不協和音
匠とのことがあったため、瑞貴が学校を休んだ事が投げかけた波紋は意外に大きい。
『喧嘩が原因で寝込んだ』
『病気ではないが匠が謝るまでは学校に来ないつもりだ』
などという他愛のないものから、果ては
『自殺未遂をして入院している』
といった女性週刊誌張りのものまで、クラスには様々な憶測と流言が飛び交っていた。
「…ねぇ、知ってる? …あの二人…」
昼休みになり、囁き声で交わされている会話を、自分の机に頬杖をついて座っていた匠は表面上は無視していた。だが、話に熱が入ってボリュームが上がってしまうのか、時折漏れてくる話の内容や、話し手である女子生徒たちのちらちらと匠を窺う好奇心にあふれた視線で話の大まかなところの予想はついている。
だが、別に面と向かって何か言われたわけではないので反論のしようがないのだ。
(…勝手なことばっか言いやがって…)
何か直接言ってくれば反論してやれるのに、と匠は思っていた。
「ねぇ、藤代君…」
さっきまで教室の脇で集まって何かひそひそ話をしていた女子生徒の一人が恐る恐る、まるで猛獣にむかって近づいて行くようにしながらそう声をかけてくる。
「…何?」
匠はきっと顔を上げてその女の子を睨み付けた。いや、匠本人にはそのつもりはなかったのだが、自然とそんな表情になっていたのだった。
「…ご、ごめん、やっぱ、何でもない…」
引きつった笑顔でそう答えると、その女子生徒はそそくさと元いた集団へと帰って行く。その生徒を固唾をのんで見守っていた他の女子生徒達が、一斉に匠の方から視線を逸らした。
(…ったく…何なんだよ…)
その原因が自分の表情にあるとはつゆほども思わない匠は、その後ろ姿を目で追いながら膨れていた。
「おいおい匠、何て顔してんだ?」
教室へ帰ってきた弘樹が、匠の顔を見るなりニヤけた笑いを浮かべて言う。
「何がだよ」
匠は短くそう答えただけだった。
「あのなぁ、八つ当たりは…」
「やっと捕まえたわよ、この腐れ外道!!」
前髪をかき上げながら何かを言おうとした弘樹を、珠美の声が制した。
「げ、斉藤…」
「逃げようったってそうは行かないわよ」
慌ててくるりと百八十度進路変更した弘樹の制服の襟を掴んで珠美が止める。
「…はは…デ、デートの予約なら今日は先約が…」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! この腐れ外道!!」
パッシーン!
教室に派手な平手打ちの音が響き渡る。
「…あたしはねぇ、あんたのそういうふざけた所が許せないの! どうしてもっと真面目になれないのよ!?」
珠美は一息にそう言うと、今度は匠の方に向き直る。
「匠君も匠君よ! あのまま瑞貴を放っぽっておくなんて!」
急に矛先が自分に向いてしまった匠は、珠美の剣幕に押されてキョトンとした顔をするだけで何も言えない。
「好きなんでしょ!? 瑞貴の事!」
匠の心臓が鼓動を一回飛ばした。まさか、珠美からそのようなことを言われるとは。
「…い、いきなり、何言ってんだよ…そんなわけない、だろ…」
胸が痛い。匠の言葉の最後の方は呟くような声になっていた。
「嘘!」
頼りなげな匠の言葉を珠美はたった一言で軽く一蹴する。
「誰でも知ってるわよ! そんな事!」
匠は目眩に似たものを感じた。匠の瑞貴への想いを知っているのは弘樹だけだと思っていたのだ。珠美にそれを言われた事もショックだったが、『誰でも知ってる』とは…。
「ねぇ、喧嘩なんてしないでよ! そうじゃないとあたし、何も信じられなくなるじゃない!」
そう匠に懇願する珠美は、いつの間にか泣いていた。
「ち、ちょっと…」
いきなりの事に匠は戸惑う。
「あんなに仲が良かったのに…だから、あたしも…」
「ま、待ってくれよ、一体…」
「馬鹿っ!」
立ち上がってなだめようとする匠の手を振り解くと、珠美は走って教室から出て行ってしまった。
「…何ともパワフルだねぇ」
前髪をかき上げながら、その後ろ姿を見送った弘樹がそう呟く。
「…なぁ…」
惚けたように立ちつくし、俯いたままの匠がぼそりと呟いた。
「ん?」
怪訝そうに弘樹が振り返る。
「…『誰でも知ってる』って…」
思い詰めた様子でそう言いかけた匠を弘樹が呆れたように遮る。
「ったりめーだろ。もしかして、あれで秘密のつもりだったのか?」
「…」
匠は呆けたように無言のまま椅子にへたり込んだ。