反対尋問:窃盗犯アーキス・ネラウゼ
「弁護側、反対尋問をお願いします」
「はい」
立ち上がり、証拠品陳列台からジトーク子爵邸の地図を取り上げ、ネラウゼ証人に差し出した。
「ネラウゼ証人が隠れていたのは、この地図のどのあたりでしょうか」
「ここですわ」
ネラウゼ証人は、乳製品工房と保管庫の近くにある林のエリアを指さした。
確かに事件現場周辺を見渡せる位置だ。
「ネラウゼ証人は、ジトーク子爵が屋敷から歩いて来る様子を目にしたと仰いましたが、地図上でいうとどの道を通っていたかわかりますか?」
「この道です」
ネラウゼ証人が、本館と乳製品工房を結ぶ道を示す。
「本館の方向からですね?」
「ええ、間違いありません」
「私の記憶が確かなら、本館から乳製品工房に直行しているとすると、普段のジトーク子爵の散歩のルートを逆回りしていたことになるのですが、記憶違いということはありませんか?」
「ありません。確かにこの道を通って歩いてきましたわ。あんたと話をするために、先にこっちに行くことにしたんと違いますか?」
ネラウゼ証人は落ち着いた調子で応じた。
ここに嘘はないように思えた。
「乳製品保管庫の中から悲鳴が聞こえたということですが、どのような声でしたか?」
「ギャーっちゅうか、うわーっちゅうか。獣みたいな声でしたな」
犯行に【マイコニドガス】を使用されたとすると、被害者が悲鳴をあげたとは考えにくい。
話をかなり盛っているようだ。
「ジトーク子爵の声だったかどうかは、ちょっと自信がないところもあります。女の声だったような気もしますわ」
怪しまれたと気付いたのか、ネラウゼ証人は表現を濁した。
「事件を目撃したのは中央警視庁に逮捕されるすこし前、ですね」
「はい」
あまり時間をかけても仕方がない。
早々にカタをつけてしまうことにした。
「ジトーク子爵家周辺の集荷を担当している郵便局員トドケル・テガーミ氏によれば、テガーミ氏は事件の当日、ジトーク子爵邸前で捕り物騒ぎを目撃したそうです。時刻は14時30分の集荷のすこし前」
レンガ検事の扇が震えるのが見て取れた。
「異議を申し立てます。アーキス・ネラウゼ証人の逮捕記録には15時30分に逮捕と明記されています」
「被告人、ネラウゼ証人の逮捕時刻が15時30分でないという証拠はありますか?」
クラレント裁判長が確認する。
「ネラウゼ証人を逮捕した中央警視庁巡査長ガッチー・ガッチ氏によりますと事件当日、ジトーク子爵家周辺で逮捕されたのはネラウゼ証人のみ、記載された逮捕時刻については懐中時計のトラブルがあり、12月25日の夜、記憶を頼りに記入したということでした。また、ネラウゼ証人の逮捕の時、ガッチ氏はテガーミ氏の郵便馬車を目撃しています。テガーミ氏、ガッチ氏の両氏は弁護側証人として待機していますので、直接証言が可能です」
「わかりました。早速証言を行っていただきましょう」
クラレント裁判長が言った時。
「さ、裁判長! し、少々お待ちをっ!」
ネラウゼ証人が裏返った声をあげた。
もう顔が真っ青だ。
「し、証言を……訂正、させてもらえませんやろか」
「……訂正?」
「はい、自分は被告人をみておりません。見たのはジトーク子爵が本館のほうから歩いてくるのを見たところまでで、あとは林の方をうろついとりました」
「……は?」
クラレント裁判長が間の抜けた声をあげ、傍聴席がざわめいた。
「先ほどの証言はなんだったのですか?」
クラレント裁判長がネラウゼ証人を睨む。
「偽証だったということですか!」
「ぎ、偽証っちゅうほど大げさなもんとちがいます!」
ネラウゼ証人はぶんぶんと首と手を振った。
「空き巣の取り調べの途中でジトーク子爵様を見たっちゅう話をしたら、こちらの事件の担当のジショーエス警部がやってきて、証人になれ、そちらの女中さんが鉈持って子爵様を追いかけまわしとった言えと指図されたんですわ。証言したら起訴は見送ってくれるいう話で、断ったら何をされるかもわからへんので仕方なく! すんません、ほんまにすんませんでしたっ!」
ネラウゼ証人は床に跪き、両手を合わせた。
「完全な偽証ですっ!」
クラレント裁判長はびしりと言った。
「脅されて! 脅されとったんです! 言う通りにせんと指の骨全部折る言われてしかたなくっ!」
哀れっぽく訴えるネラウゼ証人。
ジショーエス警部のやり口を考えるとそういう脅しをしてもおかしくはないが、私を処刑台に送り込むための嘘を弁舌滑らかに述べていたこと、前科持ちの犯罪常習者であることなどを考えると、言葉通りに受け取るのは難しい主張に思えた。
クラレント裁判長も眉唾物と感じたようだ。
疲れたように息をつき、
「証人アーキス・ネラウゼ氏に退廷を命じます」
と宣言した。
「また、今回の偽証の調査のため、司法省所管の中央拘置所にて身柄を拘留するものとします」
当然の結果というほかないが、退廷の前に、確認しておくべきことがある。
「裁判長、ネラウゼ証人に一点、確認をしておきたいのですが」
「なんでしょうか?」
「証人が口にした『目撃したのはジトーク子爵だけ』という点についてですが、『14時30分より前に、ジトーク子爵が事件現場に向かっているのを見た』ということで良いのでしょうか」
「ネラウゼ証人、いかがですか?」
クラレント裁判長の言葉に、ネラウゼ証人は媚びるように「へぇ」と応じた。
「逮捕される10分前くらい。捕まったのが14時30分くらいだとすると、14時20分くらいのことになると思いますわ」
「14時20分?」
クラレント裁判長は目を丸くする。
「間違いないのですね? 確か15時頃にもジトーク子爵の目撃情報があったと思いますが」
「へぇ、間違いありまへん。そのことだけは」
ネラウゼ証人は媚びるように言った。
信用できる証人とは到底いえないが、本当に全く見てもないことをいきなり話しだし、司法取引の材料にしようとするほどの大物でもなさそうだ。
最終的にひどい尾ひれがついていたが、話のきっかけになった証言については、ある程度信頼して良いだろう。
ジトーク子爵の目撃時間帯が増えたことになる。
マーダラー執事らが証言した15時の目撃情報。
窃盗犯ネラウゼが証言した14時20分頃の目撃情報。
たぶん、矛盾はしていない。
事件当時、私は浴場に行っており、事件現場周辺は無人の状態だった。
自殺ならジトーク子爵ひとりでもできるが、他殺となるともうひとりどこかからやって来ないといけない。
目撃情報のどちらか一人は、偽のジトーク子爵。
ジトーク子爵殺害の真犯人。
そう考えると計算が合う。




