届かぬ想い
仏頂面で頬杖をついた匠は、黒板の前で若い女の先生が何かを話しているのをぼんやりと聞いている。何の授業かはもはや匠の興味から完全に外れていた。
(どうしたんだろ…)
今日何度目かの疑問が頭に上り、ちらりと右隣の席を見る。そこは、今日も空席のままだった。
(電話、してみようかな…)
三十分おきくらいに、匠はそう思う。だが、やはり決心が付かずにいた。今日は土曜なので、電話でもしない限り瑞貴に会えるのは明後日という事になってしまう。しかも、それも瑞貴が学校に来れば、の話である。
「…藤代君、聞いてるの?」
「あ、は、はい? …えー、代助は…」
不意に先生の声が脳に届き、匠は反射的に教科書を読み始める。
「…」
一瞬の沈黙の後、教室中が笑いの渦に包まれた。先生だけが、苦虫を百匹ぐらい噛み潰したような表情で匠を見ている。
「藤代君? 今、何の時間か分かってる?」
匠が黒板を見ると、そこには英語の文法の説明が書かれていた。
夕食後、瑞貴は思いきって匠の所へ電話をしてみることにした。月曜からは学校に行くつもりだったし、謝るにしてもクラスの人たちの目があるところでは謝りにくいからだ。瑞貴は電話の子機を手に取る。
ふと思い返してみると、匠の家に電話をするのはこれが二度目だった。瑞貴は暫く子機のプッシュボタンと手帳に書かれている匠の家の電話番号を見比べていたが、やがて意を決したようにピピピッと一息に番号を押していく。
ゆっくり押していたら途中で手を止めてしまいそうだったのだ。
(お願い…すぐに…出て…)
「…プーップーップーッ…」
だが、願いは届かなかったようで、無情な話し中の音が瑞貴の想いに答える。瑞貴はすぐに電話を切り、暫く子機を見つめていた。
降りしきる雨の中、一人ぽつんと佇む瑞貴。
不意に、昼間見た夢のワンシーンがフラッシュバックする。
「…匠…ゴメン…」
暫く膝を抱えてぼんやりとしていた瑞貴は、そっと、そう呟いていた。
(よし、電話しよう!)
同じ頃、机に突っ伏して電話しようかどうしようかと逡巡していた匠はようやく意を決し、立ち上がる。だが、部屋を出た所でその決意は脆くも崩れ去ることになった。
「でね、今日さ…」
階段の下では、千夏が博文に電話をしていたのである。こうなると、千夏の電話はいつ終わるとも分からない。
気が付くと、匠は近くの公衆電話に向かって駆け出していた。あまり夜遅くには電話することは出来ないので時間がないのだ。しかも、最近あちこちで公衆電話の盗難が相次いでおり、まともに電話が残っているボックスは少ない。
(神様…もう一度だけ…)
匠は祈りながら走る。
だが、匠が知っている唯一のまともに機能しているはずの公衆電話は、修理中だった。匠は、その場にへたりこんだ。
そんな匠を、またしとしとと降り始めた雨が濡らしていく。