面会:ナリアガッタ・ドシンザン伯爵
錬金術師ケルス・スパーラ師との面会を終え、錬金術ギルドをあとにした私は、そのままオーヒノ離宮へ帰還した。
ハフリ先生は関係者への聞き取り調査のため単身ジトーク子爵邸に向かい、私はひとりで留守番をする恰好である。
保釈中の身の上なので一人で外出をするわけにも行かない。
メイドらしく掃除でもしてみようかと思ったが、ギリー執事官の仕事はしっかりしていて手の出しようがない。
ハフリ先生に使用許可をもらった書斎にこもり、最近読んでいなかった法律書を眺めて過ごす。
そこでドアがノックされ、グーセイ殿下が顔を出した。
「今、体は空いているか?」
「はい、なにかございましたか?」
ソファから立ち上がり、跪く。
「引き会わせておきたい者がおってな、良いか?」
「お心のままに」
「よし、入るがよい」
マイペースに言ったグーセイ殿下の声を受け、一人の貴族が姿を見せた。
年の頃は30前後。
黒髪に黒い瞳。
端正だが威圧感のある、冷徹な雰囲気の男性だった。
「紹介する。ナリアガッタ・ドシンザン伯爵じゃ」
グーセイ殿下は無邪気に言った。
聞き覚えのある名前。
ドシンザン提督伯。
グーセイ殿下と同時に保釈の申し出をしてきた、もう一人の人物の名だ。
★
ドシンザン伯爵はグーセイ殿下の教育係の一人としてコーテイノ宮殿に出入りし、月に一、二回程度の頻度で海事や交易海戦などの講義をしているそうだ。
「縁もゆかりもないはずのノットを何故保釈しようとした?」ということでグーセイ殿下が意図を確認し、そのまま離宮まで連れて来たらしい。
「先日は保釈のお申し出をいただき、ありがとうございました」
私一人だけ跪かせておくのもどうも落ち着かぬという殿下の思し召しで、応接室のテーブルで向かい合う恰好になったドシンザン伯爵に、私は謝辞を伝えた。
「礼を言う必要はない」
ドシンザン伯爵は淡々とした口調で応じた。
「ジトーク子爵殺害事件には私が影響を与えている可能性が高い。知らぬ顔を決め込むわけにも行かんと思っただけのことだ」
「ジトーク子爵に圧力をかけておったそうじゃな。何故じゃ?」
グーセイ殿下が問いかける。
「私怨にございます」
ドシンザン伯爵は年季の入った手帳を出し、応接室のテーブルに置いた。
「なんじゃ?」
「我が父、キセラレータ・ヌレギーヌの形見の手帳です。ご存知の通り、父キセラレータは帝都を震撼させた殺人鬼『ヒトキリ』の正体は自分であるという遺書を残して妻子を殺害、割腹死をしたとされておりますが、生前は中央警視庁の刑事として『ヒトキリ』事件の捜査に当たっておりました。殺人鬼『ヒトキリ』の凶器が東方伝来のカタナであったことから、父は『ヒトキリ』の正体が当時流行していた東方剣術、火辻鳴々流の剣士であると考えていたようで、この手帳には火辻鳴々流の目録以上、つまり上級者の名前がリストアップされていました」
ドシンザン伯爵は手帳を開く。
そこに記されたリストには、今回の事件の被害者ジゴー・ジトーク子爵の名前があった。
グーセイ殿下は目を丸くする。
「『ヒトキリ』の正体は、ジトーク子爵だったと申すのか?」
「はい」
ドシンザン伯爵ははっきりとそう答えた。
「私が『ヒトキリ』の正体を悟ったのは四年前、先帝クラーボン陛下より伯爵位を賜り、ジトーク子爵と直接顔を合わせた時でした。ヌレギーヌ家で一家斬殺、割腹事件が起きた夜、私は帰りが遅れ、ひとり難を逃れたのですが、その前日に、ヌレギーヌ家の様子をうかがう不審な男の姿を目にしていました。しかし、当局には聞き入れられず、父キセラレータを犯人として『ヒトキリ』事件の捜査は終了、それを最後に『ヒトキリ』は姿を消しました。ですが、コーテイノ宮殿でジトーク子爵に出会った時、あの日の男だと思い出したのです」
「十五年も過ぎていては、顔も大分変わっているのではないか?」
「はい、当初は私も確信はなかったのですが、この手帳にジゴー・ジトークの名があったことで確信に至りました。『ヒトキリ』の正体、我が父母、兄や妹の命を奪った真犯人は、ジトーク子爵であったと」
「何故訴え出なかったのだ?」
「客観的な証拠といえるものがなかったのです。ヒトキリの実子である私の記憶と父が残した手帳だけでは、20年前の冤罪を晴らすには証拠が足りないと判断せざるを得ませんでした。そこでジトーク家に圧力をかけることにしたのです。ジトーク子爵が『ヒトキリ』であれば、私が『ヒトキリ』の正体に気付いたと悟り、動きを見せるだろう。そこから何かの手がかりを得られるのではないかと考えたのです」
「得られたものはあったのか?」
