反対尋問:捜査責任者セメルドー・ジショーエス警部
再び証言台に立ったジショーエス警部の前に車椅子を動かす。
当初の予定ではジショーエス警部が相手にするのは、私の犯行を認めた弁護士ウッド・ギルティのはずだった。
意思表示能力を持たず、なんの異議も申し立てないはずだった被告人が動き出し、自ら反対尋問の場に出てくる。
ことさら威圧的な表情で私をにらみつけているのは先の読めない状況への不安の裏返しかもしれない。
「では、反対尋問を始めます。ジショーエス警部」
ジショーエス警部は暴力刑事である。
送検前にご丁寧に治癒士をつかって痕跡を消してくれたが、爪は割るわ関節は潰すわとやりたい放題をしてくれた。
とはいえ無闇に攻撃的な態度をとっても裁判官の心証を悪くするだけだ。
粛粛と話を進めていくしかない。
「証拠品として提出された【ガラス片】について質問をさせてください」
証拠品陳列台にある【ガラス片】のサンプルを取り上げてみせる。
「この【ガラス片】は大きな破片は瓶の口の部分のみ、あとは少量の破片のみ提出されているようですが、現場で発見された【ガラス片】はこれで全てでしょうか」
かなり小型、ポケットに入りそうな大きさの緑の瓶の破片だ。
「そうだ。遺体に細かいガラスの傷があったので捜索したが、見つかったのはそれだけだった」
「【ガラス片】の発見場所を教えてください」
「大きめの破片はチーズの棚の下。他の細かい破片は遺体に刺さっていたものが中心だ。遺体の周辺にもいくつか散らばっていた」
「残りの破片はどこに行ったとお考えですか?」
「遺体周辺で箒を使った形跡があった。その時に一緒にはかれて処分されたのだろう。行方はわかっていない」
「他の遺留品と一緒に井戸に捨てられていたのでは?」
「古井戸からは発見されていない」
「捜索を行った範囲は?」
「乳製品工房周辺全域だ」
「ジトーク子爵邸の本館は捜索範囲に含まれますか?」
「含まれない」
随分と雑な捜索だったようだ。
「手ぬるすぎるな。子爵家相手に腰が引けたか」
傍聴人席から、そんな声がした。
ハフリ法務騎士ともグーセイ皇子とも違う男の声。
なかなか偉そうな響きがあった。
傍聴人席がざわめき、裁判長が「静粛に」と声をあげた。
誰だか知らないが、悪くない援護射撃だ。
ジショーエス警部の顔が引きつっていた。
「遺体の下に【ガラス片】があったということは、被害者の殺害前、現場には【ガラス片】が飛散していましたが、そのほとんどが処分され、発見されていないということになりますね」
「そうなるな」
だからなんだ、と言いたげな調子で応じるジショーエス警部。
「犯人が【ガラス片】を処分した理由はなんでしょう」
「おまえのほうが詳しいはずだが?」
ジショーエス警部は毒づくようにそう問い返してきた。
「捜査当局の見解をおうかがいしています」
「特に見解はない。重要な証拠とはみなしていない」
居心地が悪いようだ。ジショーエス警部はいらいらと言った。
「ありがとうございます。では、次の質問に」
陳列台の【エプロン】を取り上げる。
「こちらの【エプロン】ですが、犯人が犯行当時に着用していたものということで間違いありませんね」
「間違いない」
「こちらの証拠品について、皇室顧問法務騎士ハフリ氏の協力で再鑑定を行ったところ【エプロン】の裏側に小さな血痕が確認されました。エプロンの表側の血痕とは血液型が異なり、血痕の中心部に小さな穴が開いていることから、被害者の殺害時に受けた返り血ではなく、地面に膝をついたときに【ガラス片】のようなものを踏み、小さな傷を負ったものと考えられます。私としては、掃き集めた【ガラス片】を拾い上げようとしゃがみ込み、誤って膝をついて傷を負ったのだと考えますが、ジショーエス警部のお考えはいかがでしょうか」
「その可能性は否定しない。しかし、犯行以前についていた血痕である可能性も考えられる」
ジショーエス警部は慎重な口調で言った。
下手なことをいうと罠にはまると思ったのだろう。
だが、ハフリ法務騎士に再鑑定をさせてしまった時点で手遅れだ。
「ハフリ氏の鑑定によれば【エプロン】表面に付着した血液の血液型はA型、裏面で発見された血液の血液型はO型ということです。私の血液型は何型だったでしょうか?」
ジショーエス警部は顔を強張らせる。
