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告白

 独特の臭いのする保健室には、まだ眠ったままの匠と、瑞貴の他は誰もいなかった。窓ガラスには、古ぼけた蛍光灯に照らされた室内が映っている。その外に広がる空は、もう既に濃い藍色から墨色へとそのよそおいを変えつつあった。

(何でそんな身体で学校なんか来るのよ…)

 熱っぽい顔をして、苦しそうに眠ってる匠の顔を見ながら瑞貴は心の中でそう呟く。

 弘樹の話によると、何だか赤い顔をしてふらふらしていた匠は、体育の時間、バスケットボールを受け損ない、そのまま倒れてしたたかに体育館の床に頭をぶつけたのだという。保健室に運ばれてから熱を計ると、四十度近かった。どうやら、風邪をひいていたようだ。

(…どうか…神様…)

 瑞貴は目を閉じて祈っていた。


 外は、雨が降っていた。

 静まり返った隆士の部屋に、外の雨の音が微かに聞こえてきている。

「瑞貴…」

 隆士のしなやかな手が瑞貴のおとがに伸び、くいっと優しく持ち上げる。瑞貴は内心の恐怖感を閉じこめるように、きゅっと目をつぶった。心臓の鼓動がうるさいぐらい耳に響いている。

 間近に迫った隆士の息づかいまでもが感じられ、座っている隆士のベットが微かに軋んだ。

(…)

 目をつぶったまま息を潜め、その時を待つ。だが、いよいよという所で急に瑞貴は顔を逸らした。

「…瑞貴!?」

 隆士が、非難と驚きの入り交じった声を上げる。

「ご、ごめんなさい…あたし、やっぱり…」

 涙が出そうになるのをこらえながら、瑞貴はやっとの事で声を絞り出す。

「…何だよ、それ…お前、俺の事…」

 傷ついた表情で隆士が非難する。

「ご、ごめ…先輩…」

 涙を堪えて謝る瑞貴。だが、とうとう堪えきれなくなり、泣き出した。

「いいよ。分かった。帰れ」

 吐き捨てるようにそう言うと隆士はそっぽを向く。

 瑞貴は鞄を掴むと雨の中を泣きながら駆け出していく。クリーム色の傘は隆士の家の玄関に忘れたままだった。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

 雨の中を泣きながら走る瑞貴はずっとそう呟き続けている。その後ろ姿を、今の瑞貴と匠が見つめていた。

「さよなら…」

 悲しげにそう呟くと、くるりときびすを返し匠はどんどん先へ行ってしまう。

「待って!! 匠!! あたし…」

 だが、瑞貴がいくら追いかけても、匠に追いつくことはできない。伸ばした手がむなしく宙をつかむばかりだ。

「匠!! 匠…」

「…い…おい、瑞貴! どうしたんだよ!」

 そこで、瑞貴は目を覚ました。どうやら布団に突っ伏して眠ってしまっていたようだ。側には布団から上半身を起こした匠が呆れ顔で瑞貴を見つめている。

「ったく、どうも寝苦しいと思ったら、お前が上に乗ってたのか」

 そう言いながらぽりぽりと頭をかいていた匠の動きが、止まった。

 瑞貴が震えながら泣いていたのである。

「瑞貴!? お、おい、どうしたんだよ…」

「匠…」

 泣きながら瑞貴は匠に抱きついていた。

「…な、何か怖い夢でも見たのか…?」

 戸惑いながらも匠はそっと瑞貴を抱きしめる。甘いシャンプーの香りが、ふうわりと漂った。

 そんな所に瑞貴もやっぱり女の子なんだな、と、匠は妙に納得してしまう。背は結構高いのに、華奢な体つきをしていてぎゅっと抱きしめたら折れてしまいそうだった。

「ばか…いなくなっちゃうかと思ったじゃない…」

「な、何言ってんだよ、そんな事ある訳ないだろ」

「うん…」

 匠の胸に顔を埋めたまま、瑞貴は暫く泣いていた。匠は心の底から瑞貴のことを可愛いと思った。想いを、伝えたかった。

「瑞貴、俺…自分勝手かもしれないけど…」

 暫くしゃくり上げる瑞貴の背中を見つめていた匠は、やがてそう切り出す。

「でも、言わないときっと後悔すると思うから…言うよ」

 そこで一度口をつぐみ、何かを覚悟するように一つ深呼吸して続ける。

「俺…お前の事、好きだ。友達としてじゃなく、一人の女性として」

 驚いて瑞貴は顔を上げた。

「匠…あたし…」

 瑞貴が何かを言いかけ、つらそうに俯く。

「いいよ…分かってる。他に、いるんだろ…好きな人が…」

 目を伏せた匠はそう応えた。暫く、沈黙が流れる。

「匠…あたしね…昔、付き合ってた人がいたの…」

 暫く後、瑞貴がそう言った。

「…そう。匠がこの前見た人がその人…。でも、その人が…その人が…」

「瑞貴…」

「聞いて、匠」

 何かを言いかけた匠を瑞貴はさえぎるが、さっきの夢がちらりと瑞貴の脳裏をよぎり、一瞬躊躇(ちゅうちょ)してしまう。だが結局、瑞貴は全てを話すことにした。正直に自分の気持ちを伝えてくれた匠にこたええるにはそれしかないように思えたからだった。

「…その人が、キスしようとした時…逃げ出しちゃったんだ…怖くて…」

 瑞貴はまた肩をふるわせて泣いていた。

「…それ以来ずっと…怖かった…。人を…好きになる事も…恋人として誰かと付き合う事も…」

 そこで瑞貴は一息ついた。それから、一つ深呼吸して、今度ははにかんだように明るく続ける。

「でも、今度ね、また、付き合ってもいいかなっていう人が、出来たの」

「そう…」

 匠はつらそうに俯く。予想していた答えだった。せめて、笑顔で送り出してやろうと思ったのに…。匠は、そうできない自分が、悔しかった。

「匠?」

 俯いてそっぽを向いてしまった匠を見て、瑞貴が怪訝そうな顔をする。

「ゴメン、ちゃんと、送り出してやろうと思ったのに…俺…」

 どうやら、匠にははっきり言わなければダメらしい。瑞貴は呆れる思いだった。

「匠、こっち向いて」

「な、何だ…」

 不意の命令口調に振り向いた匠の唇に、柔らかい感触が触れる。同時に、ふうわりと甘いシャンプーの香りが漂った。

「…」

「匠…あたしは、匠の事が…」

 目を白黒させる匠から唇を離した瑞貴が何かを言いかけた時だった。

 ガラッ!

 いきなり、勢いよくドアが開き、千夏が入ってくる。そして、いい雰囲気になっている匠と瑞貴を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「あーっ!! お兄ちゃんっ! 一体何やってるのよっ!!」

次はエピローグです。お付き合いありがとう御座います。

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