「具体的な証拠は得られませんでした。しかし、死の直前、ジトーク子爵は海外逃亡を企てていたようです」
「海外逃亡じゃと?」
「はい、財産をまとめ、トナリーノ王国への逃亡を企てていたとの情報を得ています」
「その情報はどこから?」
「ジトーク子爵家の使用人を買収しています」
重大なことをあっさりというドシンザン伯爵。
相当深いところまで入り込んでいたようだ。
「事件のあった12月25日なのですが。執事のクロイ・マーダラーがトーボー港のホテルの部屋を取っていました。翌26日にはトナリーノ王国行きの高級客船ラグジュアリー号が寄港をする予定でした」
「そのラグジュアリー号で亡命をするつもりじゃったのか」
グーセイ殿下はむぅとうなった。
「ドシンザン様、質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「ジトーク子爵にはトナリーノ王国へのツテはあったのでしょうか?」
「トナリーノ王国にはジトーク子爵の妹がいる。そのツテを頼るつもりで手紙を送っていたようだ」
「ジトーク子爵の妹というのはどのような人物じゃ?」
「イコクニ・トツイダ夫人。小規模の子爵家の夫人です。政治的な影響力はほとんどありません。事件後に探りを入れてみたのですが、興味深い事実がわかりました」
「なんじゃ?」
「トツイダ夫人はジトーク子爵の海外逃亡への協力を拒絶し、それ以降手紙のやり取りはしていない、とのことです。断りの手紙を送ったのは一年前だそうですが、その後もジトーク子爵はトナリーノ王国との書状のやり取りと亡命の準備を続けていたようです」
「イコクニ・トツイダとは別のツテがあったということか」
「いえ、内通者からの情報によると少なくとも事件の2ヶ月前までトツイダ子爵夫人あての手紙を書いていたようです」
グーセイ皇子は「面妖な」と呟き首を傾げた。
「結局、手紙のやり取りはしておるのかおらぬのか」
「恐れながら、意見を述べさせていただいてもよろしいでしょうか」
ハフリ先生との三人ならば直言して良いと言われているが、ドシンザン伯爵の前なので少し慎重に発言する。
「恐れずともよい。申せ」
「ジトーク子爵家の書状は執事のマーダラー氏が管理していました。ジトーク子爵家あての書状は一旦マーダラー執事の手に渡ってからジトーク子爵やフージン夫人の元に届けられ、ジトーク子爵の書いた書状はマーダラー執事を通じて従僕やメイドに渡され投函される、もしくはマーダラー執事の手で直接郵便局に持ち込まれます」
「なるほど、得心したぞ」
グーセイ皇子は破顔した。
「執事がジトーク子爵の手紙を差し止めてトツイダ子爵夫人の名前で返事を渡せば良いのじゃな」
「はい、そう考えれば話の筋が通るかと」
「じゃが、何故に然様な真似を?」
「そうしなければ、もっと面倒なことになるからではないでしょうか。海外逃亡と口でいうのは簡単ですが、帝国貴族が無許可で他国に移り住むことは大罪ですし、逃亡先の国にとってもいらぬ問題の種になる厄介者です。そもそもが上手く行くはずのない話ですが、ジトーク子爵がやれという以上は、マーダラー執事は手を打たざるを得ない立場にあります。そこでトツイダ夫人の手紙を偽造し、海外逃亡の準備が上手く進んでいると装ったのではないでしょうか」
物証はないのでまだ推論レベルだが、事件の構図が見えてきたようだ。
「なれば、怪しいのはそのマーダラーという男になりそうじゃな。実際には上手くゆかぬ海外逃亡の支度を上手くいっていると偽り続けておった。それが露見しそうになって進退窮まり、ジトーク子爵を手に掛けた。どうじゃ」
「私も同じ意見です。マーダラー執事は例のエプロンの血痕の位置から推定される犯人の背格好にも一致しています」
真犯人の第一候補とみなしていいだろう。
「マーダラーというのは、一体どのような男なのじゃ?」
「酪農メイドの私とはあまり接点が無かったのですが、30年前からジトーク子爵家に仕えていた古参の使用人と聞いています」
「30年前というと、ヒトキリ事件の時すでにジトーク家におったわけか」
「ジトーク家に来る前は冒険者だったようです」
ナリアガッタ伯爵が付け加えた情報に、引っかかるところがあった。
「冒険者と仰いましたか?」
「『魂の彩り』というギルドに所属していた。ジトーク子爵家とは古くから付き合いのあるギルドだ。目を悪くして冒険者を引退した後、当時のギルド長の紹介でジトーク家で働くことになったようだ」
聞き覚えのあるギルド名が出てきた。
20年前『ヒトキリ最後の事件』で使用された【マイコニドガス】の流出元と疑われ、またジトーク子爵殺害事件で使用された【マイコニドガス】の流出元と思われるギルドだ。




