方は忘れない。それを恩義と言うのだよ。ここにいる者は皆ひめさまの懐刀だということを忘れてもらっては困る」
はいはい、と手をひらひらさせながらおざなりに躱すエリザベートはまだ大袈裟だと思っているが、三人の意思は固い。今すぐにでもエリザベートを害した奴らを抹殺しかねない程に。
「さて、わしは一旦帰るとするが、この子を連絡役に置いていく。ヨルニ」
「はい、ミザリー様。しかとエリザベート様をお守りいたします」
一見、祖母と孫に見えるがしっかりした師弟関係だ。
「ミザリー、くれぐれも」
ロザンヌは、シーツでぐるぐるに巻かれているものを慎重にミザリーへ手渡す。
「ああ、わかっておる。この水袋は焼き切るから安心せい」
ロザンヌがバスルームから取ってきたまだ血生臭いそれは、シーツでしっかり巻かれ、新調したばかりの本革の診察鞄に入れられた。革製の水袋に鴨の血を入れて丸一日きつく口を縛っていたのだ。ちょっとやそっとでは臭いは取れない。
出来立ての診察鞄は、開け閉めする度にまだ硬い革の臭いがする。よい目くらましならぬ、よい鼻くらましになるだろう。ミザリーはしっかり鞄を閉めるとヨルニに指示を出し帰って行った。
「お嬢様、先ずは乾杯と行きましょう」
ロザンヌはどこから持ってきたのか、病人にはあるまじき葡萄酒と鴨のソテーを揃えた。昨日の早朝に公爵邸から運び出された鴨だ。
鴨肉に一瞬顔を顰めたエリザベートだが、すぐに気取り直した。
「そうね。先ずはこの計画が動き出したことに乾杯といきましょうか」
仄暗く妖艶に微笑んだエリザベートは、幕を上げた復讐劇に杯を掲げた。
口にしたその鴨の血が寝室に撒かれた訳だが、知ってはいても寝室に入った瞬間ロザンヌは、口と鼻を覆った。あんなに匂いがキツイなんて思わなかったのだ。
撒いたエリザベート本人もこのまま続けるか一瞬考えたほどの匂いで、部屋の隅でカーテンに包まって息を止めるしかなかったのは誤算だった。しかし、そのせいでカーテンが引っ張られ朝日が入ったことが幸いした。光に照らされたおかげで室内が明るく、あの場を目にした全員がはっきりと同じ光景を口にしたのだ。後からぽろぽろと違う証言が出てくることは避けたかったため、あれは不幸中の幸いと言ってもいい。
メイドたちが素早く完璧に、血も臭いも消し去ってくれたことに、エリザベートもロザンヌもホッと胸をなで下ろした。ふたりはあの時、強すぎる臭いにこの計画が気付かれるのでは、と冷や冷やしていた。
その後も、エリザベートが震えていたのは寒さによるのもだと気づいた者はおらず、先ほどミザリーを乗せて出た馬車が公爵家から見舞いの品を乗せて帰ったことで、自作自演による此度の舞台は完全に幕を下した。
見舞いの品は、証拠品の水袋を無事公爵邸内に回収した合図だった。
「さて、次はどうしましょうか、お嬢様」
「そうねえ。あとでお父様とお母様がひと暴れしてくれるだろうから、暫くはこの話題で持ち切りになるでしょう。各国のゲストにどう伝わるかはわからないけど、そこはほら、式での事が上手く想像を搔き立ててくれるわ」
エリザベートは、昨日ロザンヌに傷つけさせた唇を、トントンと示しながら弧を描く。
「ま、敢えてやるならその想像力の後押しかしら」
「畏まりました」