まずい状況に追い込まれたと悟ったのだろう。
唸るような声で。
「獣人種の血はABO型の血液型分類には当てはまらない」
と答えた。
「はい。O型という結果が出た時点で私の血液ではないと判断することができます。私以外の人間がこの【エプロン】を身に付け、ジトーク子爵を殺害に及んだ可能性が立証されたと言えるのではないでしょうか」
「異議あり!」
ワーラー検事が声をあげた。
「その血痕が犯行当時に付着したとは限らない! ジショーエス警部の指摘通り、事件以前から付着していた可能性も考えうる!」
「はい、可能性は考えられます。ですが、私としては、犯行当時に付着したと見なすのが自然であると主張します」
証拠品陳列台の前に移動し、被害者ジトーク子爵の遺体が身に付けていた【シャツ】を取り上げる。
胸元にある小さな血痕と、その真ん中にある小さな穿孔を示した。
「被害者の【シャツ】の胸元にも、この【エプロン】と似通った血痕が見られます。検察側が提出した【検死報告書】によると、胸部に微少の刺し傷。死亡前に転倒、床に落ちていた小さな【ガラス片】による出血とあります。被害者の【シャツ】にも私の【エプロン】と似通った血痕があり、床の【ガラス片】によるものと断定されている以上【エプロン】の血痕もまた【ガラス片】による負傷と考えるのが自然ではないでしょうか。この血痕が私の血液であるなら、別のタイミングで床に膝をついて怪我をしたと見なすことも出来ますが、この血痕は私と被害者以外の第三者の血液です。私以外の人間が私の【エプロン】をつけて乳製品保管庫に入り【ガラス片】で怪我をする理由となると、乳製品倉庫にいたジトーク子爵を殺害し、私にその罪を着せようとした、という状況以外には解釈しにくいと思うのですが、いかがでしょうか」
気の利いた返しは思い浮かばなかったようだ。
ワーラー検事は血の気の引いた顔で押し黙った。
「この【エプロン】の血痕については、もう一点、不自然な点が見られます。お手数ですが、どなたか私の体にこのエプロンを当ててみていただけないでしょうか」
係官に来てもらい、車椅子に座ったままエプロンを体にあわせてかけてもらう。
「車椅子に腰掛けているので多少のズレもあると思いますが、私が身に付けていたエプロンドレスはスカート丈が長く【エプロン】の裾も足首近くにあります。人狼種も含めた人系種の関節構造上、このエプロンをつけて【ガラス片】を踏んで怪我をする可能性があるのは膝の部分となりますが、ご覧の通り、私の膝からエプロンの裾にある血痕までは距離があります。【ガラス片】の落ちた床に膝をついて怪我をした場合、血痕がつくのはもっと上、現在私の膝の当たっている場所の近くとなるはずです。この血痕の位置から逆算すると、私よりもっと背の高い人間、男性などがこの【エプロン】を身に付けていた可能性が考えられます」
私が反論を始めることも【エプロン】が再鑑定されてしまうことも予想外かつ予定外、想定問答を用意していなかったのだろう。
ジショーエス警部は真っ青な顔で黙り込む。
「ジショーエス証人。非常に重要な指摘と思われますが、いかがでしょうか」
クラレント裁判長に促され、ジショーエス警部はのろのろと口を開いた。
「……合理性のある主張だと認めざるを得ません。至急、再調査させていただきます」
「ワーラー検事」
クラレント裁判官はワーラー検事に目を向けた。
「被告人の【エプロン】は被告人の逮捕の決め手と言える重要な証拠ですが、その証拠能力に大きな疑義が生じたようです。検察側が被告人の犯行を立証するためには別に決定的な証拠や証言を示していただく必要がありますが、いかがでしょうか。その用意はありますか?」
「もちろんです」
ワーラー検事は余裕のある表情で言った。
状況から考えるとハッタリの可能性が高そうだが、我が兄ワーラーは百戦錬磨の法務貴族ギルティ家の長男である。
腹の底はさすがに読めなかった。
「決定的な証人が存在します。少々特殊な証人であるため、今回は出廷させる必要が無いと判断していたのですが、次回公判にて証言を行います」
「わかりました。被告人、反対尋問を続けますか?」
「いえ、ここで終了させていただきます」
これ以上ジショーエス警部を攻撃しても、得るところはあまりないだろう。